銀の弾丸などはない
「一度はっきり言おうと思っていたんだ。そんな風には私は君を思えないし、使えない。年は離れているが、多分、私は君を友人だと思っているんだ。尊敬すべき友人、とね」
「……」
呆気にとられているエドワードの顔を見て、ロイの目元には微かに赤みがさした。ほんのわずかではあったが、確かに。それを見ていよいよエドワードは動揺する。
「…そういうわけだから、鋼の。たまには体を休めたまえ。これは忠告だ。命令じゃなくてね」
ロイは椅子を引いて立ち上がり、自分のカップと皿を持って流しに立つ。照れくさそうなその様子にエドワードの頭も混乱を極めて何も言えなくなっていた。まさかあのロイ・マスタングの口からこんな言葉が出てくるなんて、一体誰が予想したか。
少なくともオレは考えたことなかった、と呆然とエドワードは考えていた。自分の皿を洗うロイの背中を見ながら。
「友人、なぁ…」
先に仕事に出たロイに遅れること一時間。だらりと彼の家を出ながら、エドワードは今朝の家主の発言を反芻していた。
あれは少なからず衝撃だった。エドワードにとっても。
「……」
じゃあオレはどう思ってんのかな。
ごく自然な流れでエドワードは自問した。あえて定義づけて考えたことはなかったが、知られてはいけない思いだとは何となく思っていた。ロイの近くでロイの役に立ちたかった。ロイが作り出すものを見ていたいと思っていた。けれど、純粋にそれだけでもないことには気づいていた。たぶんエドワードはロイが欲しいのだ。具体的にどのように、とまでは考えたことはなかったけれど。きっと、その気持ちを正しく表現するのにそれ以外の言葉はないのだとも思っていた。
「強いて言えば…」
その先を無意識に思い浮かべてエドワードは眉をしかめた。冗談ではない、と一蹴し口には出さなかった。
エドワードの報告時間は毎日午後の一時間ほどと定められていたので、昼前に行って知り合いと昼食を取るか、外で買っていくか、食べていくか、になる。きちんと食事を取るのは、そうしないで行って腹を鳴らしていると食堂に連行されてその日の報告がなしになってしまうからだ。
ロイの気遣いは勿論どちらかといえば嬉しいものだったが、それでもエドワードにもエドワードなりの考えもある。いつまでもここで足止めを食らっているわけには行かなかった。まだアメストリスは安定には程遠く、セントラルや場合によってはロイ個人を快く思わない連中もあちこちにいるのだ。それらを見つけたり、時に排除したりするのは今の所エドワードにしか出来ないことで、そうやって彼を守れることにエドワードは満足しているのだ。
だから、ロイにだってそれを邪魔されるのはそんなに愉快なことではない。傍にいられるのはそれなりに嬉しいが、…いや、嬉しいなんて事を思ってはいけないのだ、とエドワードは気持ちを引き締める。見返りなんて、初めから何も求めていない。
その日は何となくホットドッグを食べたい気分になったので、エドワードは図書館近くのスタンドを回っていくことにした。セントラルともなればそんなものはどこと場所を選ばなくても手に入れられるのだが、そのスタンドのホットドッグがエドワードは好きだったので。
「…?」
マスタード多めに、そうスタンドの主人にリクエストした後、何の気なしにエドワードは図書館の入り口を見た。何があったわけでもない。ただ、何となくそちらを見たのだ。
しかし、運命というのはえてしてそういう場所に何気なく潜んでいるものなのだろう。
エドワードは、視線の先に見えたものに首を捻った。初めはそれがなんだかわからなかったのだ。だが、理解すると同時に駆け出していた。後ろから「お客さん?!」という驚いた声が聞こえてきたけれど、それには懐から硬貨を出して放って「とっといて!」と答える。
「なにやってんだ!」
図書館の入り口近くでは、十歳前後くらいの子供を数人の大人が取り囲んでいた。どうやら子供は必死で何かを抱えているらしく、取り囲んだ数人の、付け加えるのなら人相のよろしくない連中は、子供からそれを奪おうとしているようにも見えた。そして、奪うよりも一緒に攫ってしまった方が楽だ、という判断に動いているのも手に取るように見えた。
だが彼らにとって不幸なことに、エドワードがその場には居合わせた。エドワード自身は自分のことを正義の味方とは思っていない。いないが、やっていることは案外義侠心に溢れている。
そんなエドワードが子供を大人がよってたかっていじめている(極論するなら)図など許せるものではなかった。ほとんど脊髄反射で駆け寄ると、怒鳴りながらまずは一番手近な男を力の限り殴り飛ばした。手加減する気持ちの余裕がなかったというよりは、半分が示威である。あとの半分は、加減をするのが面倒だったのに尽きる。
果たして、殴られた男は盛大に吹っ飛んだ。それで、男達も標的を一時子供からエドワードに変えた。変えざるを得なかった。しかし、…多分、むしろ彼らは逃げるべきだったのだ。相手が悪い。近年、アメストリス中の「その筋」の人々から鬼とも悪魔とも恐れられる(反面親分のように慕われることもあるが)鋼の錬金術師、エドワード・エルリックの拳は、そんじょそこらのチンピラのパンチなどとは比較にならない。錬金術を使わなかったとしても、だ。
子供を取り囲んでいた男達は、数分ともたずに地面に転がった。あまりの事態に、彼らに追い詰められていた子供はぽかんとして立ち尽くしていた。そして、はっとして逃げようとした時にはすべてが終わっており、猫の子のように、金髪の青年に襟首を掴まれることになっていた。
「こら。逃げるんじゃない。これでもお兄さんは…一応正義の味方だ」
一応、とつけたのは柄にもないと思ったからである。彼にしてはまあ、謙虚な判断になるだろう。
しかし子供には普段のエドワードとの比較など出来ない。目を丸くして、助けてくれた相手を見上げるしか出来なかった。そんな子供に、エドワードはようやく相好を崩す。そして軽く膝を折ると、目線を合わせて笑いかけた。
「お前、腹減ってない? オレこれからホットドッグ食うんだ、いる?」
答えは子供の腹から返ってきた。
エドワードは瞬きした後、自分こそが子供のような屈託のない顔をして笑った。
追加で買ったホットドッグとホットコーヒーとオレンジジュースを持って、エドワードと子供は図書館近くの公園のベンチに落ち着いた。子供はまだしっかりと先ほどの本を抱えていた。随分と古いものだ、と一見して見て取れる。何か大事な本なのだろう。
だが今は、多分本より食事だ。
「な、それ、とりあえずとらねぇから、一端おかないか。抱えたままじゃ食えないだろ?」
どうだ、と相談するようにもちかければ、困ったような、警戒の深い目で子供はじっとエドワードを見返していた。くっきりと澄んだ青い目をしていた。吸い込まれそうな。
「んー…じゃあ、オレの方に向けて抱えて食べな。またさっきの変なのきたら追っ払ってやるからさ」
「……」
子供はそれでもまだじっとエドワードを見つめていた。