銀の弾丸などはない
「それは…君、どこかに隠したんだろう!」
「ミスター。私はあなたの名前も存じない。それでどうしてあなたのお嬢さんを誘拐しなければならないのか、理由を教えていただきたい」
ロイは神妙な顔つきで目の前のやりとりを見ているが、その眼はわずかに細められていて、エドワードには、彼がひそかに楽しんでいることがわかった。
こいつ後で飯おごらせる、と思いながら、エドワードはつんとした様子で続ける。
「ルーシー。いい名前だがよく聞く名前でもある。実際二十歳以上の知り合いになら覚えがないこともありませんがね。ミスターはお若く見えますが、実はご年配の方なんでしょうか?」
明らかに馬鹿にした態度に男は肩を震わせたが、…そこで、それまで黙っていたロイが口を開いた。
「そういうわけです、クレイマンさん。申し訳ないが、お引き取りを。これから少々込み入った打ち合わせがありますので」
ゆっくりと立ち上がり、彼はにこやかな表情で退出を促した。それを受けて、エドワードが扉を開きに戻る。彼もまたにっこりと文句のつけようのない顔で笑って、お気をつけて、ミスター、そう見送ったのだった。
クレイマンという男が怒りに小刻みに肩を震わせながら退出した後、エドワードは普段のぞんざいな態度で勝手に応接のソファに座った。座った、というのは多分控え目な表現で、身を投げ出した、というのがより実情に近いかもしれない。彼は、どすんと音をたて、乱暴に体を沈めたので。そうしてだらりと背もたれになつきながら足を組み、で、あれなに、と敬意のかけらもない態度でロイに問いかけた。
「実業家、だそうだよ」
「へぇ」
「ところで君、いつから趣旨変えしたんだい? 小さな女の子が好きだとはついぞ気付かなかった」
「ばっか、あんたまで何言ってんだ。オレはいたって健全だよ、錬金術以外では」
「その部分が君の大半じゃないかね」
ロイは笑いながらエドワードの向かいに腰をおろした。
「飯食おうと思ったら、ガキを取り囲むコワーイ御面相のおっさんたちがいたんで、正義の味方としては放っておけなかったってわけ」
いたずらめかして答えて、エドワードは目を細めた。それに、ロイが肩をすくめる。
「今回は何か破壊してくれたのかな」
「壊してねぇよ、おっさんたちのあばらくらいは折れたかもしんないけどな」
「なるほどね。その怖いおじさんたちは、今は?」
「憲兵呼んどいた。引き渡されてると思うぜ」
「思う?」
「ああ、腹減ってたのとさ、子供には教育的によろしくないかなと思って。ふんじばるだけふんじばってさ、後は図書館の警備の人に頼んどいた。憲兵に引き渡してくれって」
「ああ…図書館前のあのホットドックか。君、あれ好きだな」
「セントラルで一番うまいと思ってるから」
「で、その保護した子供は?」
「今はここで一番強い人に預かってもらってる」
エドワードは片目をつぶってそう返した。この切り返しにロイは、…瞬きしたあと、笑った。彼の脳裏には正しくあの女性のきりりとした姿が思い浮かべられているに違いない。
「なるほど。それなら安心だ」
「だろ。…あんた、さっきのお客サンのこと、知らないのか?」
「初対面だったよ」
その答えに、エドワードは一瞬だけ考え込むような顔をした。
ロイは、せかさずにエドワードを見ている。
「サックスグループというのは聞いたことがないか」
「サックス? …それって、あの、病院経営やってるとこか」
「ご名答。伊達に地方を回ってないな」
「おだてるなよ。…さっきの男、サックスの人間か?」
「サックスグループの総帥オリバー・サックスの秘書、だそうだ。クレイグ・クレイマン」
「なんか舌噛みそうな名前だな」
「確かに。早口言葉みたいだ」
面白がるようにロイはまぜっかえし、さて、と腰を上げた。
「大佐? …じゃなかった、准将?」
「場所を変えよう。喉も渇いたし。…それに、いくら腕利きのナニーがついているとはいえ、小さなレディに好ましい環境とはいえないだろう」
冗談めかして肩を竦めたロイに、エドワードもまた軽口で返す。
「子守じゃもったいねえだろ、ありゃSPだ」
「プロというのはね、どんな仕事でも請け負ったらやりおおせる人間だよ。そういう意味では、彼女ほどのプロフェッショナルを私は他にあまり知らないな」
「それは賛成」
エドワードもまた立ち上がった。報告はこれで先延ばしになり、出発も見通しが不透明になった。しかし、自分でまいた種だ。何とかしなければならないだろう。
「お茶くらいおごるぜ」
気前よく言ったら、ロイが瞬きしたあと嬉しそうに笑った。
「いいね。それなら、ちょっと高い店に行こうか」
「なんだそりゃ、そこは遠慮するところだろうが」
「いやいや、せっかくのお申し出だから」
澄まして言って歩き出すロイは本当に楽しそうに見えて、だから、エドワードは「しょうがねえな」とだけ言って終わりにした。ロイには内緒だけれども、エドワードは、ロイを喜ばせるのが結構好きなのだ。いつの頃からか。
リザに頼んだのは「おさげ」だったのだが、戻ってみれば複雑な編みこみになっていた。より一層再現の仕様がない。しかもどこに持っていたのかリボンも編みこまれている。
どこにあったのかといえば、ルーシーが飲んでいたオレンジジュースにしてもそうで、いったいどこにそんなものが冷えていたのだか、とロイまでぽかんとしてしまった。
「ブレダ中尉の物持ちのよさに感謝しなくてはいけませんね」
「あぁ…」
にっこり笑った女性の一言で、ロイとエドワードはオレンジジュースの出所を知った。リザに徴発を受けて断れる人間がそうそういるとは彼らには思えず、それだけに、ブレダの心境を考えると、…かわいそうなようだが同時に彼の体型を思うとまあほうっといていいか、という結論に達する。とりあえず曖昧に笑ってそこは流して。
「――ちょっと外で会議をしてくる」
あとは頼む、と口にしたロイに、リザはふふ、と笑った。
「あら。では今日の三時にはおいしいお茶を淹れられますかしら」
「…承知した」
肩をすくめたロイとリザの力関係については…、エドワードは乾いた笑いを浮かべて流した。
ロイが二人を伴ってやってきたのは、司令部からほど近い場所にある、古い喫茶店だった。がっしりとしたレンガ造りの建物で、中の様子はあまり見えなかったが、中に入ってみれば案外と通りの様子が見て取れたので、なるほどとエドワードは思った。
しかも、一歩ドアをくぐればコーヒーのなんとも言えないよい香りがして、そういう意味でも期待が持てた。少し狭いようにも思えるこぢんまりした店だったが、椅子の座り心地はなかなかにいい。深い緑色はビロードだろうが。
エドワードはルーシーを自分と壁の間に座らせて、ロイはその向かいに腰かけた。
「私はコーヒーにするが…、」
ロイは、一人前の女性を相手にするようなきちんとした態度で、ルーシーの前にメニューを広げた。
「ここはケーキも美味しいよ」
その態度にエドワードは笑ってしまいそうだったが、とりあえずは、ルーシーの頭を小さく撫で、「なんでもいいぞ」と言っただけだった。
「…イチゴののってるのがいいの」