それも、一つの可能性。
(こうなるなら、俺も家で髪洗えばよかったな)
奇しくも、お互いが全く同じ事を思っていた。
先ほどから二人の間に会話が無い。だが、全く無いというわけでもない。言いだしっぺのくせに一抜けしてしまった円堂にぼやいたり、長髪だと手入れが面倒だとぼやいたり、湯が熱めだとかぼやいたり。ほとんど独り言のような風丸の言葉に鬼道が短い相槌を打つだけで、身のある会話が無いだけだった。やがて風丸も話題が尽きたのか何も言わなくなってしまった。鬼道はようやくそこで気を使って話しかけてくれていた事に気付き、自分の口下手に不甲斐なさを感じた。天才の彼にも、出来ない事はある。普段の彼はフィールドの上での饒舌さを持ち合わせていなかった。
見ず知らずの人でも良いので、誰か入浴してくる事を願ったが今日という日に限って人は来ず、ボイラーが二人だけにしては多すぎる湯を懸命に炊き続けた。
鬼道はふと女湯に意識を向けた。女湯にはマネージャーの秋と春奈が入っていたはずだった。夏未も誘ったのだが、お嬢様育ちの彼女は同性とはいえ他人に裸体を見せる事に抵抗があるらしく最後まで顔を真っ赤にして断固拒否を貫いた。円堂らが大きな風呂釜にはしゃいでる頃、壁の向こうから秋と春奈が入浴してくる声が聞こえてきて、男湯の面々は一瞬だけ動作が止まった。二人もしばらくはきゃあきゃあと騒いでいたが、そのうち静かになり今は完全に沈黙している。要は二人ももう上がったのだろう。
つまり、この浴場には鬼道と風丸、二人きりと言う事だった。
時折、どちらかが身体を動かすと発生する、水、というか湯の音がするだけで浴場内は相変わらずの静寂だった。鬼道はまた浴槽内の隣で座る風丸を盗み見た。
髪が完全に濡れてしまうと、誰しもが別人のような印象になってしまう事が多い。頭のボリュームが下がり、人によっては情けないような見た目になってしまうのだが彼はそんな事はないようだった。濡れた髪は艶やかさを増して、水分を与えられてしっとりとしている肌に張り付いている。髪型のせいなのか、彼の持つ女性のような容姿のせいなのか、それとも彼を形成する本質そのものなのかは鬼道には解りかねたが、横に居る人物は何とも言えない色香を持っていた。浴場といういつもとは異なる場所が気持ちを別のものにしているのか、水場という特別な雰囲気を持つ空間が目を曇らせているのか、風丸の姿にいつもは思わない感想を思った。綺麗だと。
同性の友に対して使用すべきない言葉だ。それを認めてしまった瞬間、チームメイトとして、そして友人として感じている親しみや情を超える何かを、彼の姿に重ねて感じてしまったのだった。
作品名:それも、一つの可能性。 作家名:アンクウ