それも、一つの可能性。
銭湯の更衣室には大体、天井につけるタイプの扇風機があり、夏冬問わず周り続けている。大体が手入れが行き届いてなく、埃まみれで金属部分は錆びている。稲妻町の銭湯「迅雷の湯」(感電しそうな名前だ)も例に漏れず、昭和のレトロさを感じさせるスイッチ式の扇風機が見た目に反してきちんと仕事をこなし、鬼道に具合の良い風を送っていた。
その扇風機が目に入った後、視界に入り込んできたのは青色だった。
「あ、気がついたか?」
青色の正体は必要以上に近づいたチームメイトの顔だった。近い。近すぎる。
「……風丸?」
「よかった。いきなりぶっ倒れるんだもんな。お前のぼせやすいの? だったらあんなガマンして入ってなくてもよかったのに」
「いや……普段はそんなに……というか、この体勢は……。………!?」
鬼道は自分の置かれている状況を分析した。分析したが、どうなればこうなったのかが理解出来なかった。鬼道は風丸にいわゆる膝枕されていた。
「!?」
「うわっ!」
鬼道がいきなり頭を起こした為、風丸は頭を衝突させないために反射的に仰け反った。
「何だよ。いきなり起きるなよ」
「な……何だとはこっちの台詞だ。どうしてあんな体勢になったんだ」
「あんなって?」
「………~~なぜお前の足に俺の頭が乗っかっていたのか聞いているんだ」
「いや、椅子の上にそのまま寝ると硬いかなって……」
「バスタオルとかあるだろう!? ……あ」
そのバスタオルは鬼道の身体にかかっていた。湯冷めしないようにとかけてくれたのだろう。更に鬼道は先ほどまで裸だったのにきちんとジャージを着ている事に気付いた。つまり、風丸がここまで運んで、身体を拭いて、服を着せてくれたのだ。その一連の作業をしてもらっている状況を想像すると、あまりの情けなさに裏のボイラーに身を投げたい気分に陥った。無論しないが。
さらに鬼道はもう一つの事実に気付いた。
目が覚めて真っ先に目に入った扇風機にはよくよく見ると「故障中」という文字が書かれた紙が貼られていた。扇風機は故障中。では何が風を起こしていたのか。答えは風丸の手の中にあった。
どこで手に入れたのかは不明だが、夏場駅前などで配っているようなビニール製の団扇を手にしていた。風丸がそれで仰いでいてくれたという事はもはや疑う余地などない。鬼道の視線が自分の掌に集中している事に気付くと、何の臆面もなく「ロッカーの上に置いてあった」と答えた。
鬼道は今日という日ほど自分が情けないと思った日は無かった。いや無かったわけではない。ただ、フットボールフロンティアで初めての敗退の苦味を知ったような情けなさとは種類が違う。たかだか銭湯の湯でのぼせて倒れたあげく、何から何まで友に世話をさせてしまった。
とりあえず、悔やんでも仕方が無い。鬼道が今すべき事は一つだ。
「すまない。相当世話になったみたいだな……」
「別に、謝らなくてもいいぜ」
「だが……。……あ」
言いよどんだあたりで鬼道は気付いた。風丸の「謝らなくても良い」という言葉は違う意味があるのだと。
「………ありがとう」
「ん!」
雷門に来てから、最近は自然と口に出来るようになった言葉をやると風丸は満足そうに笑った。その笑顔に、鬼道の脳裏でまた妙な痺れが走った。
「まあ、でも、俺はそんなに何もしてないんだよ。番台のおじさんが鬼道の事運んでくれたし。俺がしたのはジャージを着せる事くらいかな」
「結構重大だと思うが……」
「後はまあ、円堂達が野次馬しに来たから追っ払ったよ。何でもないから先帰れって言っておいた」
「先に……? 帰らせたのか?」
「うん。お前の事だから嫌がると思ってさ。皆に倒れたとこ見られるの」
「あ……ああ、そうかもしれないな………」
歯切れの悪い答え方に鬼道自身が気持ち悪いとすら思った。風丸がここまで自分に気を使ってくれているなんて思ってもいなかったのだから、狼狽した。
「もう平気か? 大丈夫そうならそろそろ帰ろうぜ。湯冷めしちゃうし」
「あ、ああ、そうだな」
二人はロッカーを開けて帰り支度を始めた。
作品名:それも、一つの可能性。 作家名:アンクウ