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お前にもう一度愛を込めたキスを

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 ヨーロッパ中だけじゃなく、遥かな海の向こうにまで幾つも家を持っている大国スペインは、憧れの対象でもあった。構って貰えるのが嬉しかった。
「今はお前どころじゃねぇんだよ」
 そしてこれも紛れも無く事実だ。幾つものごたごたの末にかつての力のほとんどを失ったスペインに、さほどの興味は湧かない。そんなものだと思う。プロイセンだってやっとの事で今の大きく成長した体を手に入れられた。余計な事に気を取られて失う訳にはいかない。

「……今日は帰るわ。喧嘩しに来た訳とちゃうし」

 プロイセンの言わんとする事が分かったんだろう、スペインがソファから立ちあがる。
「またな、プーちゃん」
 そして明るく笑ってプロイセンに背を向けた。スペインの手が迷わず廊下に続くドアのノブに伸びた。何の未練も無い様子でドアが開かれ、あっさりと廊下にスペインの姿が消える。向こう側からドアが閉じられ、静かな音を立てた。
「…………」
 追いかける理由なんて無い。
 彼と知り合ったのはずいぶん昔だ。内部の問題に構っているうちに他のヨーロッパ諸国からすっかり取り残された感のあるスペインは、プロイセンにとって敵でも無ければ味方でも無い。彼と個人的な付き合いさえなければ、ほとんど視界にも入らないような国だ。
 多分以前は逆だったんだろうと思うと、胸が少し痛むのを感じる。

「……俺はもうお前の可愛いプーちゃんじゃねぇんだよ」

 わざわざベルリンまで来てくれたのに、コーヒーの一杯も出さなかった。彼に触れたのは、胸を突き飛ばしたただ一回切りだ。
 間違ったことをしたような気になる。けれどそんなはずはない。今は大事な時なんだ、味方になってくれる訳でも無い相手にそう関わってはいられない。
 そう振り切ると、プロイセンは机の上に広げられた地図を見回す。そしてスペインが訪れる前と同じようにもう一度机に向かった。




 兄さんの客人だ。
 スペインの姿を見つけてドイツは挨拶をしようと声を掛けた。丁度外へ出る所だったんだろう、スペインは廊下を玄関に向かって歩いている。
「あぁ、ドイツやん。大きくなったな」
 たまにこの屋敷に顔を出す、愛想のいい青年だ。おおらかそうな笑顔が印象に残っている。生真面目な所のある兄には、彼のような相手が合うのかもしれない。親しく話している所を何度か見かけた事がある。二人が話している所に近づくと追い払われてしまうのでどんな話をしているのかは知らない。大人には大人の話があるのだろう。もう少し大きくなったら入れて貰えるようになるのだろうか。
 まだ背が自分の胸にも届かないドイツの頭を軽く撫でると、スペインはにこにこと人当たりのいい笑みを浮かべた。
「いつ来たんだ?」
「ついさっきやで」
 久し振りに姿を見かけた気がする。彼が顔を出すと兄が嬉しそうに笑うから、ドイツはこの男の事が嫌いじゃない。
「それにしては、帰る所だったように見えるが」
 ここベルリンと彼の住んでいるというマドリードは距離がある。せっかくここまで来たのだからと、彼が訪れた時には泊めていくのが常だったはずだ。それも客室ではなく兄の私室に泊まっていく。余程親しい間柄なんだろう。兄がそこまで歓迎する相手を他に知らない。

「プーちゃん忙しいみたいでな。俺の相手しとる暇ないみたいやから」
「……そうか」

 笑い話のように、スペインが大げさに肩を竦めて笑う。確かに兄は忙しい人で、弟の自分のための時間すらなんとか搾り出しているような有様に見える。早く手伝えるようになりたいが、まだまだ頼りないらしく、そう頼んでも追い払われてしまうばかりだ。
「という事は仕事の話じゃないんだな」
「そんな野暮な事せえへんわ」
 仕事の相手だったら何をおいてもきちんと時間を作って話を聞くはずだ。とはいえ、彼の家とは距離が離れている事もあり、そう関わり合いになる事が無い。こうして彼がわざわざこの屋敷にまで足を運んで顔を見せているのが不思議な程だ。
「ただプーちゃん元気にしとるかなと思っただけや」
 どういう関係なんだろうかとたまに思う。友達なのかと聞いたら兄は答えにくそうに口ごもってしまったし、仕事上で何か深い関係を持っているという訳でもない。けれど兄の名を親しげに口にしたスペインの声は優しい。

「手紙送っても返事無いし。まぁ元気にしてるみたいやったからええけど」
「手紙を?」

 ドイツには心当たりがあった。少し前の事だ。ドイツは兄宛の手紙を預かって、それを届けるために兄の元へ向かった。兄は封筒を受け取るとドイツを労い、そして嬉しそうに笑った。ついさっきまで難しそうな顔をしていたというのに。
「いい知らせだったのか?」
「さぁな。まだ開けてもいねぇよ」
 封筒を手に持った兄の様子から、この手紙を彼に書いた相手の事を相当気に入っている様子が見て取れた。そうでなければ差出人の名を見ただけで笑顔になるはずがない。
 差出人の名はスペインだった。
 調子はずれの明るい口笛を吹きながらナイフを手に取り封を開けようとした兄が、まだドイツが部屋の中にいる事に気付いて手を止める。
「ありがとうな。部屋に戻っていいぜ」
 元々兄はドイツが彼の執務室に入ることを好まない。だからあっさりと追い払われるのはいつもの事だ。兄に促されてドイツはすぐに退室した。すぐにドアの向こうから紙が破れる音が聞こえる。兄が手に持っていたナイフが便箋の封を破った音だろう。
 ドイツは目の前に立っているスペインを見上げる。兄が手紙を受け取ったのは確かだ。几帳面な兄が、それに対して出した相手が心配になってわざわざ直接訪問してくる程に、返事を書かずに放置するなんてどういう事だろう。
 廊下を歩くスペインをつい追いかけてしまったドイツは、いつの間にか玄関までたどり着いてしまった。スペインの歩く速度が早い。元々の大人と子供の体格差もあるだろうが、まるで早くこの屋敷の外に出たいと思っているかのようだ。

「チャオ。お兄ちゃん大事にな」

 スペインが明るく笑うとドイツに軽く手を振った。さっききたばかりだというこの男をどうしてそんなにすぐに帰してしまうのか、忙しくて仕方ないのだとしても、どうして見送りにすら来ないんだ。
 ここまででええよ、とスペインはドイツの見送りを断った。スペインから離れると、ドイツはそのまま足を兄が今いるであろう部屋の方へ向けた。




 スペインのいなくなった後のソファに横になると、プロイセンはそのままごろりと体勢を変えて収まりのいい所を探す。そして丁度いい所を見つけて目を閉じた。
 二人で横になる程のスペースは無い。だが一人で寝るには充分だ。
 何も帰っちまう事ねぇのに。
 自分で追い出した自覚はあるが、それでも部屋から出て行ってしまった相手が多少恨めしい。黙ってここでシエスタしている分には何の文句も無かった。側にいて邪魔に思うような相手じゃない。むしろ振り向いた時にそこでスペインが幸せそうに寝ていたら、嬉しいと思ったんじゃないかと思う。
「…………勝手だな」
 わざわざここまで来てくれた相手を冷たく追い返しておいて。