お前にもう一度愛を込めたキスを
そんな事の他に、考えるべき事はいくらでもある。頭が痛くなってきた、どうやら思ったより疲れているのかもしれない。少し仮眠でもとろうか。
その時、コン、と控えめにドアが叩かれた。ためらうような間があって、やはり決意をしたのかもう一度今度はさっきよりも強く叩かれる。
「誰だ」
はっきりしない行動に苛立って、プロイセンは強めに誰何する。
「兄さん、俺だ」
聞こえてきたのは少し高い子供の声だ。自分を兄さんと呼ぶ存在は一人しかいない。幼い声に慌ててプロイセンはソファから飛び起きる。ドアを開けると廊下に立っていたのはやはりドイツだった。
「何してんだ、お前は勉強の時間だろ」
「あぁ、少しだけだ。兄さんの顔を見たらすぐに自分の部屋に戻る」
もう年の頃は十を超えたくらいに見える程に育っていて、そろそろ大人扱いとは言わないまでも子供扱いを抑えてもいい頃だとは思う。それでもつい子供扱いしてしまうのは癖のようなものだ。ずっとそのまま子供でいて世話を焼かせて欲しいと思うが、早く自分なんていらないくらい大きくなって欲しい。
「どうした、ヴェスト」
今は自分の事とこの子の事で手一杯だ。その弟が、プロイセンを見上げる。
「友達は大切にしろと、俺に言ったのは兄さんだ」
「あぁ、そうだな。繋がりってのは大事だ」
ドイツの唐突な言葉に、プロイセンは頷いた。何かあったんだろうか。周囲と友好的な関係を結んでおくのは大事な事だ、孤立程恐ろしいものは無い。
が、弟にこれを言ったのは別にいざという時頼りになるかならないか分からない周辺国への心掛けというものではなく、あまり年の近い子供と関わる機会が無い彼がたまに親しい相手を見つけた時のためのものだ。勉強や訓練も大事だが、遊びだって大事だ。子供は全力で遊ぶべきだ。弟が珍しく今日はどこそこの誰々と遊んだ、と報告してきた時に、そんな話をしてやったと思う。
「ならどうしてスペインを返したんだ」
「……へ?」
プロイセンは目を丸くする。帰る途中の廊下ですれ違いでもしたんだろう、まさか弟の口からその名前が出てくるとは思わなかった。
「別にあいつは友達じゃねーよ」
「そうなのか?」
ドイツが不思議そうにプロイセンを見上げる。そうか、この子には友達に見えているのか。
「だったらなんなんだ? いつも楽しそうにしてるじゃないか。せっかく遠くからきたものを、どうして泊めもせずに返してしまったんだ?」
ドイツがまっすぐに質問を重ねてくるのに、思わずプロイセンはたじろいだ。友達じゃない。友達じゃないが、だったらなんだと聞かれても困る。大した用事がある訳でもないが、たまには声が聞きたいなと思ったら向こうの家に立ち寄ったり、もしくは向こうに来られたりして、それなりの頻度で会っているし、気が向けば関係も持つ。これは友達というよりどちらかというと恋人に近いような気がする。
あいつと恋人って。いやありえねぇよ。プロイセンは自分で思いついた考えを即座に否定した。自分とは縁の無さそうな単語だ。
「あぁ……やっぱ友達、かな?」
普段ならこういう時の上手い話の逸らし方くらいいくらでもできる気がするが、相手が弟だとどうもごまかすという事がしにくい。別にドイツに向かって嘘をつくような必要が事態が訪れる事も無いだろうと思っていたが、まさかこんな事でその事態に陥るとは思わなかった。
「なら大事にしなければ」
ドイツが心配そうに至極まっとうな事を言う。面倒な置き土産置いていきやがって、スペインの奴。
しかし友達と答えてしまった以上、友達を大事にしない兄だと思われるのは教育上良くない。今日は別の用事のついでに来ただけだったんだとかなんとかごまかせばいいのかも知れないが、弟の前でそういう事をしたくない。
「……ちょっと喧嘩しちまって」
「そうなのか? なら仲直りしなければ」
だろうな、そう答えるよな。いい子だヴェスト、俺の自慢の弟。仲直りって、スペインに謝りに行けってか。
けれど、多少言い過ぎてしまったとは自分でも分かっている。どうせ何度言っても同じ意味の言葉しか言うつもりはないが、もう少し柔らかい言い回しというものがあったんじゃないかと時間をおいてしまった今は思う。
「そうだな、ヴェスト。ありがとう」
もう近くにはいないだろうが、探すだけ探してみるか。それくらいの時間を割いてやってもいい相手だったと思う。プロイセンは弟の頭をくしゃりと撫でると、上着を羽織り屋敷を出る。足早に廊下を渡りよく整えられた庭を抜けると、通りへと出る門をくぐる。
ベルリンの街は活気に溢れ、大勢の人が行き来している。それは嬉しい光景だが、人探しをしている時には厄介だ。会える可能性は限りなく低いだろう。とっくにこの街を出ているかも知れないし、まだ近くにいるとしても簡単にたった一人が見つかる程小さな街じゃない。
「スペイン!」
まさか見つかるはずがない、と思いながら門を抜けた所でプロイセンは足を止めた。
「……なんでまだこんな近くにいるんだよ」
門に寄り掛かって能天気な様子でシエスタ中のスペインの姿に、プロイセンは思わず脱力する。なんだこの不審者。帰ったんじゃなかったのか。そして誰も追い払おうとしなかったのか。しなかったんだろうな、この屋敷にいる者はたまにここに顔を出す男をスペインだと知っているから。
隣に立つと、スペインがプロイセンの方を向いて笑った。
「俺が追いかけて来るって分かってたみたいじゃねえか」
「途中でドイツと会うたからな。上手くいけばドイツがお前に何か言うてくれると思っとった」
まさかこんな早いとは思わんかったけど。と明るく言ったスペインが、つまりドイツが自分を説得するようけしかけたという事だろうか。
「ヴェストに示しがつかねぇからな」
どうやら乗せられたらしい。さすがはスペイン、一筋縄じゃいかない。ドイツを使うなんて卑怯だと思うが、そんな事はスペインには関係ないだろう。結局彼を追いかけてしまったのは事実だ。スペインに対して不誠実な事をしたという罪悪感なんて一気に吹っ飛んだ。
「ドイツになんて言われたん?」
「友達と仲直りして来いって言われたぜ。お前、ヴェストに何言いやがったんだよ」
「別にたいした事は言うてへんよ」
そう言われても、どこまで信用していいか分かったもんじゃない。
ぱん、と軽く砂を払ってスペインが立ち上がる。弟に友達だと言ってしまったが、プロイセンとしてはもうなんの関係も無い相手だ。そう思うと、一瞬緊張する。油断ならない相手だと、たった今改めて突き付けられたばかりだ。
「それにしてもドイツはええ子やな、かわええわ」
プロイセンが警戒した事に気付いているのかいないのか分からないが、スペインがあっさりとそれを打ち砕いた。
「おう、なにせ俺様の弟だからな!!」
可愛い弟を褒められた事に一気に機嫌を良くしたプロイセンは元気よくスペインに返事をすると、よく分かってるじゃねぇか、と首を何度も縦に振る。
「ってちょっと待てよ。俺はヴェストの話をしに来たんじゃねぇんだよ」
作品名:お前にもう一度愛を込めたキスを 作家名:真昼