お前にもう一度愛を込めたキスを
プロイセン邸を後にしたスペインは、そこからしばらく南に向かった所にあるオーストリア邸で手作りのザッハトルテを食べていた。作ってくれたのはこの広い屋敷の主でありスペインにとって旧知の仲であるオーストリアだ。
プロイセンには追い払われてしまったし、かといってまっすぐ自宅へ戻るのもなんだか虚しい。マドリードに帰るには多少遠回りだが、オーストリアの綺麗な澄まし顔でも眺めに行こうかと南へ馬を駆けさせたのは、どうやら間違っていなかったらしい。と、スペインはフォークで自分の分のザッハトルテを切り分け口に運びながらすぐ隣の様子を窺う。
オーストリアは少し困ったような顔をしてテーブル越しにスペインの向かい側の椅子に腰かけている。
そしてスペインの隣の椅子では、もう一人の客である小さな子供が危なげなく大人用のフォークを使って同じザッハトルテを食べていた。そしてオーストリアを困った顔にさせているのは、スペインでなくこっちの子供の方だ。きちんと教育されているんだろう、食べ方が丁寧だと思う。
「これ旨いなぁ。さすがオーストリアやわ」
「あぁ、とても美味しいぞ、オーストリア」
その子供は、ついさっきまで取り付く島も無い様子でむすっとしていたのに、甘い菓子を口に入れた途端すっかり笑顔に変わっている。やっぱり子供はかわええなぁと嬉しそうにトルテを口にしているドイツを見てスペインは思わず頬を緩ませた。
「光栄です。まだありますが切りましょうか、ドイツ」
ドイツが笑顔になったのを見てオーストリアも嬉しそうに微笑む。。
戸惑ってはいるようだが、ドイツの世話を焼いているオーストリアは楽しそうだ。子供が好きというより、彼の場合単にドイツの事を好きなんだろう。幼いドイツに対して兄馬鹿なのは、プロイセンだけじゃない。ドイツの前から空になった皿を取り下げると、オーストリアがらしくもなく軽い足取りでキッチンへ向かう。
「え、あ、待ってくれオーストリア」
けれど途中でドイツがオーストリアの足を止めた。どこか必死さを感じる制止の声にオーストリアが振り向く。
「どうしたんですか、ドイツ」
「あ、いや、……その」
言いにくそうにくちごもると、ドイツがちらりとすぐ隣に座っているスペインを見た。なんだろうかとドイツの方を見ていたスペインと目を合わせてしまい、気まずげな顔をする。どうしたんだろうか。
「俺も行く! 手伝うぞ!」
スペインの視線を振り切る様に椅子から勢いよく立ち上がると、ドイツはオーストリアを追いかけてキッチンへ向かってしまった。小さな歩幅でぱたぱたと歩く様がなんとも子供らしくて愛らしい。
「手伝って貰う程の事などありませんよ?」
「皿くらい運ばせてくれ」
世話になっているのだから、と子供らしくない気遣いを見せたドイツに、なんだかんだ嬉しそうなオーストリアがドイツを連れて居間を出る。その背中を微笑ましく目で追って、スペインは思わず溜息をついた。うちの子分もあれくらい気が利いたらなぁとちょっと切なくなってくる。何が悪かったんやろ。
にしても、大丈夫なんだろうか。目に入れても痛くなさそうな弟がオーストリアの家にいると知ったら、多分プロイセンは烈火のごとく怒るだろう。力いっぱいオーストリアを罵るプロイセンの姿が目に浮かぶようだ。誰の家にいるよりも、プロイセンにとって目の上のたんこぶのようなオーストリアの家にいられるのが彼にとっては嫌なはずだ。
久し振りに会ったオーストリアの、上着の裾に隠れるように後ろに立っている小さな子供を見つけてしまった時は驚いた。まさかちょっと会わないうちにオーストリアに子分ができていたなんて。水臭いやん、なんで教えてくれへんかったの、と子供の頭を撫でようとして、その子供に非常に見覚えがある事に気付いた。同じゲルマン系だから似た感じになる、なんてものじゃない。オーストリアにくっ付いている金髪碧眼の利発そうな子供は、どう見てもさっきプロイセンの家で会ったばかりのドイツだった。
ドイツがオーストリアの家にいる事そのものは、それほどおかしな事でも無い。が、それをプロイセンが許すとは思えない。何かあったんだろうかと思うが、オーストリアに尋ねてみても首を横に振られてしまった。単にオーストリア領内にいた所を彼の部下が見つけてここへ連れてきただけで、理由は彼にも分からないらしい。
「ドイツ、そろそろ理由を聞かせて貰えませんか」
今に戻ってくると今度は少し悩んだ様子でオーストリアの隣に腰掛けたドイツが、オーストリアに問われてフォークをくわえたまま少し俯いた。
どうやらドイツに避けられているらしいという事は、距離をとられた事から伝わってきた。特に彼から嫌われるような真似をした覚えが無い。スペインとしては自分に対してはそっけないプロイセンがドイツの前では溢れんばかりの笑顔を見せるんだろうと思うと嫉妬心を覚えない事も無いが、そう広くはないテーブルの対角線上で俯いている子供を見てしまえば、可愛がりたい気持ちはよく分かる。
「……その」
ドイツが言いにくそうに言葉を濁らせる。そしてちらりとスペインの方に視線を向けた。けれどスペインと目が合うとまた気まずげに目をそらされる。俺が一体何したっていうねん。せいぜいお前の兄ちゃんに懸想しとるぐらいや。
「俺がいると言いにくい話やったら、席外しとるで」
親戚同士のややこしい話でもあるんだろうか。プロイセンとオーストリアの対立は、ドイツにとっては当事者の一人だろうがスペインにとってはあまり関係の無い話だ。
「シエスタしとるわ、隣の部屋借りとるから後で呼んでな」
「そうですね、後で起こしに行きます」
オーストリアが頷く。けれどそれを意外にもドイツが止めた。
「スペインが…っ…!」
「俺がどうしたん?」
ドイツの手元の皿が壊れそうな程に睨みつけられている。今はまだ可愛いものだ、直接その視線を向けられた所でなんという事は無いだろう。けれどさすがはプロイセンの弟だとその剣幕を見て思う。大人になったらさぞや周囲に威圧感を与える男になるだろう。
「どうしたんって聞いとるやん。答えれへんの?」
スペインの名前を呼ぶ声にピリッとした敵意めいたものを感じて、スペインは少し強い語調で黙ったままのドイツに先を促した。ドイツが顔を上げる。
「その……兄さんとキ…スをしていたな」
そして言いながら顔を真っ赤に染めた。驚いてスペインは手に持っていたフォークを落としそうになってしまった。見られてたのか。多分プロイセンの屋敷の門の前で、強引にキスをした時だ。心配になって様子を見に来ていたんだろう。
「え……まぁしとったけど」
目の前にいるプロイセンでいっぱいになっていた。子供に見られていた事にも気付かないとは不覚だ。多分プロイセンも気付いていないんだろう。知っていたらその場で大騒ぎして、下手をしたらスペインの体に拳どころか彼の剣が叩きつけられていたかも知れない。危なかった。
「それを見てしまって、ショックを受けて家から出てきたんですか?」
「……あぁ」
作品名:お前にもう一度愛を込めたキスを 作家名:真昼