ターンワルツ
アルフレッドはさも嫌そうな顔をして頷いた。
普段は散々ガサツだとか落ち着きが無いだとかいつまで経ってもガキのままだとか、何をやってもケチをつけて馬鹿にしてくる癖に、上流階級の気取った場所では、子供を語る親のような顔をして、甘ったるい声で、蕩けそうな笑みを浮かべて、あいつは俺にとって自慢の弟です、などと他人に話している姿を目撃しようものなら、怖気のあまり全身から蕁麻疹が噴き出してしまう。そんなアーサーなんて死んでも見たくは無かった。
「ふーん?」
偽善者か、とアーサーは弟からの手厳しい糾弾に微苦笑した。
聡明な青年に成長したアルフレッドを、幼かった頃のように甘やかして接する事は出来ず、小さな弱点を見つけては必要以上に非難し、難癖をつけるようになっていた。守らなければいけない小さな子供ならまだしも、自分と同等の能力を持ちつつある同性に対して馴れ合った関係を保つことは生理的に受け付けられず、どうしても物言いがきつくなってしまうのだ。
いつの間にか身長を追い抜かれたあたりから、噛みあわなくなった歯車のようにぎくしゃくし出した自分達の関係だったが、しかし接し方が変わっただけで弟への気持ちは変わっていないつもりだった。認めているからこそ、ついつい態度が峻厳になってしまうのだ。
(卑怯と、偽善……か)
見目麗しく成長したアルフレッドを正装させれば、どこぞの貴族の坊々なんかよりもよほど高貴で凛々しい姿に作り上げられるだろうとは、容易に想像することができた。生まれ持った華のあるオーラを如才なく漂わせる弟を後ろに控えさせておけば、きっと何よりの自慢になるし、これ以上ないくらいの優越感に浸る事が出来るのだ。
(こいつの言うとおりだな)
自分の見栄のためにアルフレッドを社交界へと引っ張り出そうとしているのだから、彼の言葉の通り、自分は卑怯な偽善者に過ぎないのだということを、アーサーは否応なく気付かされた。
でも、一つだけ心外なことがあった。
(嘘を言ってるつもりはねぇんだ)
いつもは面と向かって言えないだけで、弟を称えるために発された言葉たちは、どれも偽りではなく本物の気持ちだった。そこを誤解されたままなのは遺憾だ。
「だったら、俺がお前を褒める言葉を聴くの、今から慣れとけばいいんじゃねーか?」
アーサーは壁に預けていた背を取り戻すと、弟の元へと歩み寄って、まだ湿り気を帯びているその髪に触れた。
「え?」
ソファの背凭れに腰を下ろしているせいで、いつもと逆転した高い位置から弟の顔を見下ろしたアーサーは、怪訝そうに細められている双眸を無視して、ゆっくりと唇を開いた。
「お前は、俺の自慢だよ。アルフレッド」
「っ……!」
瞳を見詰めたまま低く落とした声音で囁いてみれば、その空色の瞳が驚愕に見開かれた。
「見違えるほど精悍になった。陽に透けて輝く黄金色の髪も、晴天の空のような美しい瞳も、俺の知る誰よりも美しい」
髪に触れていた指先を一旦離すと、滑らせるように下に降ろし、掌で頬を包み込んだ。
「その類稀な才能はこれからもどんどん大きくなるだろう。お前は俺なんかよりもよっぽど大きな器を持っている。お前の成長を見るのが、俺は何よりも嬉しいんだ」
その大きすぎる器量に嫉妬しないと言えば嘘になる。気持ちが焦らないといえば嘘になる。しかしそれは同じ男としての自尊心が同じ土俵に立つ好敵手として彼の存在を認めている証拠であり、もう一方の保護者としての部分では、弟の逞しいまでの発達を心の底から嬉しく思っていた。
「俺とは違って太陽の下で育ってきたお前は、大人になっても子供のような純粋さを持ち続けた。お前のその明るさは、俺の心をいつも癒すんだ。昔と変わらず、」
頬を覆ったままの掌から親指だけを浮かせて、薄く開いたままのアルフレッドの唇にそっと触れた。指の腹で薄いけれどしっかりとした肉感のある下唇をなぞり、その感触を楽しむ。
「お前は、俺の誇りだ」
素直な感情のままに囁けば、表情にも自然と穏やかな笑みがのぼった。滅多なことでは口にできない、こんな機会でもなければ恥ずかしすぎて絶対に言えない台詞のオンパレードだったが、最初のきっかけさえ乗り越えれば、言葉はすらすらと喉の奥から滑り出て行った。
「……パーティーなんてお前を連れ出すための口実で、本当はお前とイブを過ごしたいだけなのかも知れねぇな」
聖なる夜を、こいつと一緒に。
何よりも大切な、宝物のような弟と、共に過ごしたい。
アーサーはそのまま顔を近付けていき、アルフレッドの耳朶に吐息に近い声音を吹き込むようにして、言葉を続けた。
「――――――――」
「…………、」
アルフレッドはポカンとした間抜け面で、とても近い距離にある兄の碧色の瞳を呆然と見上げていたが、ふと我に返ったようにその頬を僅かに朱に染めた。
「っ……、俺は、別に君のことなんて、」
硬い口調で罵るようにして兄から顔を背けようとしたが、アーサーはそれを許さず、ぐっと顎を持ち上げて弟の顔を強引に上向けさせた。
アルフレッドは悔しそうに歪んだ唇を噛み締めるようにして、心中の動揺を必死に堪えようとしているようだが、小刻みに震える瞼と微かに潤んだ瞳、そして耳朶まで紅潮している顔面を隠す手段は無い。
「唇、噛むなよ。切れんだろ」
呆れたように呟いたアーサーは、犬歯を突き立てられてへこんでいる唇を労わるそうに触れると、そのまま其処に自分の唇を近付けていった。
「っ……!」
強引な口付けに驚いたアルフレッドは顎を引いて逃げようとしたが、がっしりと顎骨に沿って掴まれているので何処にも逃げ場はない。兄の着ているこげ茶色のベストを皺になるほど握り締めて、それ位しか抵抗する術は無かった。
アーサーは閉じ掛けていた弟の唇を無理やり抉じ開けて舌を潜り込ませると、竦んでいた舌を誘うように突つく。押し返そうとして伸びてきた所を巧みに捕らえて根元から絡め合わせ、強く吸引した。
「んんっ……!」
舌を重ねたまま、ちゅ、ちゅく、と何度も唇を鳴らして角度を合わせ直す。ちらりと目を開けて見ると、アルフレッドは眉を顰めて上気した顔で、きつく瞳を閉じて兄からのキスを受けていた。ベストを握っている掌が小刻みに揺れている。
「アル」
「……ん……はぁ、」
名残惜しい気持ちを残しながらも深く合わせていた舌を解くと、たちまち喉の奥から熱い呼気が生まれて来た。背凭れの無い場所に腰かけていたアルフレッドは、身体を支えていられずに思わずアーサーの胸の中に倒れ込んでいた。
「24日、迎えに来るからな。逃げんなよ」
腕の中に落ちてきた身体を抱きしめ、少し湿った黄金色の髪を梳いてやると、シャツの中に顔を埋めているアルフレッドから、悔しそうなうめき声が漏れた。
「……ぜったい、行くもんか」
くだばれ、アーサー、と力なく呟いて、すっかり握り跡のついて皺くちゃになってしまったベストの胸を八つ当たりのようにポカポカと殴りつける。
(詐欺だ……絶対……!)