独立前夜
アメリカがイギリスの為に整える部屋は決まっている。今更「いつもの部屋だ」と声をかけられるまでもない。用意されているのは、アメリカの寝室の隣の部屋だ。
アメリカがまだ小さかった頃。たまに顔を見せにくるイギリスを引き止めたくて、アメリカが自身の寝室の隣を「イギリスのために色々準備したんだぞ」と開放したのが始まりだ。
その後は「今日も泊まっていくんだろ。いいじゃないか、泊まっていきなよ」になり、「こんなことになると思った」に変わり、最後には互いなにも言わなくとも準備が整っているようになった。
部屋は正規の客室ではない。個室として使えるよう作られてはいるが、本来はアメリカの寝室の続き部屋だ。アメリカが成長してからは、二つの部屋を隔てる扉に鍵がかけられ、互いの行き来はなくなったが、アメリカが小さい頃には鍵どころか、扉自体も開いたままだった。
アメリカが眠れないといってはイギリスのベッドに潜り込み、深夜にイギリスが眠ってしまったアメリカを抱いてベッドに戻す。そのままアメリカのベッドでイギリスが寝入ってしまうことも珍しくなかった。
そんな小さな記憶が降り積もり、今ではいつ来ても、まるで今朝まで寝起きしていた自室のような気兼ねない親密さが満ちている。
イギリスは明かりも付けず、暗がりの中で迷わずベッドまで歩いた。掃除され、洗い立てのシーツでベッドメイクされているのを、確かめてみるまでもない。それもイギリスが口をすっぱくして言ってきたことだ。アメリカは、面倒だ、イギリスは口うるさいと言いながら、この部屋だけは今でもイギリスの好みに合わせてくれる。イギリスは糊の効いたシーツの手触りに、この日も自宅に戻ったようにほっとした。
なにもかもが億劫で、適当にタイを解き靴を脱ぐと、イギリスは倒れ込むようにベッドに突っ伏した。
頭が痛いというのは、半分は嘘だ。実際にこめかみはひどく痛み、鳩尾まで痺れるような不快もあったが、そういう感覚には昔から慣れていた。多少の頭痛なら耐えられもするし、どんな痛みでもしばらく休めばいつかは消える。頭を痛めているのは、別のことだ。
アメリカが近頃言い出した話が、イギリスの消えない頭痛の種だった。
――イギリス、もしも俺が君から独立するって言ったら、どうする。
アメリカが初めてそう言ってきたとき、イギリスは一瞬ぽかんとして、次の瞬間、下手な笑いで混ぜっ返してしまった。
――くだらないこと言ってんな。そんな暇あったら部屋でも片付けろよ。お前、また足の踏み場もなくしちまっただろ。危ねぇよ。
ちょうどアメリカの散らかした部屋について、小言をたれた後だった。笑って、近くに放置されていた本を冷やかしに手に取ると、アメリカは少し困ったように眉尻を下げた。
それから、アメリカは思い出したように、その話を持ち出すようになった。
最初は冗談交じりにも思える口調だったそれは、繰り返されるごとに徐々に真剣味を帯び、やがて厄介な議題に成長した。
なんとか俎上に載せたいアメリカと、うまく牽制してかわしたいイギリス。そんな二人の間で、先程の会話はもう何度となく交わされたやり取りになっていた。昨今ではイギリスが機先を制してアメリカの言葉を摘み、まともに話をすることもない。それでもアメリカは飽かず話題を持ち出してくる。
頭痛がおさまらないのは、ただ忙しくて疲れているだけではないことを、イギリスはとうに気付いていた。
目を瞑っていたかっただけだ。アメリカの言い出したことに。
問題に向き合って、アメリカの言い分を聞くことも、アメリカがどうして独立という志向に至ったかを推し量ることも、イギリスにはずいぶん気力が要った。それを搾り出すことが、どうしてもできなかった。
目前の問題をいくら先送りしても、消えてなくなりはしない。わかっていて、気付かない振りをし続ける卑怯さへの自覚もあった。アメリカが話をしようとする気配に、イギリスは内心でかすかに怯えに似た感情が滲むようになっていた。それがひどく苦しく、同時に自身の内罰意識を表わしたように襲う頭痛が、滑稽でもあった。
とにかく眠ることだ。イギリスはきりきりと痛み続ける頭痛に小さく呻き、そっと寝返りを打った。闇に目が慣れると、足元に差すカーテン越しの月明かりすら眩しく感じる。シーツに顔埋め、閉じた瞼を更に掌で覆い隠す。暗さを増した闇と静けさに安堵して、イギリスは細く息を吐いた。
閉じた瞼を覆う掌の感覚が、不意に昔の思い出を過ぎらせた。