独立前夜
昔、アメリカの家で頭痛が起きて、我慢ができなくなったことがある。最初は黙っていたイギリスはやがて耐え切れなくなり、さきほどの会話のようにアメリカに告げた。
――今日は終わり。また明日、遊んでやるから。
しかし、まだほんの子どもだったアメリカはおさまらなかった。久しぶりの再会で、遊びたい盛りだったのだから当然だ。カウチに背を預けたきり動かなくなったイギリスに、アメリカはいつまでもじゃれて纏わりついた。
騒々しさや採光の恵まれた部屋の明るさに耐えかねて、イギリスはとうとうアメリカにこう頼んだ。
――ごめんな、今日はどうしても頭が痛くて。少し静かにさせてくれ。
――あたま痛いの? どうして? どんなふうに?
――どうしてかな。多分ちょっと疲れたりすると、そうなるんだよ。頭の芯ががんがん響くみたいになる。大きな物音とか、眩しいのとかがすごくつらいんだ。
――ふうん……?
首をかしげた仕草が、いかにもあどけなかった。想像をめぐらせてはみたものの、ちっとも想像がつかない。露骨にそんな様子だった。それでもアメリカなりに考えたらしく、わかった、と呟いて部屋を出て行った。イギリスはやっと静かになって、どっと息を吐いた。
少しして、アメリカが部屋に戻ってきた。扉を開け閉てする音が珍しく静かだ。イギリスが目を閉じたままでいると、アメリカはいつも全速力で駆け寄ってくる三倍以上の時間をかけて、足音をひそめて近付いてくる。
わかったと言ったのもつかの間、なにかいたずらでも考え付いたのか。静けさに訝しい気持ちでいると、なにかがふわりと膝に触れた。
イギリスが驚いて目を開けると、アメリカのお気に入りの毛布が掛けられていた。
「アメリカ?」
呼びかけられたアメリカは、イギリスの後ろに回っている。肩越しに様子を見ると、アメリカはカウチの真後ろに、運んできたらしい自分用の小さな椅子にのぼったところだった。
「どうした」
「いいから、イギリスは寝てて」
アメリカは口に手をあて、イギリスにそっと耳打ちしてくる。
「お、おぅ」
なにをされるか予想もつかぬまま、イギリスは恐る恐る背凭れに身を凭せ掛けた。すると後ろから小さな手が回ってきて、イギリスの目を覆うように触れた。
起きたのは、それだけだった。
子どものあたたかい掌が、優しく押し付けられている。耳を澄ますと、時折すぐ近くでアメリカの規則的な呼吸が聴こえる。
普段アメリカの奇抜ないたずらに驚かされているイギリスにとって、この静けさはかえって事件だった。
「アメリカ……?」
どうかしたのかと問おうとすると、耳元で「しーっ」とそれを制する声がした。そして内緒話するようにアメリカは声をひそめると、イギリスの耳元に口を寄せて、
「静かにしてて。眩しいのからは俺が守ってあげられるけど、手は二つしかないから、耳までは押さえられないんだぞ」
子どもらしい発想がおかしくて、イギリスは小さく笑った。
「なんで笑うんだ」
「いや、すごいなと思って。アメリカが俺を守ってくれるのか」
「うん!」
「じゃあ、お前は俺のヒーローだな」
「ヒーロー?」
「弱い者や困った人を守る、強くて優しい、正義の味方のことだよ」
小さく振り向いて教えてやると、アメリカの顔がぱっと輝いた。
「俺、ヒーローになる! 今から俺はイギリスのヒーローだ! だからイギリスのこと、守ってやるんだぞ!」
「そっか。じゃあ、頼むよ」
「わかった!」
アメリカの熱い手が目元に押し付けられる。
俺が守ってやらなきゃと、ずっと思っていたのに。アメリカが俺のことを守ってやると言い出す日がくるなんて。イギリスはアメリカの成長と、その柔らかな手の力に、穏やかな気分が身体中に染み入るのを感じた。
小さな手で作られた暗闇が光の刺激を抑えてくれる。耳元でする子どものかすかな呼吸音に、過敏な神経は徐々にくつろぎ、イギリスはいつしか眠りに引き込まれた。
あの日からだ。自分の興味の対称以外には滅多に神経を働かせないアメリカが、イギリスの頭痛の気配にだけは敏感になったのも。多分、アメリカの口癖が、「俺はヒーローだ」になったのも。
頭痛をこらえて無意識に掌で瞼を覆うたび、イギリスは今でもそのときのアメリカの掌の熱を思い出す。