HYBRID RAINBOW
慣れた浮遊感の後、恐る恐る目を開けたら見慣れた自分の心の部屋の真ん中に立っていた。
おもちゃ箱をひっくり返したみたいだ、といつももう一人の自分が笑う、部屋に。
「もう一人のボク・・・?」
辺りを見回してももう一人の遊戯の姿はない。
「・・・!」
さっきのヴィジョンが過ぎって、無意識に身体が震える。竦みかける足を何とか動かして扉へ向かった。
回廊を挟んで向かい合う、彼の部屋へ。
――――確かめないと。
入り口まで辿り着いて、そこで遊戯は一瞬躊躇した。
ほんの僅かに開かれた、石造りの扉。
・・・大丈夫。彼は大丈夫。必ず戻ってきてる。それを確認するだけでいい。もう少しだけ押し開けて、中へ。
「――――相棒!」
だから、本当に思わぬ距離に彼が立っていて。
飛び出そうとしていたらしい所に正面から危うくぶつかりそうになって、驚いた。
「無事、だったか、相棒…!」
・・・本当に、驚いたんだ。
彼が、こんな心から安堵したような、でもそれだけじゃない色々なものが詰まった表情を浮かべるから。
胸の奥がぎゅ、と締め付けられるような気がするほど、痛い。ゆっくりと自分に伸ばされた指先が、確かめるべきかを戸惑うように、僅かに震えたような気がするから。
だから。
「・・・ッ」
ほんの2、3歩も離れていなかったその距離を一気に詰めて、しがみつくように、強く抱き締めていた。
途端、強張っていた彼の身体から、ふ、と力が抜ける。
受け止めてそのまま背中に回してくれた手が、宥めるように何度も背を撫でてくれた。
「…相棒」
・・・呼んでくれた。
耳元で繰り返されるそれに何度も頷いて、ようやく、遊戯も力を抜いた。
トン、と一歩下がって、もう一人の遊戯が背にしていた壁に身体を預けて、2人ずるずると離れないまま座り込む。
もう一度、もう一人の遊戯が耳元で息を落とした。
「・・・よかった、無事で」
…戻って来れた事よりも何よりも。
そうして呼んでくれた事に、堪らない安堵を感じる自分がいる。
ゆるゆると視界が歪む。
温かい水の膜に覆われて、揺れる。
「・・・あの場所で離れた後」
肩を濡らした温かいものには気付かないふりをしておいて、そっと囁くようにもう一人の遊戯は口を開いた。
「色んなヴィジョンを見た。過去の…記憶のようなものだったけれど、その中で結構強烈なのもあったぜ」
「・・・どんなの?」
「それに反発したお陰であそこから出られたような気がするな」
最後に見た幻想の中で、自分は『武藤遊戯』だった。
パズルに魂を封じた記憶をなくした古代の王ではなく、もう一人の武藤遊戯。
それに疑問を感じる事もなく、記憶を求める事もなく、安穏とした日常を皆と触れ合いながら生きていく。
時に闇に罪人を裁く、ただの闇のゲームの番人として。
「…ただ、お前とこうして話す事も、触れる事も知らないまま」
――――オレはそれが嫌だと思った。
だって、それには意味がない。
疑問にさえ思わずにいれば、ずっとこのままいられたのかもしれない。
だが、きっとこんな気持ちも、暖かさも、優しさも何も感じる事はきっと出来なかった。
だから。「返せ」、と。
真っ向から、否定した。自分の望みはこれじゃない、と。
「…ボクはね、学校にいたよ」
皆も一緒に。いつもと同じように笑って、話して、ゲームだってしてたんだけど。
「ただ、ボクはパズルをしていなかった」
淡々と、綴る言葉をもう一人の遊戯は黙って聞いている。
「普通だったよ。普通だったけど、振り返った先に何もなくて」
・・・キミがいなくて。
この世界は偽物だって。
「戻りたい、って思った」
キミの所へ戻りたい、って。強く。
…そうしたら、帰って来れた。
「・・・アレ、思い出したよ。――――美術館に行く前に見た、ボクの夢だ」
すごく、すごく怖くて。ほとんど泣きそうになりながら飛び起きてから、もう思い出さないように忘れたふり、してたけど。
「…オレも判ったぜ。あそこで見た事」
「うん」
「…オレのも"夢"だ。いつかもう忘れたけど願った方の、夢」
「・・・うん」
「あそこには、オレたちが無意識に弾き出した、ものが、あったんだろうな」
誰よりも近くにある、隣り合った2つの心。
混ざり合った心の回廊はどちらでもない場所、だったということだろう。
心の奥の無意識の願い、恐れ、望み、不安、希望、諦観。
2人共の心の迷いまで、写しとった場所。
――――確かに。
確かに、あの時。あの回廊を手を繋いで歩きながら、ずっとこのまま、と願った。
それはひどい誘惑だった。
けれど、自分たちは自分たちの意思でそれをはねつけた。
…どうしてかは、今は判ってる、つもりだ。
ふふ、とまだ目の端に残る涙をそのままに遊戯は笑った。
「キミは、何か他のは見た?」
「・・・ナイショ、だ」
「わ、それ酷いよ、気になるじゃない!」
「是非気にしててくれ。・・・相棒は?」
自分の事ははぐらかして逃げた彼にブツブツ言いながら、それでも相棒はうーん、と記憶を辿っている。
「…ボクとね、キミが最初から兄弟だった、なんていうのがあったよ」
「どっちが兄だ?相棒ならオレは弟でも構わないぜ」
「いっそ双子とか良いよね。学年も同じでいられるよ」
・・・でも。
「でも、今が良いよね。・・・今じゃなきゃ、だめだよね」
他にどんな形があったとしても、今までの時間の積み重ねがあったから、こうしていられる。
他の何より近い所にいてくれたその存在を、認められてよかった。
話せて、よかった。
触れられてよかった。
何度もぎりぎりのラインを渡ってきたけれど、いつも2人だったから。
そうだな、彼は静かに頷いた。
「・・・もしも、なんて不確かな事は言いたくないしな。それにオレたちは、オレたちだけの力でここまで来た訳じゃない」
皆がいたから、だ。
仲間がいて、ライバル達がいて、そして一緒に来れたから、今自分たちはこうしてる。
…パズルのピースだ。一つ欠けたって、完成する事はなかった。
1人では無理だ。そして2人でも。
もっとたくさんの人の中で、自分たちは生きてる。もっと大きな流れの中で。
「…いっつも一杯一杯だったけど精一杯やってきたよね」
「ちゃんと自分の意思で選んできたしな」
失っていた名を取り戻しても、記憶が還っても。揺るぎない事実はここにある。
過去は消せない。時間は元には戻らない。
もうすべてをなかった事にして、すませる事は出来ない。
お互いにとって代える事のできる存在など、何処にもありはしない。
繋がっているのは手だけじゃない。心だ。
心の奥の深い部分で、交わした約束だ。
もう一人の自分と、皆と。それぞれが交わしたそれが複雑に絡み合って、今を形作っているのだから。
――――あんな夢に、囚われる筈がない。
互いにようやく視線を合わせて、至近距離で見つめ合う。
「――――ありがとね」
「…オレの台詞だぜ、相棒」
額を合わせて、それから子供のように笑いあった。
「――――『相棒』であるお前に、恥じない自分でいたいよ」
目を閉じたまま、もう一人の遊戯は僅かな笑みを口の端にのせた。
作品名:HYBRID RAINBOW 作家名:みとなんこ@紺