いつか空の下
ああ、やばい、やること無さすぎて考えをめぐらしていたらとてもテンションが下がってきたぞ。
とりあえず暇で死にそうだからせめて話し相手がほしい、かわいい女の子だったらなお良し。
そんな俺の希望が通ったのか扉が開いて白衣をまとった妙齢の女性が入ってきた。
「うん、思ったより年いってるけど、全然あり! ノーチェンジで」
「開口一番失礼なこと言うのね、あなたは」
その白衣の女性は額に手を当ててため息をつく。
「分かってますよ、シチュエーション的に俺の主治医さんでしょ?」
「ええ。その様子だと、結構元気そうじゃない、安心したわ」
それから俺は女医さんから色々と自分の容態を聞かせてもらった。
俺が昏睡状態になったのは二週間ほどだという。
外傷はご覧の有り様だけれど、奇跡的に目立った内臓系の損傷はほとんどないという。
しかしまだ脳の方に障害が残っているかもしれないのでしばらく検査が必要とのことだ。
手足も治療やリハビリに時間はかかるけれども、じきに事故の前とほとんど変わらない状態で生活できるくらいに完治できると彼女は告げた。
「それからあなたが眠っている間もいろいろと検査させてもらったのだけれどね、血液検査の結果でね……」
「あー、じゃあもうばれちゃってるんですね。参ったなー、たはは……」
ごまかそうと笑ってみせたものの、女医さんの顔は恐いままだ。
どうやら俺は盛大に空気を読み間違えたらしい。
気まずくなって思わず彼女から目をそらした。
「まあ、あなたがどういう経緯でそういう過ちを犯したのかは今は聞かないでおきましょ。それはそうと今は大丈夫?」
「大丈夫って……?」
「決まってるでしょ、依存症状よ」
「ああ、なるほど。言われてみればなんとも感じないですね」
「そう。まだ重度の依存になるまで乱用していなかったのと、事故のせいで強制的にしばらく絶っていられたのが良かったんでしょう。まさに不幸中の幸いね」
「……」
……なんという皮肉。
しかし身体的依存症が残っていなくとも今後精神的依存症状が出る可能性もあるという。
そのためある程度事故の外傷の治療が進めば、平行してそちらの治療も受ける必要があるだろう、と彼女は言った。
この病院から解放されるには途方も無い時間が掛かりそうだった。
だが逆に言えば、それだけの時間を掛ければ俺の身体は事故の前よりも、いや、薬の依存性もほぼ抜けてしまっているそうだからそれ以上の健康体になれるというわけだ。
けれども俺の心はちっとも晴れなかった。
……いまさらそんなもの取り戻せたからってなんだっていうんだ。
あの日から。
俺の人生が狂いだしたあの日から。
この世界に俺が生きる場所なんて無くなってしまった。
誰を憎むわけにもいかない、全部俺のせいでこうなったんだから。
全部、全部、俺のせいで。
……あー、せめて体を自由に動かせれば、沈んだ気分も忘れられるのに。
いっそのことふて寝してしまおうかと思ったが、長い眠りから覚めたばかりで残念ながら全く眠気を感じない。
はあ、とため息をついて誰もいない部屋を見渡す。
ふと、先ほどの女子生徒が残していった私物が目についた。
彼女のことを女医さんに聞いてみたのだが、どうやら彼女は俺が事故にあった時にたまたま居合わせて、とっさに応急処置を施してくれたのだという。
いわば命の恩人だと言うわけだ。
荷物が置きっぱなしだからそのうち彼女はまた部屋に戻ってくるだろう。
そのときはお礼を言わなきゃな。
女医さんが言うには、彼女は毎日わざわざ俺のところに通って様子を見に来てくれていたという。
どうしてあの女子生徒はそこまで俺のことを気にかけてくれるんだろう?
見ず知らずの俺のために彼女の時間が削られるのはとても理不尽じゃないか。
そんなことをぐるぐる考えていると、部屋のドアがかすかに開いているのに気が付いた。
隙間から警戒心満々の丸い目がのぞいている。
すぐに例の女子生徒だろうと分かった。
苦笑交じりに俺は声を掛けた。
「ほら、遠慮せずに入ってこいよ。とって食ったりしないから」
俺は警戒心を解こうと唯一動く右手で手招きしてやった。
まるで小動物をなだめている気がして少しおかしくなった。
彼女はしばらく迷っていたが、やがて小さく「おじゃまします」とつぶやいて部屋に入ってきて、ベッドのそばの椅子にちょこんと座った。
俺の顔を真正面から見るのが気まずいのか、じっと下を向いている。
「あー医者から話を聞いたよ。あんた、俺の命の恩人なんだってな、ありがと」
「そ、そんなお礼なんて!私は私のできることをやっただけですから!」
彼女はあわあわと両手を振りながら謙遜する。
なんて謙虚でいい子なんだ、俺なんかとは大違いだ。
「それにあの応急処置全部、漫画とかドラマで見たやつの真似しただけですから!」
「なにそれこわい!!」
……まあ俺はこうして助かってるわけだし、結果オーライ、ということなのかな……。
そういうことにしておこう、うん。
「……まあなんにせよありがと。今はこんなんだからなんもできないけどさ、元気になったらお礼させてもらうよ。いつになるか分からないけど……そだ、君名前なんていうの?」
「ユイです!遠慮せずにユイにゃんっ☆って呼んでください!」
「……え?」
一瞬聞き間違えかと思ったがそんなことはなかったらしい。
なぜなら彼女はご丁寧にいわゆるネコのにゃんにゃんポーズをとっていたからだ。
今の女子高生の流行か何かなんだろうか……
「そう……なかなか愉快な性格をしているんだな、ユイは……」
「その言い方はなんじゃあああああ!」
俺はユイの変なスイッチを押してしまったらしく、急にユイは猛烈な勢いでつっこんできた。
だんだんこいつのキャラが分からなくなってきだぞ俺は……
すぐにユイも我にかえったらしく、はっ、として、すぐに涼しい顔で口元に手をあてておほほほと笑った。
しかしいまさら猫かぶっても、もう彼女の本性を垣間見てしまった。
「……まあ、いいや。俺は日向……って部屋に名前書いてあるからもう知ってるか」
「はい、日向先輩!毎日通っていたので、先輩のことは大体把握しているであります!」
「え、なにそれ、どこまで俺のこと知ってるの!?こええよ!」
単にお人よしだから俺のことを心配してくれてるのかと勝手に予想していたけれど、なんだそれ、ストーカーか何かのノリだったってのか……?
ひょっとして俺はとんでもない奴に命を救われてしまったのかもしれない……。
混乱する俺の心を知ってか知らずか、ユイは容赦無くもう一投爆弾を投下した。
「だって先輩は私の運命の人なんですもん!毎日通うのは当然のことですよ!」
「はあああああ!?ちょ、お前今なんつった!?」
「当然ですよ?」
「違うその前だ、前!」
「毎日通う?」
「もっと前だよ!わざとやってるだろお前!!俺がお前の運命の人だって?なぜ?ホワイ?何を根拠にそんなこと……」
ユイは胸に手をあてて謎の自信に満ちた顔で言った。
「私が、そう思ったからです。だから先輩は私の運命の人なんです。いけませんか?」
「全然よくねーよっ!」
「えー……私、先輩とキスしたこともあるんですよ?」
「え……えっ?」
「人工呼吸ともいいますが」