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然らば、あえかなる日々

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「……薬漬けって、まるで薬中みたいな云い方して」
新羅の言い草に文句を云いながら、臨也は新宿に降り立つ。電車に乗ってから貰った袋の中を確認すると、ビタミン剤が半月分と眠剤が三錠、そしてカモミールティーの缶が一缶、云われた通り行儀よく座っていた。
新宿駅構内を歩きながら、臨也は手に持った袋を少し掲げると指で弾いてみる。カン、となるカモミールの缶。さて此れを如何したものか、と一瞬悩み、臨也は事務所へ向かっていた足を止め、ぐるりと反転すると南口方面へ向かう。ティーセットなんて洒落たものを用意していなかったのを思い出し、如何せなら此の際揃えてしまおうと思ったのだ。
モザイクロードを抜け、大雨の時の中継で有名な南口前の横断報道を渡り、コーヒーショップの窓際を陣取る人の注目を素早く集めつつ、臨也はサザンテラスを闊歩。何も気にせず歩き回れる街の空気を此処ぞとばかりに堪能する。
やがてお目当ての店に入ると、臨也はティーポットとティーカップを選んだ。薄く木の実の柄が入った白のティーポットとティーカップ。店員に運んでもらいながら、「ティーカップが一組ってのは格好悪いか」とらしくもなく格好を付け、結局二組買ってしまった。
大きな紙袋を大事そうに抱えながら事務所に戻ると、臨也は早速包みを開く。ソーサーを手に、もう片方の手でティーカップを蛍光灯に掲げると、我ながらいいものを選んだ、と自画自賛する。一式のティーセットは一目惚れだった。
暫くしげしげとティーセットを眺めていたが、はたと気が付いて時計を見る。既に夜の十時半を回っていた。 ……今日は随分と寄り道したなぁ。小さくそう溜息を吐くと、臨也は何を食べようか、と考える。けれど、思い浮かばない。
「別にお腹も空いてないし、こないだと同じでいいか」
そう独り言を云うと、臨也は座っていたソファーから立ちあがりキッチンへ向かう。冷蔵庫からミネラルウォーターと小さな容器、そして、小瓶を取り出す。其れから帰りがけにクラッカーの箱とバターナイフを持つのも忘れない。
ソファーに戻ると、臨也はテレビを付ける。そうして、箱からクラッカーを取り出すと、冷蔵庫から取り出してきた容器のふたを開け、バターナイフで中身を掬いあげる。真っ白な其れは、マスカルポーネチーズ。たっぷりのマスカルポーネをクラッカーに載せ、其処に小瓶のエスプレッソシロップをかけた。其れを口に運びながら、ニュースに耳を傾ける。ニュースでは歌舞伎町で起きた火災事故を伝えていた。死者は出ていないものの、状況から消防法に違反していた疑いが強い、とのこと。 ……怖いなぁ、焼け死ぬのは絶対厭だなぁ、などと、臨也は他人事な感想を述べてみる。
其れから政治や、海外のニュースを見ながら、二つ三つ、同じようにしてクラッカーを食べると、食事を終了させてしまった。テレビを消し、全てを然るべき場所に戻しながら、斯う云う食生活だから新羅にお説教をくらうのだ、と臨也は苦笑する。其れからまたソファーに戻り、新羅から貰った薬をテーブルにぶちまけた。
各種ビタミン剤の他に、鉄分やマグネシウムなどのサプリメントが入っていた。其れら一つ一つを確認するように眺め、手に取ると臨也は飲みかけのミネラルウォーターで胃に流し込んだ。ふぅーと溜息を吐き、今日はシズちゃんの所為で疲れた……、と呟く。事務所に寝泊まりするのは、己の身の安全上あまりよくはないのだけれど、移動するのも面倒、シャワーを浴びるのさえ億劫に感じられる。風呂は明日にしようと決め、臨也は洗面所に向かった。

寝る支度を済ませて、臨也はキッチンに突っ立っている。手には、カモミールティーの缶。折角だから試してみようと思い、臨也は包みを破る。ぱかりと缶の蓋を開けると、ティーバッグが入っていた。其れに安心して、一つ取り出すと買ってきたティーポットに放り込み、お湯を注ぐ。少し待ってカップに注いだが、何だか新羅が出してくれたものとは少し違って見えた。
「……もっと斯う、黄金色だったんだけど」
首を傾げながら、今度は一口飲んでみる。何だか香りが薄い。如何やら淹れ方が下手くそなようだと気が付き、でも初めてだから仕方がない、と臨也は一人苦笑を浮かべる。シンクに寄り掛かりながら、ティーカップを片手に、さて今度は此れを如何したものか、ともう包みに包まれた儘の一組のカップを眺めた。
「やっぱり必要ないよなぁ? 俺の他に誰もいないし、御客に茶なんか出す気ないし」
そう変な見栄を張った自分が今更悔やまれる。もう一組のカップの使い道に思考を巡らす。すると口を付けていたティーカップが空になった頃、不意に名案が浮かんだ。
「あぁ、新羅に来てもらおう。何時も行ってばかりだからたまには来てもらえばいい」
臨也なりの名案が浮かんだものの、すぐに「……あっ」と洩らすと臨也は腕組をする。そうして、先程空にした己のティーカップを睨む。
「……如何せなら、上手に淹れられるようになったらにしよう。下手くそだと馬鹿にされる」
変な意地と勘繰り。其れらによって、臨也は当面の問題をすぐには解決する気はない。「とりあえず疲れたから」と眠ることにし、臨也は布団に身を包む。
疲れとカモミールのお陰か、其の日はよく眠れ、最近見続けているおかしな夢も見なかった。

其れから、臨也は毎晩一人で茶会を開いた。ネットで正しいハーブティーの淹れ方を調べ、温度計まで用意して、そうしてそんなものを必要としなくなるまで。十五個あった芳しい袋は、残すところあと六つとなった。
さて、そろそろ新羅を呼んでも恥ずかしくないだろう。そう自分の実力を踏んで、臨也は新羅に電話をかける。
「あ、臨也? セルティに仕事の依頼かい?」
受話器の向こうでそう云う新羅に「違うよ、たまには新宿に来なよって誘いさ」と臨也は云った。如何しても見せたいものがあるんだ。そう云えば、仕方ないね、と新羅が困ったように笑うのが分かった。臨也が「明日!」と云えば、「明日ぁ!?」と新羅は驚いて見せたけれど、すぐに「分かったよ」と答えた。臨也が其れを満足に思っていると、そう云えば、と新羅が口を開く。
「最近は眠れるようになったのかい?」
「一応ね。時折おかしな夢は見るけど、毎晩じゃなくなったよ」
「そう、それはよかった。カモミールが効いてるのかな?」
新羅の口から『カモミール』という単語が出て、臨也はどきりとしたが、平静装い会話を続ける。来訪の時間を大方決めて、電話を切りほっと一息。臨也はソファーに身を沈める。
新羅はきっと「臨也でもやれば出来るんだね」などと嫌味半分感心半分、感想を云うのだろう。そんな事を想像して、臨也は一人くすりと笑う。
「さて、明日は早いから今日はもう寝よう」
そう云って立ち上がりキッチンへ。慣れた手つきで、美味しくカモミールティーを淹れる。
成果を披露するのは明日。缶の中身は、あと五つ。

作品名:然らば、あえかなる日々 作家名:Callas_ma