わがままなバーミリオン
地図上ではもう少し離れているように思えたが、問題の街までは東方司令部からそこまで時間がかからなかった(想定していたよりは、という程度だが)。
「…なんだ、これは」
街はなだらかな丘陵地帯の少し上ったところにある。そこまでは列車で上っていくわけだが、肝心の線路の一部がすっかり水没している。これでは列車は走れない。どころか、車でも怪しい。となると徒歩しかないだろうか、とうんざり眉をひそめたロイだったが、背に腹は変えられない。とりあえず双眼鏡で地盤を目視してみる。
最も、大佐がそんなことをしなくても、軍にはそれぞれに特化した部隊がいるもので、有能極まりない鷹の目に抜かりがあるはずもなく、…だから、ロイが双眼鏡を見てうなっている間に、すっかり斥候隊は準備を整え街に向けて出発する運びとなっていた。
…まあ、上司の一番の仕事というのは、どっしり構えて下を不安にさせないことなのだから、問題はない、だろうか?
中尉はこの件に関して対して不安を持っていないのか、ロイが斥候隊と一緒に行くことに対して、軽く眉をひそめはしたものの反対はしなかった。珍しいことだ。危険だと思えば、上官の役割について滔々と説いてくるものを。
恐らくはロイに対する評価の問題ではなく、単純に、彼女の中で今回の件の危険度は随分低い方に分類されているという、そういうことに違いない。
そんなことを考えながら歩いていたロイが、問題の街の手前まで到着したのは歩き始めて一時間程が経過した頃だった。
「…」
鋼の、と唇の動きだけで呟いて、ロイは表情を厳しいものにした。
ロイが到着する、少し前の話になる。弟と後見人の心配を一身に受ける天才錬金術師はどうしていたかというと、…予想外の事態に陥っていた。
「…はい?」
一服盛られてどこぞへ連れ込まれたエドワードだったが、盛られた後の動きは半分くらい演技だった。エドワードの動きを封じるつもりなら、象を眠らせるくらいの量を盛らなければ多分効かない。それくらいの修羅場は潜り抜けている。まあ、弟には心配するなとアイコンタクトを取ったから平気だろう、彼はそう思っていた。勿論アイコンタクトなんて大層なものは取れてなどいないが、エドワードの中では通じていることになっている。
「リノを逃がしてやりたいんです、お願いです、見逃してください!」
微妙にだるいとはいえ動けないなんてことはない。だがとりあえずまだ動けないふりをしつつ、ソファに座っているのだが…なぜか、目の前では、エドワードに一服盛ったはずの駅員?たちが一斉に頭を下げている。わけはわからないが悪い気はしねーな、とか思いつつ、とりあえずエドワードは眉をしかめてみせた。
「意味がわかんねーよ。大体それは誰だよ」
――彼らはエドワードをソファに座らせると、要領を得ない話を始めたのだ。誰に言われてきたのかわからないが、リノを見逃して欲しい、薬を盛ったのは謝るから、どうか見なかったことにして欲しい…、言うだけ言うと後は一斉に土下座だ。わけがわからないにもほどがある。
「リノは、あの子は錬金術師です…」
あなたと同じ、と誰かが言った。では自分が会おうとしていた錬金術師はむさくるしいおっさんなどではなく子供だったのか、とエドワードは軽く衝撃を受けた。だがしかし、子供の錬金術師が駅で働いているのはどうなんだろうか。
「あの子の父親はひどいやつなんです」
「リノが慕っていて裏切れないからって…!」
「だから逃がしてやりたくて…!」
「っだー! もう、順序良く喋れよ!」
エドワードはとうとう切れた。そしてガンッ、とテーブルを蹴飛ばすと、薬の影響などどこにもない様子で仁王立ちになり、やることの甘い素人達を睥睨する。
「お前ら事と次第によっちゃオレが許さねえぞ!」
唸るような恫喝に大の大人が震え上がるが、それが効いたのかひとりが代表して説明を始めた。初めからそうしろ、とふんぞり返りながらも、一応エドワードはそれを聞く。
――とりあえずその素人集団の話を総合すると、こういうことだった。
鉄道も統制を取っているのは結局軍に繋がる。エドワードは詳しくないが、確かそういった部局がある。件の錬金術師、リノというらしいその人物は、このあたりの統括の任についている父親をもっているのだそうだ。そしてこの父親というのが、彼らによればとても冷たい人物であるようで、まだ小さかったリノに錬金術師としての才能があると知るやいなや、ここに放り出していき、以来顔も見せないそうだ。それでもその錬金術師は真面目に、父の言いつけ通り働いてきたが、どうも、恋仲になった相手とここから逃げ出したらしい。それが、豪雨の前日のこと。もしかしたらまだこの近くにいるかもしれないが、どうにかしてあの子を自由にしてやりたいのだ、と職員たちは涙ながらに語った。彼らにとってその錬金術師は子供のようなものなのかもしれない。
「だから、テロリストが線路の復旧を邪魔していることにしようと…」
だがしかし、その短絡的というか夢見がちな思考は頂けなかった。彼らは、駆け落ちしたリノを逃がすため、いもしないテロリストをでっち上げ、なんと声明文まで出してしまったのだという。あまりのことにエドワードは頭を抱えたくなった。エドワードでさえ!
「…まあ…うん、話はわかった。それで、なんでオレに薬なんか盛ったんだ?」
彼らの気持ちや行動は納得は出来なかったが、どうしてそんなことをしたのかは一応理解したので、とりあえずもう少しエドワードは話を進めてみた。善人というのはなまじな悪人よりよほどたちが悪いのだから。
「…国家錬金術師だと知って…あの子の父親にばれたのではないかと…とっさに」
その理屈にもまたため息をつくしかなかったエドワードである。
「じゃあ、リノってやつはもうここにはいないのか?」
言いたいことは色々あったが、エドワードはその殆んどを押し殺してそれだけを尋ねた。素直な職員達は頷く。エドワードはため息をついて口を閉ざした。頭の中では状況の整理を始めている。
「声明文ってのはどこに出したんだ?」
乗りかかった船というか、既に巻き込まれてしまっているので、一応確認してみる。なんとなく確認するまでもなく予感のようなものはあったのだが。
「東方司令部へ…」
このあたりの統括は東方司令部になる。そんなことは、エドワードにもわかっていた。そして件の司令部の統率を誰が取っているかもよく知っていた。知りすぎるほどに。
少年は深々とため息をついた。まったく君はトラブルに好かれる体質だな、と笑う顔が目に浮かぶようだ。
…もしかしたら、幾ばくかは、心配してくれるかもしれないけれど。それは願望にすぎない。
…その願望を持っている自分を、残念ながらエドワードは自覚していた。
「…リノってのを、逃がしてやりたいんだよな?」
「そりゃ、もちろん!」
「…。わかった。テロリストがいればいいんだな」
「…え?」
職員達は少年の意味深な物言いに互いに顔を見合わせた。テロリストなんて初めからどこにもいないのに…。
「あんたらはラッキーだ。ついてるぞ」
「…??」
作品名:わがままなバーミリオン 作家名:スサ