ハツモノ
「んで、告白はどっちから?」
「ええっ? そ、んな事、別に知らなくてもいいだろ」
「いいじゃん、気になるんだから。で? で?」
「う……その、僕、から」
「お! やるねークレス!」
照れくさそうに視線をずらしながらも律儀に答えるのがクレスらしい。などと思いながら、楽しむ時は楽しむが信条の一つであるアーチェは朗らかに笑いながら、質問を更に先へ向けた。
「それで、当然チューくらいはしたんでしょ?」
「は?」
「だからチューだよ! キ・ス!」
「………」
何故か唐突に止まる空気。
気まずそうに明後日の方角を向いたクレスの横顔から、一筋の汗が流れる。
彼の横顔にはわかりやすく、「聞いてくれるな」と書かれており、
「……あのさぁ、クレス」
「な、何?」
「まさか、まだしてないとか?」
冷め切ったアーチェのその声は、思いのほかクレスの胸にグサリと突き刺さった。
そんなこんなで一気に興味を失われた挙句、「男なんだからびしっとばしっと決めてみせろ!」と叩きつけられてしまった。
男だから、という点についてはクレス自身も重々感じているのだが、経験が少ないせいかきっかけが掴めないのが正直なところだ。
まさかいきなり「キスしよう」なんて言えるわけがない。性格上、恐らくこういった事に対しては潔癖であろうミントに対し、そんな間違いを犯しでもしたら今の幸せな関係から一転して嫌われてしまうかもしれない。
とはいえ、一人の男として只の口付けでも憧れが無いわけではない。色々飛び越えた事も同時に想像してしまうが、それはとりあえず隅に置いておくとして。
……夕方頃にミントが帰宅してから、昼間のアーチェとのやりとりをずっと意識してしまっているせいでどうしても視線がミントの唇に向きがちであった。気付かれる寸前に視線をそらしているのでミントには不審に思われていない、筈である。
別に今日実行しようとしなくても良いのだろうが、そうやって逃げてばかりでは一体いつになったら関係が進展するのやら。と、何故か他人事のように思いつつも、今の自分の隣にはお茶を飲みながら読書中のミントが居て、そんなミントの閉じた唇をやっぱり見つめてしまっている自分が居る事実は変わらない。
(……今まであんまり気にしたこと無かったけど、ミントの唇、綺麗だな)
惚れた贔屓目だからか何なのか、緩やかな曲線を描くミントの柔らかそうな唇に思わず見惚れてしまう。彼女の唇に触れたらどれくらい心地良いのだろうか。
そういえばミントは男性との付き合いの経験が今まで無かったそうだ。という事は、異性との口付けの経験も無い、のだろうか?
決めつけるのは良くないが、仮に自分がミントと口付け出来たら。
(僕がミントの初めて……になれるのかな)
顔が熱くなる。考えが妙な部分にまで及びそうで、思わずクレスは首をぶんぶんと振った。
「……どうなさいました??」
そしてそんな不自然な行動を取れば、隣で読書をしているミントにだって気付かれてしまうのは当然であった。不思議そうに見てくるミントとがっちり目が合ってしまうと、湧きあがって来た劣情まで覗かれてしまいそうな気がしてクレスは慌ててミントから目を離した。
「い、いやっ、何でも無いよ……ははは」
どう見ても何でも無いわけがない対応だが、クレスにとってはこの場をはぐらかせればよかった。今日の所は諦めてまた後日に……なんて思いつつ、クレスは乾いた笑い声を上げた。
しかし。ミントは読んでいた本に栞を挟んでぱたりと閉じると、その本をテーブルに置いてからクレスに向き直った。何かマズい事でも言ってしまっただろうかと思い、クレスは表情をぎこちない笑顔のまま硬直させる。
「あの、クレスさん。確認をしたいんですけど……」
「な、何?」
見ればミントの表情も少し硬い。真剣な話をしたいようなのだが、どうも言い辛い話の類らしく、眉間に皺が寄ってしまっていた。
「その……私達って、恋人同士、ですよね」
「へっ!? あ、う、うん。そうだね」
恋人同士。改めて口にして、改めて確認、となるとやはり今でも気恥ずかしい。仲間という関係は長く続けてきたものの、恋人という関係となると、まだまだ日が浅い。
「だから、あの」
「うん?」
ミントは先を上手く言いだせないのか、膝の上で握り合わせた自身の両手をもぞもぞさせている。その手の力が一度大きく込められ、俯いたと思ったら、すぐに顔をあげたミントがクレスをまた真っ直ぐ見つめる――もとい、半ば睨むように強い眼光を向けると。
ミントの両手が素早くクレスの両肩を掴む。クレスが驚く間もなく、ミントがクレスの眼前に迫って来た。クレスが目をいっぱいに開いたまま抵抗も何も出来ないでいると、そんな事はお構いなしに、ミントが触れてきた。
「……!!?」
先程までクレスが何度も何度も見つめていたトコが触れている。ミントが今まで経験した事が無いくらい近い場所に居る。こちらは目を開けたままだがミントは目をぎゅうっと閉じているせいで、彼女の瞼がぷるぷると小刻みに震えているのがよく見えた。
ソコを重ね合うだけの工夫も何もない行為。なのにクレスは指先一本すら動かせず、機械のようにゴトゴト動く心臓とミントの唇の感触を意識するので精一杯だった。
たった数秒の出来事だっただろう。時間の感覚は一瞬にして狂ってしまったが、世界の時間がほんの僅か動いただけで、ミントはクレスから離れていった。
「ミ、ント?」
今のミントの行動。そして今自分達がしていた行為。それは紛れもなく、クレスが昼間からずっと意識していたものであって。
「……嫌、でした?」
「ちち、違う違う! 全然! 嫌じゃない! む、むしろ……あぁじゃなくて」
冷静になるために、思わず顔に手を当てた。やはり、顔が熱い。顔どころか、急激な心拍数の上昇で、体全体が熱くなってしまってるのではないだろうか。
「驚いたんだ。君が、いきなりこんな事してくれるなんて」
「う……すみません」
「いや、謝らなくて良いんだよ。悪い事は、何もしてないし」
見れば、元の位置に戻ったミントも顔が真っ赤だった。元の位置、といっても、気のせいかソファの隅に寄っていてお互いの距離を更に広く取っているような。
「……わ、私達、恋人同士になってから、キス、ってした事無かったなぁ……と思って。で、でも、クレスさんにどう言いだしたら良いか、わからなかったから……」
だから勢い任せにしてしまった、という事なのだろう。ミントの突然の行為にも驚いたが、まさか自分と同じ事を思っていたなんて。
はあ、とクレスは小さく溜め息を吐いた。ミントも同じ事を思ってくれていたのならさっさと言い出せばよかったのだが、所詮は結果論だ。
「……嫌じゃないんだけどさ、でも、最初は僕の方からしなくちゃって思ってたから、何だか情けなくて」
「そ、そうでしょうか?」
「うん。ほら、やっぱり男が引っ張っていかなきゃっていうか……ね」
溜め息の次に、クレスは意識して空気を胸に吸い込んだ。顔の熱さは全く取れないが、それでも今度はクレスからミントの目をじっと見つめた。