生々しく愛咬
肩をまわしながらゼロスが俺の正面に3メートルほど離れて立った。軽く準備運動するように肩や腕、足を動かしてから、剣の鞘をとりはらう。俺もそれにならって剣を抜く。3 メートル。微妙な距離感で対峙すると、すごく不思議な気分になる。たぶん、夜の森の中なんて状況のせいもあるんだろう。
「へえ、ロイドくんの正面に立つのって、こんな感じなんだ」
ゼロスがずいぶんと機嫌のよさそうな声を出した。なんだかテンションが妙な気がする。月明かりの中でひやりと愉快そうに笑った。
「戦ってるロイドくんの隣とか後ろにいたことはあっても、正面はないもんなぁ」
なんだか新鮮、くせになるかもよ、なんてよくわからないことを言う。俺はくせにはなりそうもなかった。
「まあいいや。はじめようぜ」
俺が剣を構えると、ゼロスも肩をすくめてそれにならう。すっと静かになって、遠くで鳴いてるふくろうかなにかの声しか聞こえなくなった。すべてのものがじっと息をひそめてねむるしずけさ、唐突にちいさい頃の探検の光景を思い出した。さっきしゃべったせいだな、その少し心がくすぐったくなる思い出にゆるみかける唇をきゅっと引き締めて、勢いよく地面を蹴る。
きいん、剣のぶつかりあう音がはじけて、それが耳元から消え去る前に次の斬撃を繰り出した。右手の一刀をゼロスの剣にとめられたその隙に、すかさず左刀をゼロスの肩口に突き出す。ゼロスはいつも装備している盾を今はつけていないから、2刀を同時に防ぐすべがない。しかしさすがにうまいもので、右刀にあてた剣を滑らせながら切っ先を力でねじおろし、体をひねってあっさりとかわされてしまった。
「あぶねーあぶねー。2刀ってやりづれーなあ」
ゼロスは間合いをとりながらのん気にぼやく。口で言うわりには顔は余裕しゃくしゃくとでも言いたげに笑っていた。それがなんだかむっとして、すぐに間合いをつめるべく再び地面を蹴る。
「うぉっ、ハニーってばイノシシじゃねーんだからー」
次々に繰り出す攻撃を、ゼロスは口調通りのらりくらりとかわしてしまう。そのくせ、なかなか攻撃してはこない。ひたすら軽やかにかわすばかりだった。
「ゼロスっ、ちょっとは反撃しろよ!稽古になんないだろ!」
「馬鹿いうなよー。ハニーの攻撃重いったらねーよ」
ひらひらかわしといてよく言う。ゼロスは力の流し方もよくわかってるみたいで、無駄な力みも一切なかった。ああやっぱこいつ強いんだ、改めてそう思って、ますますなんの反撃もしてこないことに苛立ちがつのる。余裕そうなその顔を睨み上げて、ふとふにゃふにゃした表情の中で青い目だけがいやにぎらぎらしていることに気づいた。口元は完璧な曲線で笑っている。だけど目だけが狩をする肉食動物みたいに鋭く俺の切っ先の動きを追っていた。まるで獲物にとびかかるチャンスを茂みの中でじっくり待ってるけものみたいに。
「猪突猛進、まっすぐすぎる攻撃。ハニーってばわっかりやすいねー」
俺が振り下ろした左刀を剣で受け止めて、ぎらぎらした目をそのままに、にやりとゼロスが笑った。捕食者の目。左の剣を振り払われて少しだけ体制を崩した次の瞬間右手首に衝撃が走り、おもわず剣を取り落としてしまった。ゼロスに右手を蹴られたのだと気づいたときにはもう遅くて、取り落とした剣はゼロスによってどこかへ蹴り飛ばされてしまっていた。
「勝負はまっすぐなだけじゃだめなんだよハニー」
すぐさま間合いをとると、ゼロスがせせら笑って手招きするように剣を持っていないほうの手をひらひらさせた。高い塀の深い影にはこわいものがいる。
「これで俺さまと同じ、1刀だ。同じ数じゃ勝てねぇか?」
挑発してるんだ、のっちゃいけない。ゼロスのペースにはまってしまっては、思うつぼだ。すばやくあたりを見回して右の剣を探したけれど、夜のささやかなあかりの中ではそれは難しかった。仕方がない、左だけでどうにかしよう。すばやく崩れていた構えを直して、地面を蹴る。間合いをとってじりじりとするのは性に合わないし、第一時間をかければかけるほど、ゼロスのペースにのみこまれてしまう気がした。頭で考えるよりも感じたほうが早い。
「っ、ハニーってば学習しないねぇ」
真正面からの攻撃を受け止めて、ゼロスが苦笑した。だけど1刀になったぶん攻撃のパワーが増したから、受け止めるときかすかに眉根を寄せたのを俺は見逃さなかった。休みなく続けざまに剣を繰り出していく。ゼロスは今度こそ受け止めるのが精一杯みたいだったが、それでもぎらぎらした目はかわらない。今まで俺がみたゼロスのどんな顔よりも、いのちにあふれた目をしていた。それがなんだかやるせない。ふと、ゼロスがこどものころ夜中にベッドを抜け出して、使用人と護衛に連れ戻されたとき、いったいどんな顔をしたんだろうと思った。泣いただろうか、悔しがっただろうか、それともひとりでこころぼそかったから、すこし安心した?けれどどれも違う気がした。心の中で、夜のメルトキオの街、上等な寝巻き姿の子供がひとりふらふらと歩き回る姿を想像する。その子供は、使用人や護衛たちにつかまりむりやりベッドへ戻される。どれだけ想像しても、その子供の顔にはぽっかり穴があいていた。
「なあ、かなしかったか?」
俺の剣を受け止めたゼロスの顔をのぞきこんで聞いてみる。
「なにが」
「夜の探検のはなし。連れ戻されて、かなしかったか?」
一瞬だけゼロスはうつろな目をした。とっさに俺はゼロスの剣をたたきおとし、離れようとしたゼロスの首筋に切っ先を当てる。ものすごく静かな勝負の終わりだった。なんだかあっけない。ゼロスが落ちた自分の剣をじっと眺め、それから首筋にあたる冷たいきらめきに視線を移した。
「・・・あっけないと、おもったよ」
ゼロスがぽつりと答えた。幼い子供の自由の旅は、この勝負とおなじくらいあっけないおわりだったようだ。俺がなにも言えないでいると、ゼロスはあーあとやけにでかい声を出した。
「ちぇー負けちまった。2刀流に1刀で負けるって屈辱だなー。つーかロイドくん早いとこ首のモンどけてくんない?」
物騒すぎるんですけど何俺さまのこと殺す気でもあんの、ゼロスがぺらぺらしゃべりまくるのであやうく剣が首筋を傷つけそうになった。あわてて剣をゼロスの首からどける。
「あ、悪――っ!」
わるい、謝ろうとして声が続かなかったのは、ゼロスに思い切り足払いをかけられたからだ。体が傾いだ瞬間、ゼロスの膝が腹にめりこみ左手の剣も取り落とす。なんてやつ。前のめりになって息が詰まった瞬間ちらりと見えたゼロスの目は、やっぱりぎらぎらしていた。勝負は終わっていなかったようだ。どこがあっけないものか。
みぞおちに入った一発が効いて息がうまく吸えない俺をゼロスは地面に張り倒した。すぐ足元に落ちている剣に見向きもしないで倒れた俺に馬乗りになると、首を絞める前みたいに喉仏の上に両手の親指をそえた。力をこめれば喉がつぶれるだろう。
「言ったろ、勝負はまっすぐなだけじゃだめなんだよハニー」
4.