市営住宅の真ん中の入り口の4階の右
ローがぼうっとしているとそのままぞろぞろと3人、それに謎の幼児がリビングに入ってきて、途端に部屋が狭くなった。お、ローだ、ローだ、とルフィとウソップは自分たちで誘ったくせにそんなことを言っている。
「あ、こいつチビナス。ゾロの弟」
ゾロがぶらぶらと抱えている幼児を指差してウソップが言った。母ちゃんが「保育園の先生は何か言ってたか」とか聞いているから、ゾロの使いとは、この弟のお迎えだったのかもしれない。
なんとなく尻のすわりが悪いローをよそに、3人はゲーム機やらアダプタやらゲームソフトやらを取り出してきて、テレビに繋いだりソフトを入れたりとテキパキ準備をしている。
「あれ、メモリーカードあるじゃん」
「それは駄目だ。父ちゃんと母ちゃんのだから」
「面倒くせえなあ」
「うるせ」
何をどうしたらいいかわからずただ3人の様子を眺めていると、ローの膝にチビナス(本名なのだろうか)が突然よじ昇ってきて、だあだあと声を上げた。振り上げた手(なぜか微妙に湿っている)がローの顎にガシガシ当たる。なんとなく忙しない。
「ホラ、これローのな」
ポン、とウソップから当然のように放り投げられたのは、黄色のコントローラーだった。どうやら本当にこのままゲームをはじめるつもりらしい。
ローは、あまり友達の家に遊びに行ったことがない。友達はいるけれど、大体は学校で遊んでそれだけだ。だからローが知っているのは馬鹿みたいに広くて派手な自分の家くらいで、生活感という垢がべたべた付いたゾロの家は酷く落ち着かない。けれどその一方で、柔軟剤のような家の匂いが心地良くもあるから不思議なものだ。
「その黒いコントローラーかっけえなあ」
「この前言ったろ、それは父ちゃんのだから駄目だ」
ゾロがテレビのスイッチを入れれば、『ウィッヒヒー!』と謎の声がしてテレビには見覚えのあるヒゲ面が飛び出してきた。アニメのオープニングのようにヒゲ面や他のキャラクターが動き始めるけれど、ルフィがコントローラーのボタンを押すか何かするとそれもパッと切り替わってしまう。
「俺ヨッシー! 」
「ルイージは俺のな」
ルフィとウソップは勝手知ったる感じで、好きなように座布団を敷きポジションを確保している。ローの位置からは少しテレビが見づらかったが、どこにどう移動すればいいのかわからないし、そもそもチビナスが邪魔で足を動かすことすらままならない。
この幼児は、もしかしてローに懐いたのだろうか。それとも元からこんなふうなのだろうか。なんにせよ、ゾロの弟とは信じがたい人懐っこさだ。
「おいゾロ! とちょっと来い」
「あー……おい、俺のキャラとコース適当に選んどいて」
「クッパだろ? ん? ドンキーだっけ?」
母ちゃんに呼ばれたゾロは台所のほうに消えて、リビングには客人3人と幼児のみが残された。ローにとってはますます居心地が悪いのだが、ルフィもウソップもそんなことは微塵も感じていないらしい。まるで自分の家だ。
「ローはなんにすんの?」
「あー……」
「もしかしてマリカーやったことねえ?」
うん、とローが頷くと、2人はすげーだとか珍しーだとかよくわからない感動のしかたをして、あれやこれやとおぼつかない説明をはじめた。右っ側のスティックで動かすんだとか、ハテナはアイテムだとか、Zで攻撃だとか。
正直わからないのだけれど、そもそもそんなにやる気もしていないからローはその説明を右左に聞き流した。
「ローはキノピオっぽいな。ほらその、小さいキノコのやつ」
「……」
「それそれ! A押して、赤いやつ。カートはそのまんまがいいと思うぜ」
「コース、ルイージサーキットでいいか?」
2人の口からは、ポンポンと専門用語が飛び出してくる。ローはあまりテレビゲームというものをしたことがなくて、そういえばこれまでしたいと思ったこともあまりなかった。趣味は読書と、実にかわいげのない小学4年生なのである。
そして、既に横の2人はゲームに夢中なのだけれど、ローはと言えば、もっぱら気になるのは台所から漏れてくるロロノア親子の会話だった。
『これは5分、これは3分だぞ。ちゃんとチンしてから食べろよ』
『わかった』
『みそ汁もあっためろよ』
『うん』
『アホどもが食いたがったらちゃんとわけてやるんだぞ。あ、でもそのときは家に連絡入れさせろよ』
『うん』
『ちゃんと5時までには終わるんだぞ』
『わかったって』
『チビナスの面倒も見るんだぞ。あと、父ちゃん昨日夜勤で寝てるからな。うるさくすんなよ』
『うるせえなァ』
うるせえたあなんだ、だからうるせえって――ゾロは普段ローと同じくらいぼんやりしているほうだから、母ちゃんに対してうるせえとか言うのに、少し驚いた。
「わり」
台所の扉が開いてゾロが戻ってくるのと同時、母ちゃんが向こうから「部屋散らかすなよ!」と叫ぶのが聞こえた。それから玄関のドアが開く音がしたから、出て行ったのだろうか。
「母ちゃん仕事?」
「おう」
「えー、じゃあ今日はメシ食えねえのかァ」
「お前らの分もあるってよ」
「やったー!」
「あ、ゾロ、ローはマリカーはじめてだから。アイテム奪いとアタック無しな」
「わかった」
ローの膝からチビナスを引っ張り上げると、ゾロはそのままローの横に座った。その横顔は、いつもの眠そうなゾロだ。
「おえもやうぅ」
「てめえにゃまだ早いつってんだろ」
よくよく見てみれば、チビナスは金髪で色が白くてなんとなく丸っこくて、しかも既にうっすらと眉毛が巻いている。どうやらこっちは母親(?)似らしい。
幼児を膝の間に座らせてコントローラーを弄るゾロの様子は、なかなか堂に入っていた。
*
元々手先が器用なためか、3度ほどレースをこなしているうちにローは大分うまくキノコが乗った車を操作できるようになっていた。そこからは結構おもしろくて、なるほど、確かにゾロたちがこんなに夢中になるのもわからないでもない。
「ローってもしかしてあんまりゲームしねえの?」
「あー……うん」
今時珍しいだとか、キショウカチだとか、ルフィとウソップはまたどうでも良いようなことでぎゃあぎゃあと騒いでいる。
どうもゲームは1時間ごとに休憩を入れるというのがロロノア家のしきたりらしく、はじめてからちょうど1時間、今はローの持ってきた菓子をちゃぶ台に並べておやつの時間だ。ここでもルフィとウソップは遠慮なく、化粧箱に並んだクッキーをひたすらバクバクと食っている。
「つうか、ゾロんちはいいよなァ。結構ゲーム買ってもらってるもんな」
「俺じゃなくて父ちゃんと母ちゃんがやるんだよ」
「それでもいいじゃん、ていうかむしろいいじゃん」
「そうか?」
あの母ちゃんが今さっきの自分たちみたいコントローラーを弄くっているのを想像するとなんだかおかしくて、ローは口元に浮かんできそうな笑みを隠すためにゴクゴクと麦茶を飲んだ。あの人も、コーナーを曲がるとき身体を傾けたりするのだろうか。
菓子を食いながら主に喋っているのはルフィとウソップで、ゾロはそれに相槌を打ちながら弟にも菓子を食わせてやったり、口元を拭いてやったりと忙しい。なんとなく意外な光景だ。
作品名:市営住宅の真ん中の入り口の4階の右 作家名:ちよ子