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テニスのゆうれい

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「……っ、た…ったく……冗談じゃねえっ…てんだ…」
ぜいぜいと喉を鳴らしながら、息も絶え絶えに胸を上下させて南次郎はコートに大の字に伸びていた。
その横に足音もなく対戦相手が立つ。
ナイター設備のライトに照らされたその姿は、光量に侵されるように存在感が薄かった。
「もう限界か?」
幽霊は首を傾げてそっと南次郎を覗き込む。その顔には汗ひとつなく、細面の白い相貌にフレームレスの眼鏡が涼しげだった。
「バッカ…野郎……クソ、なんだって…」
荒い息の間から何事か口中でもごもごと呟く南次郎に、幽霊はそっと近くに座ると、自分の手の中のラケットを初めて見るもののようにためすがめつしながら口を開いた。
「気にすることはない。俺は息も切れないし筋肉疲労もない。長引けは生きているお前が負けるのは無理もない」
「バーカ、…まだ…、負けてねえ…」
「では続きをしようか」
立ち上がろうとした幽霊に南次郎は短く罵倒の言葉を吐き出すと、ばったりと、今度こそ全身の力を抜いてコートに沈んだ。
それを見た幽霊がたまらず笑みをこぼす。
「だがお前は強いな」
「おうよ。まあお前もな。もしかして選手かなんかだったのか?」
「いいや」
「そうかよ」
「単に練習時間が、それこそ腐るほどあったからな」
「棺桶の中でか?」
南次郎の下手なジョークを幽霊は礼儀正しく聞き流し、コートサイドにどけてあった一升瓶を片手で持ち上げると、そのままベースラインへと歩いていった。
「おい」
「打ちたければ、呼べ。ただし陽が落ちてからな」
そう言い残すと、その姿はベースラインを越えたところでふっつりと消えた。
南次郎は思わず身を起こして幽霊が消えたあたりを凝視する。
「…………やっぱ飲むのかよ?」
 
 
それから南次郎は時間が出来ればコートの幽霊と打ち合った。
なにしろ疲れ知らずの幽霊である。そして技術も力も十分にある。
好きな時に好きだけ打てて、気が済んだら止められる。南次郎にはうってつけの練習相手だった。

ある日南次郎は初めて幽霊が現れた時と同じ様に、日本酒の一升瓶を持ってコートに来ていた。
「……なんだこれは」
「なんだってお前、酒だろ」
その一升瓶を幽霊の前にぬっと突き出す。
「お礼の気持ちってヤツよ」
「……」
南次郎の得意げな顔とその勢いに押されて、幽霊は思わず一升瓶を受け取る。
そして何か言いたげな、複雑な表情をして南次郎と一升瓶を交互に見たが、何か諦めたように息を吐く仕草をすると無言で一升瓶を下げ、ベースラインへと消えた。
 
 
「サムライナンジロー! 今シーズン一番の強敵は誰?」
南次郎は駐車場で足を止め、記者に振り返った。
勿論それはその記者がブロンドで豊かなバストの持ち主だったからだ。
「うーんおねーちゃんかなー?」
あからさまに胸のあたりを覗き込む南次郎の視線を記者は笑って受け流し、再度追求する。
「そうだな、うちの庭の幽霊かな」
「ゴースト?」
「そっそ。The Ghost of Tennisってな」
南次郎は笑って記者を煙に巻くとさっさと車に乗り込み、自宅へと走らせた。
車をガレージに入れ、空を見上げると丁度夕暮れ時で、いやに赤い空にふと南次郎は遠い祖国を思い出した。
「……何だってまた」
呟き、首を振ると南次郎は屋敷へと入り、着替えを済ませるとラケットを片手にコートへと出る。
初めは無人のコートに「おーい」などと呼びかけていたが、最近では時間になれば幽霊の方から勝手に現れるようになっていた。
ネットを張り、軽く準備運動をしていると視線を感じ、顔を上げると幽霊が立っている。
今日もそうして現れた幽霊に南次郎は口端を上げ、ひらひらと手を振った。
幽霊はその手には応えず、足音もなく近付いて来ると開口一番
「試合をしよう」
と言った。
それは今までの彼にしては珍しく強い声音で、南次郎はいささか面食らう。
「はぁ? ふーん、まあかまわねえぜ。どーしたんだ一体。お前から試合したいなんて初めてだな」
「そうだったか? まあいい。いい加減そろそろ俺に勝ってくれ」
出来の悪い生徒を嘆く教師よろしく、わざとらしく溜息をつく様子を見せた幽霊に、判っていながら南次郎はこめかみの血管が太くなる。
「いい度胸だ幽霊」
作品名:テニスのゆうれい 作家名:鷹山 京