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久住@ついった厨
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艶やかな徒花と標本のモルフォ

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 それにしても、と俺は2人の様子を観察する。先程から有り得へーんなどと訛りのある口調で呟いては悶えている男は、ギルベルトの好みか好みでないかでいけば後者に入るのだと思う。俺を側まで呼び付けたこの男にしたって、そうだ。ギルベルトの好みからは外れている。どこがどうとは言えないのだが、感覚的にどこか違うのだ。
 それでも親しげな様子だったのは、どこかしらに気の合うところがあったからなのだろう。俺の主というのは意外ときちきち境界線を引いていて、誰をどこまで踏み込ませるかきちりと決めている。上辺だけ親しげに話すのを見たことがあるが、今日のギルベルトの態度はそれとは違った。気安そうな表情、砕けた喋り方は深くまで踏み込むことを許した人間にしか見せないものだ。彼が自分以外にそんな風に接するのを見たのは初めてで、胸がざわりざわりとする。ギルベルトにそのような友人がいないとはよもや思っていなかったが、それにしても──気分が悪い。
 身体的なものではなくて心理的なものだと思うが、何だというのだろう、この気分は。こんな想いを抱くような理由は、ないのに。そんなような相手でも、ないというのに。
 はぁ、溜め息を吐きそうになって慌てて飲み込む。男はまたちらりと俺を見上げて、比較的に軽い調子で口を開いた。

「そういえばさ、それとなく謝っといてくれないかな、ギルベルトに…この前のこと」

 その言葉にびしりと俺は固まる。
 この前のこと、と、確かにこの男はそう言ったのか? この前──その不明確な指示語で俺が思い当たるのはあの日しかない。今日は帰らないと言い置いて出ていったギルベルトは、酷く機嫌を損ねて帰ってきた。あの時ギルベルトの髪から嗅いだ匂いを纏い付かせた男が、「この前のこと」を「謝っといてくれ」と言う。
 それはどういうことだ。あの時、謝らなければならないようなことが起きたのか。謝らなければならないようなことを、した、のか、お前は。
 考えれば考える程に心拍数が早くなる。知らず握り締めていた拳はじっとりと汗ばんでいた。らしくないと分かりながら、焦燥感じみた感情を抑えることが出来ない。何だというのだ、一体。
 俺はあの人に買われた、そして囲われている奴隷なのであって、そんな俺には最低限以上の自意識は必要ない筈だ。主人が望んだことをきちんと出来るだけ残っていればいい。私的な感情は不要で邪魔なだけで、何の役にも立たない。そう思って──徒に絶望も失望もしたくなくて──捨てた筈だ、全て。それなのに何故俺はこんな風に、自分の感情に頭を悩ませている。それなのに何故俺はこんなに、こんなにも。
 緩く頭を振るとギルベルトに整えられた前髪が乱れて落ちてくる。髪に差し入れられた白く細い指の感触を思い出すと、ぞくりと背筋に震えが走った。今にも折れてしまいそうな、確かに男のものでありながら華奢な指。あれがあんな風にしてこの男に触れたのかもと思うと、目の粗い棒鑢で神経を逆撫でされたような嫌な気分になる。
 こんな気分になるのはほとんど、初めての経験だった。じりじりと背を焦がす感覚に耐えていると、ふともう1人の男の方が口を開いた。

「あんま苛めたるなやーフランシス」
「苛めてるつもりはないよアントーニョ。それに直接謝ったって逆効果だろ、原因があれの場合」
「お前上手いこと踏んづけたもんなぁ、地雷」
「俺は踏みたくて踏んだんじゃないんだけどね」
「けど踏んだことに変わりはないやんなぁ」
「待て、地雷とは何のことだ」

 ぽんぽんと続いていく会話に、俺はつい口を挟んでいた。地雷、その言葉がどうにも引っ掛かって。
 2人──会話からの情報によればフランシスとアントーニョだ──は、ぴたりと口を噤んで俺を見た。それから顔を見合わせて口パクで何やら言葉を交わす。口の形では何を言っているのかいまいち分からないが、顔から推測することは出来た。アントーニョの方が実に表情豊かだったので。
 何でこいつも知らないんだ、そんなことを俺が知るか。そんなようなやり取りを続けること30秒程、はぁあーと盛大な溜め息を吐いたアントーニョが俺に視線を投げてきた。

「あんなぁ、ヒルベルトにはトラウマみたいなもんがあんねん」
「トラウマ?」
「せや。んでたまーに何かがきっかけになって思い出して、エラい機嫌損ねるんよ」

 俺らも詳しいことは知らんのやけどな。これ以上聞かれても答えようがないぞというように付け加えられる一言。俺はそれに黙って頷いた。
 それだけ聞けただけでも十分だ。…何が十分だというのだろうか、俺は。知ったところでどうにか出来る訳ではないのに。それは決して、望まれないことであるから。聞かされていないということは、俺がその領域に立ち入ることをギルベルトは許していないということだ。それ以外の解釈などない。
 だが、トラウマ、か。そんなに深い傷を心に抱えているのだろうか、あの飄々とした主は。とてもそうは、見えない。勝気で傲慢で、息を呑む程に美しい人。あの人がそんな影を持っているなんて、誰が考えるだろう。それともあの性格も振る舞いも全て、傷を隠しておく為の演技なのだろうか。お得意の欺瞞。もしそうなのだとすれば、俺は。
 と、途端に響いた扉を開ける音に俺は我に返った。そうして初めて自分の意識が思考の奥深くに沈み込んでいたことを知る。

「ったくあれくらいどうにかなんだろ……ってあれ? 何やってんだお前ら」

 扉を開けたギルベルトは、俺と客人が一ヶ所に寄り集まっていることに小首を傾げてそう言った。小鳥のような仕草が妖艶さに似つかわしくないというのに、可愛らしいと思ってしまう。俺も随分とこの人に毒されたらしい。
 内緒話でもしてたのか、なんて強ち間違っていないことを呟きながら、ギルベルトはまた気に入りのカウチに腰を下ろす──前に俺を手招いた。どうして呼ばれるのかすぐに分かってしまう辺り、俺はこの生活にかなり慣れたのだろう。口元を緩めているギルベルトを尻目に、脚を開いてカウチに腰を下ろす。その直後、彼は俺の脚の間に体を納めてきた。丁度横抱きにするような格好だ。昨日丁寧に洗ってついさっき丁寧に梳かした銀糸が肩口に寄せられる。
ハイヒールを履いたまま高級な布地を貼られた座面に脚を乗せようとするものだから、俺はひょいと手を伸ばした。左手の掌で靴底を支え、右手でストラップを外して脱がせてやる。体勢は若干キツいが、まぁ出来なくはない範囲だ。
 もう片足も同じようにして脱がせていく途中、ギルベルトがひくりと脚を震わせた。靴と肌の境目をたまたま指が擦ったのに、どうやら…感じたらしい。年中発情しているような人であるから驚きはしない。
 が、ここで求められはしないだろうなと考えると歓迎出来る事態ではなかった。この部屋に来る前に口付けを拒んだのを根に持ってもいるだろうから、仕掛けてこないとも限らない。自分のことをよく知った友人の前ならばそういうことも平気で出来そうなことだし。