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初恋

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無茶苦茶な速さで走ってきた俺を、跡部先輩は咎めようとして顔を歪めた。名前を呼んだきり間が開く。ようやく跡部先輩が口を開いたとき、まず差し出されたのはほのかに跡部先輩の匂いがするハンカチーフだった。
「あ、の」
「いちいち理由なんて聞かねえけど、まずはその涙をどうにかしろ」
本当に迂闊だった。跡部先輩に指摘されるまで自分が泣いていることにも気がつかなかったのだ。跡部先輩が、俺の瞳を窺う。ペルシアンシルバーの鋭い瞳が俺を射抜く。不意に涙は決壊した。俺が俯いたのを、嗚咽を堪えるためだと察した跡部先輩は俺の手を引いた。無言で歩く跡部先輩の指先は冷たい。
「先輩どれくらい外に、」
「1時間だ!」
力強く引かれる。気を抜いたら腕がもがれてしまいそうだ。跡部先輩が、一時間も外に。開いている方の腕でそっと涙の跡を拭うと、なんだかすっと元気が出るのだから不思議だ。



高級料亭の庭石は踏んだときに澄んだ音がして心地が良い。小石のぶつかり合う音は俺が小さい頃から慣れ親しんだ音だ。母屋に案内すると言って現れた女将の美しさにぼうとしていると、その女将が独語で跡部先輩の頬にキスなんかしかけるんだから世の中インターナショナルだ。座敷に上がる所作が思ったよりも丁寧な跡部先輩の後に続いて、俺も座敷を跨ぐ。
「和服の方がよかったですか、」
着付けなら独りでも10分もあれば出来た。別に礼装をしろという訳ではないのだから、尚更だ。わざわざ立派な庭のある料亭を選んだのだから、本当は和服が良いだろうことは、場の雰囲気を重んじる跡部先輩の行動パターンからすれば一目瞭然だ。跡部先輩は、っち、と舌打ちをかます。
「どうして気が付かねえ方がいいことばっかり気が付くかな、お前はよ」
「え」
「お前の和服なら用意してあったぜ、とっておきの朱染がな」
単にそうだと言ってくれた方がずっと胸は楽だった。俺は一体今何のために存在して息をしている? 跡部先輩は何故俺を構う? 疑問の嵐を前に俺は言葉すら忘れて竦みっぱなしだ。跡部先輩は強い。跡部先輩は熱い。跡部先輩は。
「俺には・・・跡部先輩がそこまでの好意を見せてくれる理由がわかりません。俺は何も無い男です。肯定するのは悔しいですけど、俺に跡部先輩は超えられません」
ただ、もうずっと苦しかった。この感情の行き場を俺は知らない。
「そんなことまで・・・お前は俺に言わせたいのか」
跡部先輩が珍しくたじろいでいた。しかし俺にはその言葉の意を汲み取ることは出来なくて、そのあとに出てきた彩り鮮やかな懐石料理の味一つ満足に覚えては帰れなかった。



兄たちは横柄だ。俺が足を運んだ店の名前を言うと、軽く鉄拳をお見舞いされる。きちんとした先輩の招待だというと、金を返せと言われた。だが、それに付け加えお前はいい先輩を持ったと持て囃され、それは何かが違うと伝えたかったのだが、生憎俺はそれを表現できるだけの言葉を持っていなかった。


俺が荷物を持ち帰るのを忘れたと気が付いたのは、朝家を出るときだった。少々のことなら動じない性質で、きっと部室に行けばあるだろうと考え、いつもより少し早足で学校へ向かった。部室に入り、ロッカー前で着替えを始めていた鳳が、おはようと甘い笑顔を見せる。俺はややそっけなく挨拶を返した。
「日吉の荷物、預かってるよ」
「・・・すまない、それは何処に」
「危ないから俺の教室置いてきちゃった。後で届けに行くよ」
もう一度すまないと呟いてから、俺は素早くロッカーを開けた。レギュラージャージは汚れない限り置いて帰っている。荷物は常に少ない方がいいに決まっている。隣の鳳がいつまでもワイシャツでいるのを訝しがっていると、背中が。それだけ言って真っ赤になってしまったのでそれ以上俺は詮索しなかった。なんとなく聞かなくてもわかってしまう己が酷く気持ちの悪いもののように思われて心配だ。鳳が妙に早い時間に登校してきたのにも納得がいく。気を利かせるつもりで俺は手際よく着替えを進めた。
「ねえ、日吉は昨日跡部さんに会ったの?」
釦を外す器用な指が、止まった。俺はゆっくりとした動作で隣の鳳を見上げる。3回まわって、と言えばワン、と返しそうな鳳の呑気な顔を伸してやりたい気分に駆られた。
「会った」
「おいしーもの食べたんでしょ? 楽しかった?」
鳳の表情に悪気がない分、俺は昨日の己を攻め立てられている気がして、段々落ち込んできた。それにようやく、そのときになって昨日の跡部先輩の言葉を胸が何度も反芻するのだ。嫌になる。
「そんなことまで・・・とは、一体どんなことなんだろうか」
再び指が釦を外し始める。取り敢えず俺は一刻も早く着替えてラケットを持ち、コートに立つべきだった。
「日吉はさ、跡部さんのこと、好きなの?」
よくわかんないなー、と言いつつ漏れた、鳳の何気ない一言だった。しかしそれは確実に俺を貫いた。動機が激しい。俺はその一言に確実に動揺していた。羨望の対象であった跡部先輩を、俺が?
「・・・着替えた、出る」
本当はジャージをきちんと着込んだわけでもなかったし、制服もただ脱ぎ捨てただけだったのだが、場の空気のあまりの悪さに俺は話も返さずそのまま抜け出した。鳳の苦手なものが恋愛話というのは確実に嘘だと思う。



携帯電話というものは苦手だった。だがこれほどありがたいと思うものもまたないのだから、俺も立派に現代人だと思う。数少ないアドレス帳の中ですら俺のトップに立つのは跡部景吾と言う男だった。
俺には確認する必要があった。
だが、メールにしろ電話にしろ、俺は語彙というものが少なすぎて一体どう切り出していいのかわからないのだ。携帯電話を握り締めたまま俯いてばかりいる俺に、先程から鳳が話しかけようと機会を窺っているのが嫌というほどわかるのだが、鳳に気を傾けていられるほど俺には余裕が無かった。芽生えた別な角度からの感情のアプローチに俺は完璧に出遅れているのだ。次の移動教室は選択制なので鳳と教室を共にすることになる。迎えにわざわざ訪れた鳳とやはり一言も会話をせぬまま無駄に広い廊下を縫うようにして進む。
不意に、バイブ音がする。それは俺が胸ポケットにしまった携帯電話からのものだった。着信表示で、名前は跡部景吾と出ている。急なことに戸惑う気持ちと、素直に喜んでいる己と。鳳には急にトイレに行きたくなったと言って不自然に別れた。廊下を教室のある棟とは反対に突き進みながら俺は通話ボタンを押した。
「よう」
変わらない威圧感だ。昨日会ったばかりなのに、昨日は気まずかった所為か、会うのがまるで数ヶ月ぶりのような感覚に陥る。
「・・・もしもし」
「何だ、また泣いているのかと思ったぜ、あんまり心配させるな」
顔を見なくても伝わる空気で跡部先輩が微笑んでいるのがわかる。俺は胸に堪った思いを堪えきれずに吐き出した。
「跡部先輩は俺が好きなんですか」
「は」
明らかな動揺の声色。俺は跡部先輩のそんな短い相槌など聞いている余裕も無くて、その先を続けた。
「俺は跡部先輩が好きです。だからこそ超えたいと願うのかもしれません」
作品名:初恋 作家名:しょうこ