ひぐらしのなく頃に 壊 姉探し編
第二話
平成17年、雛見沢の立ち入り禁止が解除された。そのアナウンスを知って、私は直ぐに父さんと雛見沢に行くことを決めた。
これは大分昔から考えていたこと、私は前々から父に「雛見沢に行く」ということを話していた。おそらく母さんが死んで1年から2年頃、だから19から20年前に決めていたことということになる。
私の霊感が強くなったのも確かその頃からだった。
母さんが亡くなってから、私は霊のようなものを感じることが出来るようになった。霊かどうかは今でも確信はない。ただ「誰にも見えない何か」が人よりも感じやすくなってることは確かだ。
見えないけど、そこに何かが居るような気配。実際に何も見えない、けどそこに息づく気配はすごく人間に似ている。見えない人なんて霊しか思いつかない。「見えない何か」では語呂が悪いので、私はもっぱら「霊」と呼称することにしている。
とはいっても、霊感がある、なんてことは父さんにしか話していない。異常者が世間様からどのような目で見られるか、私は母をもって十分に知っていた。霊感があることが異常であることも、私は子供ながらにして十分に心得ていた。
今思うと子供の頃の私は相当大人びていたか老けていた。マセている、というよりもかなり達観したお子様だったらしい私は今も昔も全く変わっていないと思う。
霊感というのは年に応じて無くなっていくものだとか聞く。私もその例に漏れず、最近は子供の頃のような強力な気配を感じることはなくなった。気配を感じるだけで、霊を見ることが叶わなかったのは少しばかり悲しかった。
それでも姉さんの霊は弱々しくなりながらも、いつまでも感じ続けていた。
ほぼ毎日、夜寝る時も枕元で姉さんの霊を感じた。20年弱にも渡って執拗に私に憑き続ける姉さんはかなりしつこい性格だなあ、とも最近はうっとうしくも感じていた霊だったが、今年、つまり平成17年に入ってからその気配もピッタリと止んでしまった。ついに霊感の全てがなくなってしまったのかとも思ったが、6月になってあることが起きたのだ。
雛見沢の封鎖解除。
姉さんの霊は雛見沢の封鎖が解除された年に消えた。つまり姉さんは、「雛見沢で待っている。」そう言っているんだと私は解釈したんだ。
作品名:ひぐらしのなく頃に 壊 姉探し編 作家名:疲れた