偲ぶ銀の
あの時と同じ目的の下、再び、騎士団は結成された。
少数精鋭の騎士団のメンバーの中で、唯一久方ぶりに杖を持つシリウスが「魔法の練習をしたい」と言い出すのは僕にとって全く意外なことではなかった。
しかし、僕に止められると思ったのか、シリウスは言い訳するように言った。
「いざというときに、ハリーを守れなくっちゃどうしようもない。念には、念を……入れてもまだ足りないくらいだしな」
「わかってるよ、シリウス。君がそうしたいなら私が相手をしよう」
だから、僕も極自然に練習相手を買って出ただけのことだったのだが……案の定、シリウスはいい顔をしなかった。
「…お前が相手を?曲がりなりにも、攻撃呪文だぞ?」
まぁ、僕に過保護なシリウスのその反応もわかっていたので、リーマスは至極真っ当な理由を挙げることにする。
「あまりに危険なものはともかく、相手がいたほうが効果がわかるものもあるだろう?」
「だが……」
「それとも、手伝うのが私では力不足かな?本当に危なかったら、とっさに呪文を避けるぐらいの腕はあると思うけれど」
ここまで言うと、リーマスに引く気がないのがシリウスにも十分に伝わったらしく、はぁ…とやるせない様子で溜息を吐いた。
「……わかった。だが、まずは人形相手に練習してからにしてくれ…」
操作を誤ったら、どんな事故になるかわからない。
シリウスが自信無さ気に言う。
「私は君の腕がそこまで衰えているとは思ってないんだけど?」
私が少し悪戯っぽく言うと、シリウスは軽く肩を竦め、「そうだといいけどな」と返した。
◆ ◆ ◆
「ホグワーツ時代を思い出すな」
「そうだね」
ホグワーツの『必要の部屋』のような場所はなかなか得られるものではなかったが、攻撃魔法を発動させられるくらいの広さがある場所は騎士団も持っていた。
尤も、騎士団のメンバーはそれぞれが卓越した魔法使いなので、学生のような練習で使われることはまずないのだが。
私たちは『闇の魔術に対する防衛術』で習ったものを中心に、一通り呪文を浚うことにしていた。
こうしていると、私は試験前の練習を思い出すのだが、ジェームズとシリウスはそんなものをしなかったから、思い浮かぶとしたら別の情景かもしれない。
だが、私の思っていた通り、シリウスの腕は12年も魔法から離れていたとは思えないほど、技の冴えを見せていた。
彼自身の武器は、昔からその感性の良さにあったように思う。
多くの魔法使いが必死に鍛錬して掴み取る感覚を、最初から「なんとなく」掴んでしまうのだ。
ジェームズにもそんなところがあった。
人が躓くようなところを、難なくすっとこなしてしまうような才能が二人には共通して備わっているようで、それがあの息のあったコンビネーションの基になってもいたのだろう。
良くも悪くも努力がそのまま結果に出るタイプの私が羨ましく思っていたことなど、二人は知らないだろうけど。
ともかく、そのおかげかシリウスの魔法は、威力に関してはまだ最上とは言えないところもあるものの、それもある程度練習すれば完全に戻るだろうというものだった。
尤も、私が相手をしているせいでシリウスが手加減を“多分に”加えていた可能性はあったが。
「うん、これも問題ないみたいだね」
「レダクト、ステューピファイ……あとは何だ?」
指を折って数えたシリウスがリーマスに視線を向ける。
脳裏に、私自ら親友の――ひいては目の前の男の義理の息子に教えた呪文の名が過ぎる。
「守護霊召喚(エクスペクト・パトローナム)」
「……あれか」
それを告げるとシリウスの表情が引き締まる。
『守護霊召喚(エクスペクト・パトローナム)』は技術を復習する今までの呪文とは根本的に違う。
この呪文で必要なのは、心だ。
幸せの記憶や想いといったもの。
それはシリウスがアズカバンで最も縁遠くあったものだった。
奇妙な話だ。
ディメンターに“幸せ”を奪われることを恐れる私たちが、唯一身を守る方法も“幸せ”によってなのだから。
彼の横顔が自信なさ気に僅かに曇る。
「シリウス」
「…いや、大丈夫だ」
けれど、気遣って名を呼んだ私に、シリウスはしっかりと頷き返した。
そして、その呪文を口にする。
「エクスペクト・パトローナム!」
その呼びかけに応じて、シリウスの杖の先からキラキラと輝く銀の粒子が噴出す。
霧で作ったような曖昧な造形ではあるが、それらは意志あるもののように一つの形へと収束していく。
―――成功だ。
難易度の高い守護霊を召喚するこの魔法を、たった一度で成功させたのはさすがだった。
何より、幸せの象徴であるパトローナムは、シリウスはアズカバンの中で失なったものをあれからの日々で取り戻したという証拠であり、喜ばしいことだろう。
けれど、私の心はそれとは違う驚きで充たされていた。
煌く守護霊が、二人の頭の上を駆けて行く。
「シリウス…それは」
「……俺の守護霊(パトローナス)、だな」
シリウスも、リーマスの言いたいことは十分にわかっているのだろう。
むしろ、同じことを思っているはずだ。
自由に動き回る、銀色の守護霊(パトローナス)。
それは。
「ジェームズ…」
それは、牡鹿の形をしていた。
彼の方を向くと、シリウスは顔を伏せていた。
長い髪が肩から滑り落ち、その横顔を覆い隠す。
「シリウス…?」
表情が読みきれず、窺うように声をかけると、シリウスは暗い声で「悪い」と言った。
「一人にしてくれ」
僅かに震える声で言い切ったシリウスは、リーマスに背中を向ける。
「……わかった」
シリウスに何と声をかけてのいいのかわからず、リーマスは去ることしか出来なかった。
……リーマスも、シリウスと同じくらい動揺していたのだ。
だが、シリウスとはきっと全く違った理由だろう。
自分が見逃していた事実に。
一人場に残るシリウスの向いている方向とは逆に歩きながら、そっとリーマスは呟く。
「…シリウス…」
その心に与えられた、深い傷を想った。
作品名:偲ぶ銀の 作家名:加賀屋 藍(※撤退予定)