彼の声がでなくなる話
そんなフランスの言いように、イギリスはムッとしたような顔をした。そして握りしめた右手で、フランスの肩をばしりと叩く。なんだよ、可哀想だって言ってやってんだろ、とフランスは肩をさすりながら言った。
「のど越し良いもの……うどんやそば、おかゆ、雑炊、思いつくだけでもたくさんありますね」
「ああ、やっぱ日本だな。なあ、明日の会議が終わったらイギリス休養取らされるからさ、日本のところ連れてってやってくれないか?」
「え、」
「俺んとこに来させてもいいんだけどな、やっぱ体調が悪くてのども悪くしてんだし、ゆっくりできそうなとこで休養させてやりたいってこいつの上司が言っててさ」
「ああ、それもそうですね」
「なによりこいつ、声が出ないもんだからさ。電話も出れないし、非常事態に声も出せないのにひとりで置いとくわけにもいかねえだろ」
「ああ、たしかに。そうですね、私も会議が終わって帰国したらしばらくはのんびりする予定でしたし、かまいませんよ」
イギリスさんはそれでもよろしいですか、と話が結末に向かっていて、アメリカは慌てて口を開いた。
「ちょ、ちょっとストップ! なんでそれを俺にも訊いてくれないんだい! 不公平もはなはだしいぞ!」
「だっておまえ、主食バーガーだろ。のどが死ぬ。以上だ」
簡潔に言って、フランスはまたイギリスへと視線をもどした。日本もイギリスを見ていて、つられてアメリカもイギリスを見る。
声が出なくなって、精神的にかなり疲労しているのかもしれない。イギリスはやはり視線をすこし落したまま、こくりとうなずいた。
やけにおとなしいイギリスの態度に、フランスは眉をしかめ、日本は気遣わしげな表情をした。けれどアメリカは、自分がどんな顔をすればいいのかわからず、混乱する。
ふと、狙ったかのように沈黙が落ちた。まるでその瞬間を待っていたかのようにウエイトレスが飲み物を持って現れ、それぞれの前にカップを置いていった。
コーヒーがみっつに、紅茶がひとつ。いつもどおりの飲み物が並び、それぞれ砂糖やミルクを足して一口飲む。
「……イギリス」
何気なく名前を呼べば、イギリスは紅茶の水面を見ていた視線をあげてアメリカを見た。けれどいつものように「なんだよ」とぶっきらぼうな声が聞こえることはなく、ただじっと、動物のようにこちらを見ているだけだ。
「静かなきみってのもいいね。うるさくないだけでこんなにも違うものなのかな!」
いつものように怒ったりすねたりする、生き生きとした表情が見たくて、心にもないことを言ってみた。それでいつものイギリスが引き出せるのなら、安いものだろうと思ったからだ。
けれどイギリスはアメリカの言葉になにか反論しようと口を開きかけ、やはりすぐに閉じて視線を落とし、うつむいてしまう。
代わりに、なんてデリカシーのない男なのだと責めるような視線でフランスと日本がこちらを見ただけだった。
声がでなくて、いろいろと不便なことがあったのだろうか。ご飯を食べるだけでのどが痛み、そんな不便なことが重なって、すっかりイギリスはくたびれてしまっていた。
まるで声を一緒に、もっと大切な心の一部まで失ってしまったかのような、そんなふうにいまのイギリスはどこか欠落して見える。
けれどそれがここにいる三人全員の意見なのか、アメリカだけが感じたことだったのかは、けっきょくわからなかった。
ラウンジをでると、イギリスとフランスはそろってホテルへと帰っていった。イギリスがこんな状態なのでフランスとおなじ部屋に宿泊しているらしい。それならばアメリカの家にくればいいのにと反射的に考えて、胸の内だけにとどめておいた。
タクシーに乗り込むふたりを見送って、アメリカはハアと息をつく。それを耳ざとくきいたらしい日本に、控えめだが笑われてしまった。
「アメリカさんがため息とは、めずらしいですね」
「そうかな? でもさ、だって、思わずため息もでちゃうじゃないか」
「どうしてです?」
「どうしてって、イギリスのあいかわらずの奇想天外ぶりを考えてだよ」
そうですねえ、と日本はのんびりと答える。そしてふたりを乗せたタクシーが走っていった方向を見つめ、またアメリカへと視線をもどして首をかしげた。
「では、私もホテルへ帰らせていただきますね」
日本はけっきょく自分の意見を言うことはなく、そう断ってさっさと歩きだしてしまった。取り残される形になり、アメリカはぶうと唇を尖らせる。
おもしろくない。
思わず口からこぼれてしまった言葉は、目の前を走り去っていった車がぺしゃりと轢いてしまったような気がした。
翌日は、なんだかいつもより早く会議場へと到着していた。
そのせいか、まだほとんどが会議場へと入らずに会場前のロビーでたむろしていて、その中にイギリスとフランスの姿もある。
イギリスは昨日別れたときよりも、どこか憔悴しているように見えた。五人掛けほどの大きさのソファーに座らされているが、ぼんやりとしたまなざしで虚空を見つめている。
もともとイギリスは、嫌なことも嬉しいことも、見当違いなセリフではあるが言葉にして発散することが多い人だ。声がでないということだけでも、相当なストレスを感じているのだろう。
なにか声をかけようか。アメリカが迷っていると、視界の隅からふいにちいさな子どもが入ってきた。その子どもはまっすぐにイギリスのもとへ向かい、彼の目の前で足を止める。
「イギリスの野郎! 今日こそシー君を国として認めるですよ!」
甲高い子どもの声がアメリカの耳にまで届いてきた。イギリスも、その声にやっと正気づいたのか、ハッとした顔を子どもを見据える。なんだかわからないが、アメリカもそちらへと近づいていた。
子どもはイギリスそっくりの顔をしている。なんという名前だったか忘れたが、たしかイギリスの弟かなにかで、いまは北欧の一国が世話をしている子どもだったはずだ。
「イギリスの野郎、聞いてるですか!」
その子どもの声に、イギリスはガッと口を開いた。とてつもない怒鳴り声が聞こえると反射的に警戒して、アメリカは身構える。それは子どももおなじだったようで、パッと両手で耳をふさいだ。
けれど、いつまで経っても怒鳴り声は聞こえてこない。
その理由を知っているアメリカは眉を思わずひそめ、子どもはひどくいぶかしげな顔をした。
そしてイギリスは、火が消えるように表情は沈ませてのどを押さえ、肩の力を抜いてすこしうつむいてしまう。
「……イギリスの野郎、どうかしたですか?」
様子がおかしいことは子どもにもわかったのだろう。周りにいたほかのみんなも、イギリスに視線を注目させてぱちぱちとまたたきを繰り返している。
「あー、と、えっとな」
隣にいたフランスが、慌てて間を取り持とうとしたがすでに遅いとすぐに判断したのだろう。ハアとため息をついて前髪をかきあげて、肩をすくめる。
「こいつ、ちょっと風邪ひいててな。声がでないんだ。だからあんま、いじめないでやってくれるか?」
「いじめてなんてないですよ!」
人聞きの悪いことを言うなとばかりに頬を膨らませて、子どもはイギリスを見た。イギリスも、じっと子どもを見返す。
作品名:彼の声がでなくなる話 作家名:ことは