彼の声がでなくなる話
なにも言わないイギリスの様子に、子どもは飽きてしまったのだろうか。すぐにふいと踵を返してどこかに歩いて行ってしまった。
取り残され、またうつむいてしまったイギリスを慰めるように、フランスがその肩を数回たたく。子どもの姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、アメリカはそんなふたりに近づいた。
足音でこちらに気づいたのか、フランスが右手を上げる。イギリスもおなじようにこちらを見たけれど、やはりなにもリアクションは見せずにうつむいてアメリカの視線から逃げてしまった。
「よお、今日は早いな」
「朝からおなかがすいて目が覚めちゃってね」
そんなことはまったくの嘘だったのだが、フランスは疑う様子もなく、子どもだなと笑った。イギリスはあいかわらず表情ひとつ変えず、ただうつむいてぼんやりとしている。
なのでアメリカは、イギリスの前でしゃがみこみその表情を覗き込む。
「イギリス、おはよう」
まっすぐに顔を見つめられながら挨拶をされれば無視することもできないのか、イギリスは力なく笑った。けれど、笑ってひとつうなずいただけだった。
いつもならやれ「ネクタイが曲がっている」だの「ちゃんと髪を整えろ」だのうるさい人なので、なんだか物足りなく感じる。そしてそんなことを考えた自分自身に驚いた。イギリスはうるさいのだ。ものたりなく感じることなど絶対にない。
自分の中で芽生えた矛盾をもみ消すように立ち上がり、ふと視線をあげると傍にイタリアやスペインたちが集まってきていた。
「なに、どうしたのイギリス。風邪? 声がでないなんて知らなかったよー」
いつもののんびりとした口調でイタリアがそう声をかけたのをきっかけに、わらわらとドイツやオーストリアなんかも集まってきた。中にはハンガリーやリヒテンシュタインのような女の子たちもいて、のど飴を持っているのでどうですかとイギリスに渡している。味もたくさんあるんですよと笑う彼女たちに、イギリスも力なくうなずいて答えて数個受け取っていた。
ドイツやオーストリアなどはいつもの生真面目な口調で、紅茶にしょうがを混ぜるとのどに良いと聞いたことがある、なんてフランスと話している。
これから会議を始めるとは思えない、なんだかきゃっきゃとした雰囲気だ。イギリスとあまり接点のない者たちは遠目にこちらの集団を見ているだけだが、やはり和やかな空気をしているように見える。
なんだかんだあるが、欧州組は世話焼きが多くてけっきょくはみんな仲がいいのだ。連帯感も強くて、みんな長生きなだけあって持ちつ持たれつで繋がっている。
こんなとき、アメリカはどうしても自分が年下であることを感じてしまう。それがなんだかもやもやとして、うまく感情に名前をつけることができない。
「おはようございます、アメリカさん」
「あ、ああ、日本。おはよう。今日はめずらしく遅いんだね」
いつのまにそこにいたのか、アメリカの隣には日本が立っていた。慌てて挨拶を返すと、日本はどんよりと表情を暗くする。
「ええ、ちょっと朝から一悶着ありまして……」
答える声が疲れきっていたので、きっとなにか大変なことがあったのだろう。けれどそこを深く聞き掘ることはせず、アメリカは視線をイギリスの方へともどした。
「みなさんにバレてしまいましたか」
「うん。なによりイギリスが静かってのが不自然なんだから、隠し通せることはなかったと思うけどね」
そうですねえ、と日本はやけに間延びした声で答えた。視線を向けてみると、あいかわらずの感情を読み取れない瞳がじっと集団を眺めている。
なにを考えているのかアメリカには察することもできない。ならば考えても無意味だと肩をすくめていると、こちらに気がついたドイツが「そろそろ時間だ」とその場にいる者全員に聞こえる声音で告げた。
その声につられるようにそれぞれが移動し始める。日本が会議室へ向かっても、アメリカはまだ座ってかばんをごそごそやっているイギリスを見ていた。
立ち上がり、かばんを抱えて視線をあげたイギリスが、アメリカに気づく。彼は驚いたように動きを止め、ぱぱっと自分の左右を確認した。そしてまたアメリカへと視線をもどし、口を開いてそのまま固まる。
一瞬、自分が声をだせないことを忘れていたのだろう。彼は眉をしかめて首元を押さえ、またうつむいてしまった。
「会議、」
アメリカの声に反応して、まるで犬のような機敏さでイギリスは顔をあげた。
「会議始まるよ。扉を閉めるから、きみが入るのを待ってるんだけど」
嘘、だったのか自分でもわからなかった。扉を閉めるために立っているのも本当だし、そのためだけにここにいたのではないのも事実だ。
けれどそんなことがイギリスに伝わるはずもなく、彼は慌てた様子で会議室の中へと入って行ってしまう。その後ろ姿を、またもやもやとした気分で見送ってからアメリカも会議室の中へと入った。
会議中、やはりイギリスとフランスは肩を並べるようにして座っていた。発言はふたりでひとつ。当然のように喧嘩をすることもないので話はスムーズに進み、途中からはフランスがほぼ自分の考えを口にして、イギリスは腕を組んだままじっとしているだけだった。
そうして会議はタイムテーブルどおりに昼の休憩に突入した。あちこちから「あー」だの「うー」だのとうめき声があがり、各国は次々と椅子から立ち上がって体を伸ばしている。
アメリカも椅子から立ち上がって体を伸ばし、視線をイギリスへと向けてみる。イギリスは手に持った書類の底をテーブルにとんとんと叩きつけて整えているところだった。隣のフランスは、目の疲れを取るように指でぐにぐにと眉間を押さえている。オヤジ臭い。
あのふたりは一緒に昼食を取るのだろうか。たぶんこんな状態でフランスがイギリスを放り出すことはないだろうな思っていたが、やはり考えたとおり、フランスはイギリスの肩を叩いて注意を惹き食事に行こうと誘っている。
ならば自分もと、アメリカはふたりのもとへ歩み寄った。足音に気がついたふたりがこちらを振り返るとどうじに右手をあげて挨拶して、にっこりと笑ってやる。
「やあ、食事に行くのかい?」
問えば、イギリスはこちらをじっと見たままこくりとうなずき、フランスは「そうだぞ」と答えてうなずいた。
「おまえも食事に行くのか?」
「そう思ってたんだけどね、たまにはおっさんたちに付き合おうかと思ってね」
「おっさんてなんだよ」
ふたりはそろってぎゅうと眉を寄せて、不機嫌そうな顔をした。その表情がどこか似ていて、アメリカはなんとも言えない気持ちになる。
「どこに食べに行く気だったんだい」
「ああ、日本がいい店知ってるからって、」
「おまたせしました」
フランスの言葉尻りを捉えるようにして、死角から日本が会話に入ってきた。彼も会議で使用した書類を右手に持ち、すこしくたびれた顔をしてぺこりとお辞儀をする。
「おー、日本、準備できたか」
「ええ、お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いいって。それよりも、アメリカが一緒に行くってさ」
「ああ、そうですか」
作品名:彼の声がでなくなる話 作家名:ことは