彼の声がでなくなる話
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日本が案内してくれた店で昼食を食べ、四人そろって会議室へと帰ってきた。
時間がまだすこしあるからか、会議室にはぱらぱらとしか人の姿がない。遅刻をする者も多いので、会議を再開するにもうすこし時間がかかるだろう。
かなり満たされた腹をさすりつつ自席に座り、さてあまった時間をどう使おうかと考える。そういえば食後にコーヒーを飲み忘れたので、自動販売機に買いに行ってこようか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、なんとなくアメリカはイギリスへと視線を向けた。すると彼は、なにをしているのか日本の傍でもしょもしょと居心地悪そうに身じろぎしている。
手には一枚の紙。背後にイギリスが立っているが、日本は気づかずに席に座って書類になにか書きこんでいる。その背後で、イギリスは何度も手をあげてはおろして、肩を揺らしたりと忙しない動きを繰り返していた。
いぶかしげに眉を寄せてしまったアメリカだったが、しばらくしてイギリスがなにをしたいのかピンときた。
彼は、手に持っている紙を日本に渡したいのだろう。
けれど今のイギリスは声がでない。さらにどこか臆病な彼は、きやすく日本の肩に触れることもできずに、どうやって注意を惹いたらよいのかと途方に暮れているらしかった。
ほんとうにイギリスは変なところがある。紙を渡すという大義名分があるのだから、気にせず肩でも叩いてしまえばいいのに。変なところが臆病で、普通の人間が考えもつかないところで彼はいつも悩む。
しばらく見守って、それでも渡せそうになかったらここから日本に声をかけてやろう。そう決めて、アメリカはほんのすこしなりゆきを見守ることにした。意地悪い気持ちではなく、純粋にどうするのか興味があったのだ。
イギリスはしばらくのあいだ日本の背後でちょろちょろと忙しなく動いていたが、やがて意を決したのかゆっくりと伸ばした右手で日本のひじあたりの布に触れた。
その感触に日本が振り返り、後ろにイギリスがいるのを見とめると、驚いたように席を立つ。
イギリスさん、ああこれさっきの、ありがとうございます。そう言う日本の声が、アメリカの耳にまで届いてくる。問題なく紙を渡せたことに安心したのか、イギリスはあまり見せない笑顔を浮かべて首を振り、こくりとうなずいて席へともどった。
そこでフランスになにか声をかけられているが、こちらは小声なのでアメリカの耳にまで音は届かない。けれどイギリスの頬がカッと赤くなり、フランスを殴っているのでなにか恥ずかしいことを言われたのは察することができた。
ふむ、とアメリカは考え込む。椅子の背もたれに体重をかけると、ギッと派手な音が鳴った。
イギリスは声がでないと、他者との交流まで難しくなるらしい。数少ない友人の日本にすらあれなのだから、声がでない今の状態では普段から接点のない者との交流は絶望的だろう。
たかだか声がでないだけと思っていたが、事態はアメリカが思っていたよりも深刻そうだ。
そんなことを考えているあいだに、イタリアを引き連れたドイツが帰ってきてしまった。コーヒーを買いに行こうと思っていたのだが、彼が会議室にもどってきてしまうともう外にでることは難しいだろう。
仕方がないかとため息をつき、アメリカは手元にある書類をぼんやりと眺めた。
会議はそれからすぐに開始された。
飛び交うドイツの怒号に、イタリアの気の抜けた声、ざわざわと騒がしい会議室。いつもどおり、午後の話し合いもかなり混迷していた。あちこちから非難や罵倒のような声があがって、また違うところからは全然関係のない会話が聞こえてくる。
それでも、どこか覇気が足りていないように感じた。なにかひとつの要素が足りていないような気がして、どことなくみんなそわそわしているように見える。
いったいなにが足りないのだろうと考え、それがイギリスの怒鳴り声だと気がついた。いつもならこの喧騒の中に、イギリスの声が交っているのだ。
そういえばイギリスはなにをしているのだろうと視線を向けてみる。彼はやはりフランスの隣に座り、状況を読めていないちいさな子どものような顔をして大声で文句を言い合う者たちを眺めていた。
なにを考えているのだろうか。きらきらと輝く緑色の瞳は感情を写さず、ガラス玉のようにも見える。
なんだか動物っぽいな。そんなことを考えている視線の先で、イギリスがゆるゆると視線を書類の上へ落とした。なにか確認しているのか、イギリスは印刷されている文字を指先でたどり、ふと顔をあげる。
なんだろうと見守っていると、イギリスは視線をフランスへと移した。フランスは椅子に座ってドイツの方へと視線を向けているので、イギリスの視線に気づいていないようだ。
アメリカはふと、さきほどの日本とイギリスのことを思い出した。日本にはああだったけれど、フランスにはどんな接し方をするのだろう。考えると興味が湧いて、アメリカはじっとイギリスのことを見据える。
だが、そんなアメリカの期待とは裏腹に、結果はすぐにわかった。
イギリスはなんのためらいもなく腕を伸ばしてフランスの腕の服をつかみ、こっちを向けとばかりにぐいぐいと引っ張る。ドイツと意見を交換していたフランスは右手をあげてドイツに詫び、すぐにイギリスの方へと視線を向けた。
なにか筆談で話しているふたりを見つめながら、アメリカはつまらないなと頬杖をつく。フランスには遠慮しないイギリスは、こういうところではフランスだけにはいろいろと考えずに接するらしい。
日本が特別なのか、フランスが特別なのか。その判断はアメリカにはつかない。
けれどふと考える。たとえばあれがアメリカなら、イギリスはどう接するのだろう。日本のように声をかけるのをしばらくためらって控えめに袖を引くのか、フランスにしたようになんのためらいもなく手を伸ばすのか。
まあ考えてもわからないことだしと思考自体を放棄して、アメリカは自分の腕時計へと視線を落とす。
初日からイギリスとフランスが連名状態で発言したりと、いろいろとテンポが狂ってまともに進んでいたが、二日目の午後にもなると慣れ始めたのかいつもの調子にもどりつつあった。
要するに、話が進まず大幅に会議の時間を延長しているのである。
終了時間が五時だったにも関わらず、腕時計が主張している時間はそれを二時間も上回った七時だ。二時間も答えのでない問題をあーだこーだと論争しまくっている。
そろそろおなかがすいてきたなとあたりを見回すと、スペインやイタリア兄弟などがまったくおなじことを考えていそうな表情で黙りこんでいた。
ヒーローとして、そろそろ会議の終了を宣言するべきだろうか。おなかが減っている者を見過ごすことはできない。けれどきっとこのタイミングでアメリカが口を開けば、ドイツとフランスからの集中攻撃に合うだろう。
面倒だなあ、ぽつりとつぶやいた瞬間、バチンッとおおきな音がして会議室の電気が消えた。
「な、なんだっ?」
「おい、真っ暗だぞ」
ドイツとフランスの声が聞こえる。それをきっかけに、会場のあちこちからざわざわと声が響きだし、場が混乱し始めているのがわかった。
作品名:彼の声がでなくなる話 作家名:ことは