十字路
「カレー馬鹿っていうか、カレー狂っていうか、信者?なんだよね。最近もちょっとの間、わざわざ外国まで行ってカレーの勉強したり…………まあ、カレシに会いに行った、ってのが一番の理由かも知れないけど。そういや甲太郎、お前あんまり日に焼けなかったな?」
食事中の男の頬を無遠慮に擦る。その龍麻の所作は何となく、人間に対するそれでは無いように見えた。皆守は己の頬から龍麻の掌を叩き落とし。傍らの水をひとくち飲む。
「誰がカレシだ、馬鹿かお前は? そのカレシでも何でもない男が、べったべたに日焼け止めを塗ってくれたお陰でな」
「来た、惚気炸裂。葉佩君ってさすが葉佩君だよなあ、抜かりが無さ過ぎるわ」
「何が惚気だ、馬鹿かお前は?」
飼い主に懐いていない猫というのはこういうものかも知れない。七代はそういった猫を実際に見た事が、無いのだけれど。
「葉佩君、元気だった?」
「あいつが元気でない筈が無い」
「別に俺に遠慮しないでもっと行ってても良かったのにさ」
「別に、誰もお前に遠慮なんざしてねえよ、する意味も無いしな」
「かわいいよねえ、甲太郎は。七代君もそう思わない?」
よく判らない会話へ混ざられた上に問い掛けられてしまい。七代の頬が僅かに引き攣る。
「………………ちょっと、返答に困ります、ねえ。否定はしないけど」
「おい、そこは気を遣うところじゃないだろう、普通に否定してくれていい」
「気を遣ったわけじゃ、ないですよ」
好物らしいカレーを黙々と食べながら頭を無造作に撫でられ、悪態をついている皆守甲太郎の様子が、確かに何となくかわいいと言えなくも無かったのでそう言ってみたのだが。
皆守は眠たげな眼を大袈裟に顰め。明後日の方向へ溜息を吐いた。
「七代、って言ったか…………お前、ちょっと、似てるな。見た時から思ってたが」
「、ああ」
隣で龍麻も頷いて。しかし続いてふたりが口にした名は、どうやら同じでは無かったようだ。
「こいつに」
「葉佩君だろ?」
言ってから、七代の眼前でふたりの男は互いの顔を見詰めている。
「…………はあ? 九龍に? 何を言ってるんだ、似てるっていうならお前だろ、龍麻。当人だから自覚が無いのかも知れんが」
「甲太郎こそ何言ってんの。葉佩君に似てるじゃんか、よく見ろよ。俺、さっき初めて見た時葉佩君の弟かと思ったもん」
「あいつには弟なんか…………いやそれより龍麻の親戚か何かかと」
「俺に親戚なんかいないって、多分、まあ知らんけど」
「知らんのかよ」
血縁など居ないのだと唯一正解を知っている七代は、首を傾けながら緋勇龍麻の顔をじっと眺めてみた。似ているという自覚は、まるで、無かった。
はばきくろう、という名の男は(多分男だろう)本当に似ているのだろうか。誰かに似ていると言われた事の無い七代は、ただ純粋に薄ぼんやりと興味を抱く。
しかし何となく、似ていないのだろうなと、大した根拠も無くそう思った。
「葉佩君…………、の事は知らないからアレだけど、七代君は俺に似てると思う? 似てなくない?」
自分の頬を擦りながら龍麻が訊ねてくる。
まるで、親しい友人へ対するように。
己へ向けるその声音と空気の感触に気付き、七代は少し可笑しくなった。
緋勇龍麻と皆守甲太郎というこのふたりがなにものなのか、それは七代には判らない。
本人たちに直接問わない限りは。確実に彼らは『かたぎ』ではないのだろう。
けれど。
先刻顔を合わせたばかりだというのに、気が付けば七代はすっかりと彼らの輪の内へ簡単に入っていたのだ。手を引かれた事に気付かぬ程、簡単に、自然に。本当に、可笑しな男たちだと思う。否、彼らが普通の人間ではないから、こうなのだろうか。
しかし七代は彼らが何であるのか、もうどうでも良くなっていた。それは恐らくは、それほど大事な事では無い。
もし此処に雉明が居れば彼は彼らの事をどう言っただろう、確かにきみに似ているとでも言っただろうか。つくづくと今日雉明を連れて来なかった己の迂闊さが恨めしい。
「…………俺は、緋勇さんみたいには男前じゃないですよ」
浮かべた微笑はつくりものではない。七代が言うと、龍麻は掌をひらひらとさせた。
「いやあ、七代君も充分すごい男前だって! 学校でももてるでしょ? 仲間内大勢集まったら誰に何言っても誰かに睨まれちゃって、険悪な空気になっちゃう事ってない?」
「何を具体的に言っているのかは知らないが、そこは謙遜しろよ大人として。お前は全く、恥ずかしくないのか? お前が感じない分の恥ずかしさを全部俺が背負ってるって事に少しは気付け。頼むから。俺の健康の為にも」
苦々しく皆守はそう言ってから、食べ終えた皿に向けて丁寧に手を合わせた。
「今日は、いいものを食った」
そう言う声が本当にしみじみとしていたので。七代は常連客として少し嬉しいような気持ちになった。
「ほんとに、カレー、好きなんですねえ。カル……、ああ、店主に言ってやったらすごい喜ぶと思う」
珍しく大人しい店主の顔を思い浮かべて七代は言ったのだが、皆守はほんの少しきょとんとした顔で七代の方を見た。
「…………何、言ってる」
「?」
「お前だって、似たようなものじゃないのか? 常連で、しかも今のメニューをいつも頼んでるんなら。カレー、好きなんだろ?」
まさに、ふんわりと。
緩い感情を漂わせるばかりだった皆守甲太郎の口許に、僅かな笑みが滲んだ。柔らかさがじわりと匂い立つような笑み。七代はそれを確かめるように何度か瞬いた。
成程、確かに。この笑みを見た後であったなら七代は先刻のように返答に困ったりは、しなかったのだが。
「…………え、え、まあ」
七代が頷くと、皆守も同じくひとつ頷いた。
「カレー好きなやつに悪いやつはいない。お前とは趣味が合うかもな、七代千馗」
「そ、れは、どうも」
「ちなみにこいつはカレーよりもラーメンが好きなやつだからな、それに照らし合わせてもやっぱり気が合わない。納得だぜ」
「しょうがないじゃない、俺のこれは洗脳なんだから。まあ、いくら妬いてくれても構わないけどさあ」
「だ、れ、も、そんな事はこれっぽっちも言ってない」
言い合う緋勇龍麻と皆守甲太郎は本当に仲が良さそうだったので。
どういう関わりなのか訊ねてみようかと思ったところで、七代の携帯電話がぶるぶると振動した。
「、お……」
送信者には雉明零、とある。
読んでみると。どうやら駅前のスーパーで日用品のタイムセールがあり、羽鳥清司郎からふたりでそれを入手してくるようにと言われたようだ。
「すきなひと?」
何をしてか。緋勇龍麻はにやにやと変な笑みを湛えながらそう問うた。そんなに緩んだ顔をしていただろうかと七代は思いながら、笑って頷いておいた。
「みたいなもん、かな」
「おお。 甲太郎も七代君のこの余裕見習ったら?いつまでも恥ずかしがってないでさあ」
「お前も常識的なところをもっと見習ったらどうだ?いい歳していつまでも」
自分の分の伝票を取り上げながら立ち上がり、七代は深めに頭を下げる。
「ちょっと、用を頼まれちゃったので。すみません」
龍麻は腕組をしながらゆったりと笑んでそれへ応えた。