老人と子供
正直、うるさくないアーサーの相手は調子が狂う。自分が食事を終えるのを待っているアーサーはいつだって静かだった。いつもまるで昔に戻ったような気分になる。
アーサーはあまり物を食べない。いつだって、作り、与え、アルフレッドが食べる姿を見るだけだった。その顔があまりにも幸せそうであったから、自分の役目は与えられたものを受け取ることだと昔のアルフレッドは懸命だった。
しかし自分はどこかで無理をしていたのだと思う。先ほども言ったように彼と自分では趣味がまるで違う。性格の不一致ともいえるのであろうが、何より思うのは時の差、つまり歴史の差がそうさせるのだということだった。
伝統を重んじる彼と、革新を好む自分。共通する部分など無いに等しい。
欧州一の仲良し親子――親子というのが正しいのかはわからない――アントーニョとロヴィーノはよくよく二人で飲みにでかけたりするらしい。サッカーや好きな食べ物など、共通の話題があるということは重要なことだ。
二人で酒を飲みながら陽気に談笑するなんてことは自分達では考えられないことだとアルフレッドは思った。少しだけ想像することを試みると、その白々しさに吐き気がする。
だって、自分達は言い争ってそれだけの――ただそれだけの関係だ。
昔の自分に固執する彼と、その彼を疎ましく思う自分。この距離は埋めることなどできはしない。
その昔、定義付けられた距離を埋めようと彼に挑んでみたけれど、それは結局裏目にでて終わった。それによって今の自由と自分があるのだから特段悔やんではいないのだが、彼と自分との間には前よりも太く濃く境界線がひかれ、どんなに疎い自分であっても越えてはいけない一線というものがとてもよく理解できた。
―――越えられない、というほうが正しいかもしれない。
段々と腹も膨れ、冷たくなったポテトを指で弄んでいると、アーサーが口を開いた。
「なあ」
「なに?」
「お前の長期休暇って、一体いつまでなんだ?」
「ん?ええと、そうだなあ…」
長期休暇といっても正式にもらったものではなく、勝手に自分が決めているだけにすぎない。上司にはもちろん誰にもその旨は伝えていないのだ。アルフレッドがなんと答えようかと考えていると「いや別にそこまで気にしているわけじゃないんだ」と慌てたようにアーサーが弁解する。
「ただ、今日と…明日くらいは泊まっていけるのかって」
「ああ、平気だと思うよ」
「べ、別に泊まっていけって言ってるわけじゃないぞ。こっちにもそれなりに予定があるんだから先に言っておいてもらわないと俺が困るんだよ」
「そうかい」
冷たくなったポテトを一つ摘んでアーサーの口先にさしだす。彼は一瞬呆けた顔をした後、「いらねえよ馬鹿」と言って顔を背けた。なぜかその様子が可笑しくてアルフレッドは思わず笑った。
*
「あれは、ばあさんの方が美人だったな」
ひととおり腹がふくれ、満足したところでアルフレッドは店を出た。その後ろについてきたアーサーが声を大きくして言う。
日が傾いた街はクリスマスが近いせいもあってか、煌びやかな電飾があちこちに飾られており、恋人たちは腕を組み、寄り添いながら冷たい風をやりすごしていた。アルフレッドはそんな恋人たちを横目で見ていたため、アーサーが何か呟いたとしか認識できず、言葉の端をとらえて返事をした。
「……なにが美人だって?」
「お前がさっき口説いていた女だよ」
鼻をすするような音がして、目線をアーサーへと向けると、アーサーは鼻の頭を赤くして、拗ねたような顔をしながらマフラーに口元を埋めていた。
「ああ、もしかして店員の子かい?」
くどいてないけど。そう付け足すが、口説いていただろ。と睨みつけられる。「じゃあ口説いていたってことでいいよ」アルフレッドが口を尖らせそう言うと、一層不機嫌そうな顔で「でも、彼女のばあさんの方が美人だった」とアーサーは呟いた。
「何だい?君にそんな趣味があるとは思わなかったよ」
「バカ野郎!なにもばあさんになってから美人だと思ったわけじゃねえよ」
「じゃあ何」
再び横を通りすぎる恋人達を眺めながらアルフレッドはたいして興味もない様子で訊ねた。正直なところ、アーサーが誰をどう美人だと思っていようと興味がない。変態的な嗜好を植えつけられるようで、むしろ聞きたくも無かった。しかし、アーサーはそんなアルフレッドに構うことなく、やや自慢げに胸をはって喋りだす。
「あの店員のばあさんとは、昔知り合いだったんだよ。もちろん、ばあさんがティーンの頃の話だぞ。花屋の店員で、気のきくいい女だった。もう、孫が店で働くような年だとはな」
懐かしむように、アーサーが今しがた出てきた店を見つめる。その視線に、アルフレッドは静かにため息をついた。
「…君、そういうのやめなよ」
「なにがだ?」
「なんでもかんでも昔のことに繋げること。彼女のおばあさんは今はもうおばあさんだ。それと彼女を比べるのはよくない」
「別にあの店員を批判しているわけじゃねえよ。自然に思い出されただけだ」
「だからそういうのがさ。君は街を歩いて知人に会えばその三代前まで思い出しちゃうってわけか」
「なんだよ。いけないことか?」
いけないことなのかどうなのか、アルフレッドにはわからない。けれど、それは普通ではないことだと思った。自分達だけができる、永遠と等しい時間を生きたものだけが許される懐古の念。それは、アルフレッドにとってあまり必要としないものであったし、重要なものとも思えなかった。けれど、目の前でむくれる、何百年も前から変わることのない男にとっては、必要で、大切であることなのかもしれなかった。
「君って昔からそういうところあるよな。今は今でいいじゃないか。彼女は若くて美しい。その事実と彼女のおばあさんの少女時代は関係ない」
「思い出してしまうんだから、仕方ないだろ」
少しだけばつが悪そうにアーサーが俯く。それを見てアルフレッドはさらに不愉快な気分になった。
そうして過去のまやかしと現実を比べられたとき、まやかしに劣る現在の身にもなってみたらどうなんだ。アルフレッドは続けてそう言いたかったが、きっとこの話題は、彼と自分との間では永遠に分かり合えないテーマなのだろうと思い口をつぐんだ。無言のままアーサーから視線を外せば恋人達がキスをしている光景が目に入り、なんとも憂鬱な気分になった。
**
アーサーの家は郊外の、どちらかと言えば森や林と呼ばれるものに近いところにあった。家の裏手にうっそうとたたずむ木々たちに「あまりいい趣味とは思えない」とコメントすると、「そうか?」とあっけらかんとした声で返される。だってほら、あそこの茂みなんて、狼男がでてくるのにうってつけじゃないか。トラウマにもなっているホラー映画を思い出していると、その心を見透かしたようにアーサーは「モンスターはでない。妖精の森だからなここは」と言った。
「だから笑えないって、そういうの…」
いつものことながら、げんなりしてアルフレッドが言う。
「おいこれはジョークじゃねえぞ」
「もうどうでもいいよ」