南ちゃんではないけれど
ウソップの言ったとおり、第一打者にフォアボールを許したコーザにGLの打線は容赦なく、決定的な長打ではないものの、転がす打撃とバントでじわりじわりと綻びを突いてきた。ウソップいわく霜月のセンターとショートはかなり守備がうまいのだそうで、それがなければもっと点数が入っていたらしい。ゾロも一度打球を捕って1人アウトにしたのだけれど、それはスクイズというプレイだそうで、GLに1点得点が入ってしまった。
「3点、か……」
「返せるかな」
「わからねえけど、次は多分エースが来る」
さっき9番のピッチャーに代打が出ただろ、とウソップがスクリーンを指差しながら言った。
「今までのGLのピッチャーは控えだったんだ。これに勝てば次は強豪と当たるから、多分エースが来ると思う」
試合のはじめは、11番の選手が投手をやっていることが悔しかった。けれど、今は1番の選手が来るのが恐い。勝手な話だ。
『GL商業高校、ピッチャーの変更をお知らせいたします――』
ウグイス嬢の声に、1塁側の観客席からわあ、と声が上がる。マウンドに駆けてきた選手の背番号は――やはり、『1』だ。
思わずじっと黙り込んでしまったサンジをフォローするためか、ウソップが「でも霜月も1番からの打順だから……」と慌てて言うのが聞こえた。けれどサンジの耳にはそれはほとんど入らない。
未だに、野球のことはよくわからない。
けれど、サンジは今日3回もゾロを応援する声を聞いた。回を追うごとに声は段々擦れて、トランペットの音も苦しげになって、けれど彼らはゾロのことを応援していたのだ。ホームランホームラン、ロロノア。あの喫茶店のオッサンたちも、きっとゾロのことを応援してくれている。
「……1人出れば、ゾロに回る。あいつならきっとなんとかしてくれる」
野球のことなんてちっともわからないのに、サンジは今、ウソップのその言葉にしがみつきたくて仕方がない。
――「出たッ!」。ウソップの声にはっとグラウンドを見つめれば、1番打者のルフィが1塁を目指し猛然と駆け出したところだった。慌てて球を目で追おうとするもののそれは叶わず、ただ、セカンドかショートか(多分ショートだと思う)の選手が振りかぶっていたから、おそらくはそこに飛んだのだろう。
スクリーンの『H』の数字が、3から4に変わった。
スタンドからは女子の悲鳴、OBらしき者たちがルフィの名前を叫ぶのも聞こえる。7回を過ぎて以降除々に力を失い始めていた大太鼓とトランペットも、まるで息を吹き返したかのようだ。
「これで、牽制か併殺がなけりゃゾロまで回るぜ」
ウソップの解説には言葉を返さず、サンジはごくりと息を呑んだ。もう1人出てゾロがホームランを打てば同点。もう2人出ていれば逆転だ。もちろん、そんなふうにうまくいかないのはわかっているけれど……。
「いけっ、いけっ、シーモーツーキー!」
『ジンギスカン』の曲に合わせて応援団が掛け声を上げる。
「打って打って、打ちまくれ!」
それに合わせてウソップも声を張り上げたものだから、サンジは驚き隣を見つめた。ウソップが少し照れながら、「よく使われてるテーマだからわかるんだ」と頭を掻く。
「いけっ、いけっ、シーモーツーキー!」
見よう見まねで叫んでみれば、なんだか声が妙な感じで裏返ったような気がした。横でウソップが微笑んでいるけれど、もういいや、やりたいままにやってやる、とどこか開き直る。
「うまい!」
2番の打者はバントの構えをして、3塁側に転がした。1塁はアウトになったけれどルフィが2塁に進み、双方の応援団から拍手が上がる。
「次はコビーか……」
この選手のことは、ゾロのひとつ前の打順だからかなんとなく印象に残っている。2年生の選手で前の試合までは結構ヒットを打っていたけれど、今日の試合ではずっと凡退が続いていたはずだ。
「ここはヒッティングみたいだな」
行け、行け、シモツキ、打って打って打ちまくれ。
が――
「ああ」
ファウルボールで2ストライクを取られ、ボールツーまでは粘ったけれど5球目で空振り三振。ルフィは2塁に残り、コビーはバターボックスに蹲っていたけれど審判に促されベンチへと戻っていった。
「ゾロ……」
4番、サードロロノア・ゾロ君。
バットを振りながら進み出て、ヘルメットを取りながら一礼。ベースをコツコツと叩いて、腰を落とす――なんでもないような挙動のひとつひとつに、いちいちサンジの心臓が跳ねた。眩しくて仕方がない。フェンスの向こうのバッターボックスが、ひどく遠く見える。
こんなの惚れないほうがおかしいのに、手が届かないのだから、卑怯だ。
「ゾロ……」
応援団もウソップも、ほかの観客たちまで歓声を上げているのに、サンジの口はカラカラと渇いて、かすれた小さな声しか出てこなかった。ゾロ。ゾロ。
「ゾロッ!」
白い背中は振り向かない。
「ゾロー!!」
背中が、躍動して、一歩を踏み出す。ぐわりとひとつその身体が大きくなったような気がする。
思わず席を立って、フェンスにしがみついた。
キィン……
「行ったか!?」
ウソップの声も聞こえず、サンジの目は白球をただ見つめる。青空に帰るそれは昇る。眼前では、ゾロがバットを放って、ヘルメットを押さえながら駆け出している。1塁コーチャーがグルグルと腕を振り回している。
ライトの、線審も。
「入った……サンジ、ホームランだ! ゾロがホームラン打った!」
ウソップに飛びつかれて体勢を崩しながらも、サンジの目はただただ、じっとグラウンドを駆けるゾロの姿を追っていた。ゆっくりとダイヤモンドを回って、ホームを踏んで、チームメイトたちに飛び掛かられて――
「ゾロ……」
その場にじっと蹲り、自分の膝に顔を押し付ける。ウソップが慌てたように何か言っていたけれど、それも耳に入らない。こんなに嬉しいのに、誇らしいのに、どうしてこんなに寂しいんだ。
消えたボールが、そのままゾロのような気がして。
*
風に翔る白波よ、ああ、学び舎の空はただ高く――
青空の下、風にはためく旗の音に被さりながら響いたその歌を、多分サンジは一生忘れない。
5番バッターのサガがバッターボックスで膝を付いたその瞬間も、応援団に向かって一礼しながら崩れ落ちたコビーの腕を引き上げたゾロも、きっと忘れないだろう。
ゾロのホームランからほどなくして、試合はゲームセットを向かえた。バッターは5番、サガ。ゾロと同じく3年の選手で今日の試合でもヒットを1本放ちこの最後の打席でもボールカウントツースリーまで粘ってはいたが、GLエースの変化球に目が追いつかず、惜しくも凡退。
結果、2-3。
月並みな言い方だけれど――霜月高校の、ゾロの夏が終わった。
3塁側の球場出入り口に集まった選手たちを、観客が囲んでいる。ウソップは「居た堪れねえよ」と苦笑して帰ってしまったけれど、サンジは日陰になった壁に凭れかかり、じっと一部始終を眺めていた。今まで見に行った試合でたびたび見て来た光景だけれど、自分がその中にいることがなんとなく信じられなくてサンジはぼんやりと選手たちのユニフォームの白を見つめる。
作品名:南ちゃんではないけれど 作家名:ちよ子