愛着理論
エピローグ1
「ねこさんだったの!」
「おさかなだったの!」
新羅が帰ってから、水が真っ赤に染まった洗濯機を回し、双子と幼児番組を鑑賞し、咳をぶり返した九瑠璃をなだめ、作り置きのカレーを温めた。
子供用の刺激の無いカレーを食べながら、臨也は内心冷や汗を流していた。はしゃぐ双子の声が甲高く耳に響く。これが自分に向けられた言葉なら、いくらでも我慢しただろう。しかし双子がしきりに話しかけているのは、帰宅した母親だった。
臨也は聞き耳を立てるためだけに、美味くも不味くもないカレーをおかわりした。かなりイレギュラーな行動だったと自覚している。今のところ新羅の作り話を話しているようだが、いつ双子が最初の客人を語りだすかとひやひやした。
結局口止めはしなかった。当てにならないし、臨也と話している間も新羅やその作り話ばかり話題にしていたので、あえて思い出させることもないと判断した。今のところ、その判断は間違っていないようだ。
臨也は、母親とその左右を囲んでいる双子の後ろ姿をぼんやりと眺めた。もしあのまま警察でも呼んでいたら、今頃どうしていただろう。臨也は今日一日のことを思い返す。あの女は本当に愛人だったのだろうか。こうして差し迫った状況を脱出すると、昼に打ち切った疑念に苛まれる。父親はまだ帰ってこない。本当に自分は、日常が崩れることを恐れたのだろうか。臨也は自問を繰り返す。断じてそうではないと反発したいのに、明確な理由も見当たらない。あのまま放っておくのも面白かっただろうに。機会を逸したと悔しく思うのも本音だった。食べる手を止めてため息をつく。しかも、新羅に借りを作ってしまったのだから、余計に頭が重い。臨也は自省を振り払い、結局はぐらかされたままの運び屋の話を、明日こそは聞き出してやろうと心に決めた。
女はどこにいるのだろうか。東京湾ということはない筈だが、今頃何を考えているのだろう。臨也はもう一度溜め息をついた。
そこに突然、自分の話が出て肩をそびやかす。
「お兄ちゃんの友達が言ってた!」
「ねこさんのお友達なんだって!」
視線を上げると、母親と双子がこちらを振り向いていた。思わず表情を作り損ねた微妙な顔を向けてしまう。
「友達来てたの? 珍しいね」
「あ、うん」
頷くだけの臨也に、母親は言及して来なかった。小さい頃から、あれこれ構われるのが煩わしくて、家では物静かなふりをしてきた。会話はいつも短い。父親はまだ帰ってこない。臨也は思わず声を上げた。
「お母さん」
もう一度母親が振り返った。
「もうちょっと辛いカレーが食べたい」
母親は朗らかに笑った。
その夜は、風呂の湯が傷口に沁みて奥歯を噛んだ。