オージーボカン 風雲ハリウッドヒルズ
嫌味なくらい長い足を包むパンタロンを履いた男をヒューは垂れ目の端で捉えると、地味に臨戦態勢に入ったカンガルーはどこからか取り出した赤いマラカスを両手に握っていた。
その姿を見るとうっかり笑いそうになるが、それが油断を誘うのだ。
「…」
―――怖ろしい、愉快すぎるそのビジュアルが怖ろしい。
なんで他の奴らは平気な顔してるんだ、鈍感。とさえ、オージーと対峙する時は常々思っていたヒューだったが、それが今自分に向けられているのが分かると、そう笑ってもいられない。
あの赤いマラカスを出したということは、オージーは一足飛びでフィナーレに持ち込むつもりでいるのだ。
オージーからレオへ照準を変える瞬間に己の最期が訪れる。
英国産のヒューは舌打ちした。作戦は変更。
ヒューはトビーのクリスタルを持ったまま身を翻した。
「あ!」
「ヒット&アウェイだ!悪く思うな!ちなみに好感度が下がったって悪役だから本望だ!」
デイジーの手が勢いよくシートを倒した。後ろにいたルパートはそのまま驚く間もなく下敷きになり、その拍子にデイジーのこめかみに当てられた銃口は外れた。
発射されたエネルギーは宙に迸って霧散する。
シートに挟まれたルパートの手から銃をもぎとって、デイジーはシートの上に立ち上がり、さらに重みをかけてルパートの体を押さえつけた。
「…言っただろ?俺からクリスタルは取れない」
奪い取ったクリスタルバキュームガンとの2丁拳銃を構え、シート越しに足蹴にしたルパートを見下ろすデイジーの青い目は南極の晴れの空を思わせた。凍てつきながら輝いている。
「ヒューの『ウルヴァリン』は誰が持ってるんだ?」
さらに片膝を突いてシートを圧迫すると、ルパートはしおらしげに息をついて顔を背けた。
「なんてことだ…」
そして目線だけちらりとデイジーに向ける。
「はしたない子だ。スカートの中丸見え」
「なっ…!」
一瞬、毛を逆立てた猫のようにデイジーは動揺しかけたが、落ち着かない口元を引き結んだ。
「無駄だ。そんな手には乗らないぞ」
「下着は縞柄じゃないんだね」
「…っ!」
「それとも特別な時だけなのかな?」
「なぜそれを…!」
「え、本当にそうだった?」
おかしそうに目を大きくさせて、仰向けになっているルパートは下からデイジーを見上げた。
「特別な時ってどんな時?」
「このっ…!『ウルヴァリン』のクリスタルを返せ…!」
「そこまでだ」
低い声が響き、デイジーは固まった。コリンのクリスタルバキュームガンが向けられている。
倒れたシートの下でルパートは先程の調子を一転させて、静かに言った。
「コリン、銃を返してもらってくれ」
そう呼ばれたオープンカーのドア越しにデイジーへ銃を突きつける男は不機嫌そうな目線でデイジーに従うように促した。
やむなく開いたデイジーの左手がルパートから奪った一丁を落とし、銃はコリンの手の平で受け取られた。
コリンは言った。
「あのクリスタルはここには無い。別の場所に保管してある」
「大事に飾ってあげているよ」
ルパートがコリンへ向かって銃を寄越すようにと軽く手を上げた。
あの時、ヒューの体から取り出されたクリスタルの色をデイジーは思い出した。黒曜石のように闇の色に輝いていたクリスタル、『ウルヴァリン』。
「隣に君のも飾ってあげよう」
さらにそう言ったルパートが薄く笑う。
むざむざと銃が敵の手に取り戻されようとするのを見つめながらデイジーが奥歯を噛み締めた。
しかし、銃はルパートの手には戻らなかった。
「!」
稲妻のように走ってきた赤いものが銃を弾き飛ばす。銃はコリンの手を離れて芝へと落ちた。三者三様に目を見開く中、赤い弾丸は宙で一回転し、恐るべき早さでブーメランのように持ち主の元へと舞い戻ったのだ。
デイジーは持ち主の名を叫んだ。
「ヒュー!」
「デイジーに手を出すな!」
両手の赤いマラカスを交差させて構えながらオージーのヒューは白いパンタロンに包んだ長い脚ですっくと立ち、言い放った。
その足元の芝には英国のヒューが転がっていた。腹を抱えながら。
「あーやだやだ!こいつの格好、おかしすぎる…!」
砂浜に打ち上げられた魚のように体を震わせて英国のヒューは笑い転げていた。
なんとなくデイジーは顔を赤らめた。
いけないのは衣装。白いパンタロンもミニスカートも、ほんとうにいけない。いけてない。
帰ったら衣装の変更を申請しなければ、とデイジーは思ったが、所詮それは叶えられないことだった。
「笑い上戸なのも欠点だな」
コリンが呟くと、ルパートは億劫そうにシートの下から逃れてアルファロメオを降りた。ドアに腰掛けながらデイジーに二人のヒューを指差す。
「ねえ、やっぱり君のと交換してくれない?」
「やだ」
マラカスを構えていたヒューが険しい表情をぱっとほころばせた。
「いい犬だなあ」
「そうだな」
「犬扱いするな!むしろヒューはカンガルー似なんだぞ!」
「あ、飛び跳ねた」
「律儀だな」
その下で転がっている方のヒューがさらに笑い転げた。「…こっ殺される…!笑わされて…っ」
「ヒュー!やりすぎだ」
「うちのは笑いすぎ」
けれども、抜け目無くその隙を狙ってヒューが投げて寄越したクリスタルをルパートは受け取った。君にしては上出来だ、と皮肉を添えることも忘れず、手の中に収めた輝きに機嫌を良くした彼はコリンに自分達の車を発進させるように指示を飛ばすと、デイジーとヒューのオージー側のブーイングに対して高らかに宣言した。
「今回もこちらの勝利だ!ではコアラ君とカンガルー君、今度会ったら君達からもクリスタルを頂くからよろしく」
「こら!待て!」
「次回もミニスカートで頼むよ、じゃあねプリンセスデイジー」
「だ、誰が…プ、プリ…!」
「ははは!昔そういうタイトルのドラマに出たんだよ、私がね!今ならDVDはたったの5ポンド !」
ウィンク一発、芝生に落ちた銃を拾いに走ったルパートは、追いかけて来るデイジーとヒューにも余裕でいた。走りながら長い身体をちょっと屈めて、転がっていた銃に手を伸ばす。そして、コリンに運転させたキャデラックに回り込ませて、それにうまく飛び乗る。
はずだった。
「させてたまるか!」
脚を払われ、ルパートは芝生に前のめりに顔から倒れた。アーッ!という絶叫は遠慮なく近所に響いた。
「な、なんてことを…!危ないじゃないか!」
とっても高い鼻を持っているとこんな時に災いして大きな痛手を被るのだった。先が少々赤くなった鼻を手で押さえながら、思わず涙目になっているルパートが顔を上げて抗議すると、そこには両手を胸の前で組んだトビーが立っていた。当然のごとく怒っている。
銃はトビーの隣にいるレオに取り上げられていた。
逆転、逆転、そして暗転。
「僕は怒ってるんだ。全員、手を上げろ。特にイギリス人は抵抗したら、この人からもそのなんとかクリスタルを取るよ」
白い頬を赤くしながらトビーは自分のクリスタルを取られたことも怒っていたし、さらに自宅の庭の芝生が荒らされていることにも怒っていた。
作品名:オージーボカン 風雲ハリウッドヒルズ 作家名:bon