秘密はどうかしている
ヒューが振り返ると、ロクスは休憩室備え付けのカフェバーでコーヒーを淹れながらのんびりと返事してきた。
「私からはなんともいえない」
「二人の問題でしょう?」
「そうとも。だからヒュー、君には口を挟む権利はない」
「デイジーの友人として言うんです」
ヒューの言葉にロクスは声もなく笑んだ。
「では私にデイジーをどうしてほしいんだね?」
「デイジーにねこの耳つけさせるなんてプレイを強要するのは止めてあげてください!だってデイジー、もう…」
「もう、なんだって?」
デイジーがゆらりと立ち上がった。
「目を覚ますんだ!デイジー!おれだったら君にそんなことさせない!ありのままの君で充分…」
「うるさい!お前なんにも分かっちゃいないじゃないか!」
「まあまあデイジー、殺人は犯罪だよ」
「ええ!おれ殺されちゃうの!?」
「きっと簀巻きにしてモルダウに流すくらいで手を打ってくれるよ」
「殺人も簀巻きで放流もしない!」
一喝したデイジーの頭にあるねこの耳は怒りで角のようにピンと尖って、全然怖くなかった。
かわいいなあとヒューは思った。ロクスも思ったに違いない。
それが伝わったのか、むっと口を引き結んだデイジーのねこの耳は後ろから撫で付けるように垂れて髪に埋もれて見えなくなった。カメレオンの保護色みたいに。
ヒューは目を見開いた。
「まさか…本物?」
「よく出来ているように見えるだろ?」
皮肉っぽくデイジーは言ってそっぽ向いた。
とある国のとある場所にはとある秘密がある。
ある大都市から離れた静かな郊外にあるその町に住む、Wから始まり、mで終わるファミリーネームを持つ一家にも秘密があった。
その家に生まれる女の子は皆、ねこの耳としっぽを持っているということだ。
当然、家族以外には秘密にする。
その秘密を打ち明けるのは生涯の伴侶にだけだ。しかも逃げられないようウェディングベルを鳴らしたその蜜月に「見つけてもらう」。これは意外な効果を発揮して、新郎は新婦を守っていこうと教会の十字架の下での誓いを新たにするらしい。まあ、その以前に見つかってしまう場合もある。
しかし、ある年に生まれた子供は事情が違った。その子にも耳としっぽがついていたが、男の子だったのだ。耳としっぽのついた男の子なんて聞いたことがなく、両親は不安に思ったが、5人の姉に囲まれて、末の男の子はパペット遊びに夢中になりながらすくすく育っていった。
姉たちからしっかりと耳としっぽを隠す躾を叩き込まれながら。
問題が起こったのは思春期に入り、彼が最初の特別な女の子に秘密を打ち明けたいと考えたときだ。
今から大事なことを打ち明けるから、と彼女の前で耳としっぽを出そうとしたデイジーは、愕然とした。いつもは自在の耳としっぽが動かず出てこないのだ。
不思議そうに首を傾げる彼女の前で、とにかくしっぽをみせようと慌ててズボンを下ろそうとしたデイジーは誤解した彼女に平手打ちされた。彼女とは清い仲で終わった。
そして、何度か別の女の子たちとそれを繰り返すうちに気がついたのだ。おそらく姉たちの躾によって条件付けがされていることに。
女の子の前で耳としっぽが出せない体になってしまっていたのだ。
暗くなって荒んだハイスクール時代、演劇の道に導いてくれた先生にもそのことは打ち明けられることはできなかった。
初めて家族以外にそれがばれたのは、ロクスと出会って飲んで、彼の家に泊まった最初の夜だ。
酔っ払ってつい出してしまったらしい。知られたことに混乱しているデイジーから全てを聞き出したロクスは言った。
「ばらせないなら別に女の子にこだわらなくったっていいじゃないか。本来は男に打ち明けるものなんだろう」
「でも姉さんたちはそれぞれパートナーにしか打ち明けてない」
「だから、男なんだろう?女性が男に打ち明けるからって、素直に反対になるわけじゃないかもしれない。君は珍しい種類の人類ネコ科なんだから」
「…男に撫でてもらうなんてやだ」
「撫でる?」
「耳としっぽのことを知られたら、その人に撫でてもらえないと弱って死んでしまう…」
髪と同じストロベリーブロンドの耳はしんなりと垂れて、不安を押し殺そうと小さく震えていた。
ふうん、とロクスは頷いて、デイジーの頭に手を置いた。
「それで、どんな風に撫でて欲しい?」
今はデイジーの部屋に移動して、二人と向き合って座り、話を聞き終わったヒューの表情は、撮影で監督に頼まれたわけでもないのに眉間に皺を寄せていた。
「それからずっとデイジーは…撫でてもらっていたわけ?ロクスに」
「うん」
「そう、私が撫でまくっていたというわけ」
しれっとしたロクスの言葉にデイジーは、「なんだよ、やな言い方」と笑った。ヒューがますます渋い顔をしたのにも気付かずに。
「ヒューにはバレてしまったけれど」
デイジーがヒューの方を顧みた。ヒューの眉間の皺は瞬時に緩和された。
「秘密は守ってくれるよな?だってこんなのどうもしないことだし、お前はいい奴だし」
「…おれは君を撫でることはできないの?」
「心配してるのか?ああ、愛妻家だもんな。困るよな。平気平気。ロクスがいるし、両耳にキスされなければパートナーの交代はない」
「したよ」
「え?」
「さっき。ここで眠っていた時に」
デイジーの瞳が細められる。猫のように。
「どうして、そんなことを?」
「…思わず、好きだから」
デイジーの耳が怒ったせいでまたピンと跳ねた。ああ、かわいいなあとヒューは思った。やっぱりロクスも思っているに違いない。
「お前、知らないものは口にしちゃいけませんって親に教わらなかったか」と訊いたデイジーも的外れなら「好きなものは一番最初に食べろって習ったよ。兄弟多かったから」とヒューもまるで的を外れたことを答えるので、ロクスは飲んでいたコーヒーを噴出すのを堪えて、2杯目をあきらめた。まったく危険すぎる。
「気楽に言うなよ、ヒュー。もし本当だとしたら、この仕事が終わってからも会ってもらわなくちゃならなくなるんだ」
「ロクスみたいに?」
ヒューが彼の方に視線を向けると、ロクスはニヤっと皮肉めいた笑いをヒューに返した。まるで自分の代わりができるのか?と揶揄するように。ひどく意地が悪い。彼の代わりなんて出来るわけがない。ロクスとデイジーの仲のよさは特別製だ。年季も入れて、間に入り込む隙がない。
ならば、入らなければいいのだ。
「ごめんね、デイジー」
ヒューはデイジーの青い瞳をまっすぐに見つめながら、真摯な面持ちで謝罪した。
「眠っている君に勝手なことをして悪かったよ。知らなかったとはいえ、するべきじゃなかった」
デイジーの耳の力がちょっと抜けた。
「まあ、知らなかったんだし…ちょっと驚くよな、こんな耳…」
「こんな耳だなんて。素敵な耳だよ。だからつい、口つけちゃったんだ」
「お世辞はいいよ。おれだってほんとは…こんな猫みたいな耳じゃなくてコアラの耳だったら、少しは楽しくなったんじゃないかなって思ったりするんだ」
それ、なにも変わらないんじゃないか?と考えつつ、ヒューはデイジーの腕をとりながらこう申し出た。
作品名:秘密はどうかしている 作家名:bon