魅惑の彼氏。
それが、どうしてこうなっているのだ。
さすがに後ろ暗い危険な修羅場を何度もかいくぐってきた臨也でも、今は見た目より大分動揺していた。たらふく摂取した酒精が、全く抜け切れていないことも一因である。
見知らぬ男のはずなのに、妙に既視感をおぼえるその姿。
とにかく少しでも情報を得ようと、普段の十分の一くらい動きの鈍い頭で考え、じっと男の顔を見つめる。目が合うと、男はにっこりと笑みを返してきた。笑顔は敵対心を緩める、とはいえ、この状況でそれを知っている身からすると、どうにも裏があるように思えてならない。
ただ、観察することに長けた臨也の目から見て、目の前の見知らぬ男からは、特に敵意や害意を感じないのである。それが逆に、なんともいえず気持ち悪かった。悪意は明確だ。理由を簡単に推測できる。しかしそうでない場合どう対応したらいいのか。正直なところ、臨也の持つ対処法のレパートリーはどう考えても万年品薄だった。
はっきりと世界中の人間に嫌われている自信がある。
歴然とした事実として、自分が「人間」として好かれないことを、臨也は知っている。それ以前に、興味を失くすとすぐに忘れてしまう臨也なので、知らない(忘れてしまった)相手から敵意を向けられることなどよくあることだ。だから、誰に対しても臨也は警戒を忘れないし、誰からでも害を与えられうる可能性を常に視野に入れている。
だがこの男は、今までに出会ってきたどんな相手とも違う。状況だけ見れば敵、としか思えない。もしくは敵でなくても、何らかの害を与えてくる相手だ。それが、何故ここにいて、そして何故寝ている臨也の寝首をかくわけでもなく、臨也の目覚めを待っていたのか。
しかも何故臨也の腹の上に──いるのか。
わからない。
わからないから、気持ち悪い。
睨みつけるように男の顔を凝視するが、あいかわらず爽やかな笑顔を浮かべているのを見て気の抜けるような心地で、臨也は一瞬息を止め、かるく溜息をついた。もう考えるのもめんどうくさい。溜息と一緒に肩から力が抜けると、何だか本当にもうどうでもいいような気がしてきたから不思議だ。
一応は男から目を離さないまま、それでもさっきまでの緊張した体勢を崩そうと緩慢に腕を動かすと、指先に何かが当たった。とっさに視線をそちらに向けて、臨也は思わず、あ、と呟いていた。
確かに酔っ払ってふらふらと帰り道を歩きながら、食べたいなーとぼんやり考えていた記憶があった。心癒されるみどりの包みと、見慣れた形状。中身は簡単に予測できる。
(そうか・・・・・大トロか・・)
完全に得心のいった臨也は今度こそ深く息を吐いた。何かに似ているような気がしていたが、それは男の髪が臨也の唯一の好物である大トロを思わせる色合いだったからなのだ。
どおりで、見れば見るほど男の髪は食欲をそそる色をしていた。
そっと手を伸ばしておいしそうな髪をくしゃりと撫でると、男はきょとんとしたあとで、ますます嬉しそうに笑った。その顔には全く見覚えがないはずなのだが、どうしてだか知っているような気もする。やわらかい目と、少しこどもっぽい口元。造作は少し軟派な雰囲気だが整っている。
「・・・君、何処の店のこ?」
思う存分髪を撫で回したあとふと問い掛けると、首をかしげて男は口を開く。
「忘れちゃったの? いっくん、よく来てたよねー」
「・・・・・・・・・・・いっくん・・・?」
「うん、いざやだからいっくん。かわいいだろ」
しばらく沈黙して臨也は混乱する頭を何とか整理しようと試みた。
多分何処かの店のホストなのは間違いない。服装は何だかホストらしくないけれども多分きっとホストだ。多分。疑問なのは、今現在酔っ払ったまま着替えもせずに女の格好をしている臨也を、この男が何故正しく臨也だと把握しているのかということ。そして男の発言を聞くかぎりでは臨也の行きつけの店の従業員のようだが、やはり臨也には覚えがないこと。
「スターダスト・・? それとも、キラークイーン? リップバンウィンクル? 時斗? えっと他に・・・・」
思いつく限りのクラブ名を挙げてみるも、目の前の男は薄い反応で首をかしげている。臨也が次第に焦りを覚え始めた頃、男はそっと指である一点を指し示した。
「・・・・・寿司・・・?」
その指の先を目で追って、辿りついたのは臨也が買って帰ったとおぼしき土産の寿司。
「俺ここの店のこなんだけど、いっくん他の店のこもよく買うの? ちょっとショックだなー」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
「まあいっくんが俺のこと好きでいてくれるだけで嬉しいんだけどね俺は!」
理解できない話に呆然と見つめる臨也の唇をかるくつついて、男は目の覚めるような、いやむしろ酔いの醒めるようなとびきりの笑顔で、言い放った。
「俺たち大トロは、いっくんが大好きだよ」