My home1
My home Ⅴ
先程のフランシスさんのように、けれど不思議とフランシスさんよりも力強く穏やかな手付きで手を引かれてトイレを出る。
ところで結局ベールさんはトイレに入っていないのは何故なのか。 まさか家まで我慢すると言い出すまいなと不安になったが本人は何食わぬ顔で私の前を歩いているし、鏡を見に来たのかもしれない。 そんな事を考えながらちらちら様子を窺っていることに気づいたのかちらりと視線だけで見下ろされた。
「……あっあの、トイレは……」
「あぁ、さすけねぇ。 トイレでねくて鏡見に来ただけだべ」
連れ立って席に戻るとフランシスさんとエリザさんは先程と変わらず楽しそうに話していた。 傍によっても私に気づく様子は無い。
フランシスさんは普段は周囲に気を使う洞察力の鋭い方なのにそんなにエリザさんと話すのが楽しいんだと、そう考えると胸が苦しくなった。 なんでこんなに嫌な気持ちになるのか私自身にも分からない。
「フランシスさん、ただいま戻りました」
背凭れに手を着いて席を覗き込むと、バッと振り向いて大袈裟なくらい飛び上がって驚かれた。
「わっ、おかえり……! もうパフェ来ちゃったよ、ってあれ……菊ちゃんの前の高校の……」
「はい、今お手洗いで偶然お会いしたんです。 ……それで、折角お会いしたのでこれからお家にお邪魔しようと思うんです」
そう言うとフランシスさんが眉を寄せた。 手を掴まれ、引き寄せられる。
「今から?」
「はい。 お二人も話が弾んでいらっしゃるようですし」
そんなことを言ってはいけないと思うのに、まるで当て擦りのような言葉が止められなかった。 胸の中にどろどろとした黒くて、生暖かい水が渦巻いているような気がする。
「……菊ちゃん?」
「もしかしてフランシスと私のこと、何か勘違いしてるんじゃない?」
「それでは、行って参ります。
パフェはお二人で食べてしまってください、申し訳ありませんでした」
母親か姉のような態度で優しく話しかけられて、言い様も無くイライラした。 そしてその言葉に深く頷くフランシスさんにも。 私のことを年端も行かない子供のように扱うのも、2人だけの話題を共有してひけらかすのも止めてほしい。
「行きましょう」
後ろで黙って立っていたベールさんの手を掴むと、フランシスさんが小さな声で私の名前を呼んだ。 でも振り向こうとは思わなかった、良い気味だと思っているからだ。
自分の子供っぽくて嫌らしい行動に胸がむかむかした、あんな態度じゃ嫌われてしまったかもしれない。
頭にぼすんと硬くて大きな手が振ってきて、帽子がずれるほど撫で回された。 思わず見上げると元気を出せ、と言うように頷かれる。
そうだ、折角久しぶりに会えてしかもベールさんのお家に呼んでいただいたのに落ち込んでるなんて失礼にも程があった。
「久しぶりに沢山お話できると良いですね」
「そだない」
駐車場で車に乗り込んだ。
中はいつもベールさんからする深みのある暖かい匂いで満ちていて、包み込まれる感覚に胸がドキドキした。 森の中に居る時と感覚的には似ているかもしれない。
身体に触れる温度が更にその感覚を強めてなんだかそわそわしてしまう。 落ち着かなさに視線を彷徨わせていると、ベールさんがこちらを見た。
「なじょした?」
「すっ、すみません気が散りますよね。
フランシスさんは車を持っていらっしゃらないのでなんだか新鮮で……!」
「さすけね。 ちっと恥ずかしいけっどもそう言うことなら幾らでも見てけらい」
「あ、ありがとうございます」
その言葉に甘えて一通り車の中を見回すと白い犬のぬいぐるみやガラスで出来た国旗柄のお馬さんが置かれ、飾られている写真立てにはまだ私が転校する前の体育祭で競技の終わりに撮った写真が入れられていた。
自分が友人と馬鹿笑いしている写真を教師の車に飾られるなんてどう言う羞恥プレイなのか。
「これ、懐かしいですね。
私が借り物競走に出たときのですよね」
「あっ! ん、んだない、優勝したっけから……。
ほ、ほだに見らんな……」
「ベールさんも嬉しかったですか?」
「勿論だべ。 ティノ達にも羨ましがられだ」
そう言って誇らしげに、にっと微笑まれた。 教員席に居て見えなかったが、きっとベールさんは私達の優勝が確定したときもこんな風に笑ってくれていたのだろう。
赤信号で停まった後、大きくて節くれだった男らしい手が私を撫でる。 前の高校に居たときは良くこうして撫でてくれたことをふと思い出した。
「あんにゃと上手く行ってねぇのけ?」
不意に頭を撫でていた手が下りてきて、頬に触れる。 そっと指で頬を押されて向き合うと、いつの間にかベールさんの澄み切った泉のように冴えた薄い青の瞳がこちらを見据えていた。
「もし違ったら悪いけっどもそんな風に見えだもんだがらよ、俺でよがったら話してみっせ」
「上手く行ってないわけじゃないんです。
……ただ私が変なだけなんです……最近の私はおかしいんです……」
「なして?」
「フランシスさんが女の人といることに嫉妬するなんて、気持ち悪いですよね」
ベールさんは一瞬動きを止めたがすぐに私の頬を落ち着かせるように優しく指先で撫でてくれる。
伏せていた目を上げて様子を窺ってみると、ベールさんは怒られるんじゃないかとドキドキしてしまうような物凄い顔でこちらを見ていた。 先程までは和んでいた顔は強張り眉も寄せられている。
「ベ、ベールさん?」
「あっあぁ、すまねぇ」
「いえ。 ……ベールさんも気持ち悪いと思われますか?」
「ほでね! そんな訳ねーぞい……!」
それだけ言ってベールさんは黙り込んで眼鏡に触れた。 車内に重たい空気が流れて気まずい。
気持ち悪いと思われたかもしれない、やっぱりこんなこと言わなければ良かった。 ちらりちらりとこちらを窺う視線に泣きそうになっていると、車が停まった。
「着いたっけ、降りてくなんしょ」
「あ、はい! ありがとうございました」
「本当にそっだこと思ってねえけ、信じてくんにがい?」
「……はい」
肩を掴まれじっと目を見て言われて、気圧されるように頷づく。
途中に寄った郵便受けを開けたときにちらりと見えた際どい格好の女性の絵が載せられたチラシを大急ぎで捨てていたのには少し笑ってしまった。
二人でエレベーターホールに並んで待っていると、開いた扉の中から年配の女性が降りてきた。 ドアが閉まらないようにベールさんが自然な動作でドアを押さえる。
「あら、ありがとうねぇ」
「いいえ……お気をつけて」
無言で頭を少し下げて応じたベールさんの代わりに応えると、女性がにっこりと笑って私達を見比べた。 そして突然バシバシとベールさんの胸を叩く。
「良い彼女さんだねぇ。
こんなに愛想が良くて可愛い子は中々居ないよ、仲良くね!」
「えっ! いえっ、そんな……!」
「あらぁ、照れちゃって可愛いわね」
そう陽気に笑いながら女性は手を振って歩き去って行った。
そっと黙り込んでいるベールさんに視線を移すと凄い威圧感を発しながらこちらを見つめている。 眼が合うと我に返ったような顔をしてさっと目を逸らされた。
「のっ、乗るべか」
「はい」