my common holiday
こほん、といやな予感しかもたらさない咳払い。そして。
「イギリス、俺のパーティーに来てくれるんだって?!」
今度の沈黙は長くは続かなかった。とはいってもイギリスはやはり惚けていたばかりで、口火を切ったのは、生徒のように右手をまっすぐあげた日本だったのだが。
「失礼ですがアメリカさん、そのパーティーというのは――」
「そんなのは勿論、7月4日に決まってるじゃないか!」
まずは指先から。そして手のひら、手首を伝って二の腕へ。耳の中を流れる血液の音、肩口と首、いつもより早い脈拍、みぞおちの辺りが冷える。どこにも頭をぶつけてなどいないのに目がちかちかして、踏みしめているはずの地面が不安定になる錯覚が起こりはじめてやっと震えているのだと気がついた。
イギリスはアメリカの肩口に額を寄せていた。腕の力はもう抜けていたから、今こそ逃れるべきだとなんとか押しのけようとして、手を当てた薄手のスーツの向こう、四角い感触がイギリスを止めた。アメリカにまだ気付かれないうちに手を伸ばし、恐る恐る、しかし素早く掠め取る。白かった封筒はすこしだけ日に焼けて黄色っぽく見える。
(なんで、こいつが)
脳裏に浮かんだのは華やかな祝いの席だった。おめでとう。おめでとう。かけられるいくつもの声が胸の中を素通りしていく光景。自分ひとりだけが忘れられずに、捨てられず、自分よりも強くなってしまった子供をまっすぐ見られずにいる光景。そして耳に突き刺さるあの忌々しい単語を反芻するのだろう。独立、独立、独立!
暑苦しいと容易く言い表された湿った空気が容易く雨の日を連想させる中で、刹那、目の前の男に縋ることを考えた。けれどももう、カードを取り出していた。それが全てを決めるとでもいうように、ようやっとふるえを抑えた手で開きながら名前を呼ぶ。
「アメリカ、」
「うん」
「お前、いつ」
「忘れていったのは君なんだけどね」
ほら、あの日、君は朝から呼び出されてただろう。あとでこれがベッド脇に落ちているの、見つけてさ。特に探した、とか、そういうわけじゃないんだけど。
台詞が長くなって行くにつれ、はじめは自信有り気にイギリスを見下ろしていたアメリカは俯きがちになっていった。イギリスが思うのと同じくらいに、アメリカにも自分が口にした内容の荒唐無稽さが分かってきたらしい。が彼はそれでも言葉を続けた。言葉と言葉の合間に顔をあげて、イギリスと目を合わせて、最後には小さく笑って、
「ねえ、イギリス。これは俺のパーティーだから、俺が持っていてもいいんだよね?」
こちらの心情を伺おうとする視線。頼りなげな気配を混ぜた口吻。まだ帰らないよね?と記憶の中の少年が情けない表情を浮かべる。するとどうしたって近寄らずにはいられなくなってしまう。
イギリスはため息を吐き、カードをアメリカに突き返した。ぱぁあ、と綻んだ表情にすこしだけ、ほんのすこしだけ心臓が跳ね上がる。結局それ以外の選択が有り得るはずもなかったのだった。
*
そうと決まったあとのこと――。
だいいち、誕生パーティーの類はよほどの仲でもなければ(現にアメリカとイギリスはその「よほどの仲」なのだが)国が自ら思い煩うようなものではない。招待状を渡され、いくら犬猿の仲でもせいぜい上司から二言三言たしなめられて、それでも気に入らなければ象徴的に顔だけ見せればいい話だ。今回のような場合でも大筋は同じことで、イギリスが考えるべきことなどなにもなかった。つまり、普段通りに仕事をこなしているうちに、いつの間にかその日はもう、目前に迫っていた。
スケジュールは二日前から開けてあり、飛行機は一日前にワシントン入りすることになっていた。そして、空港のぴかぴかに磨かれた床に足を踏み入れたイギリスは、二日酔いの頭痛と時差惚けの眩暈とで、一歩一歩がまるで綿の上を歩いているかのようにゆらゆらしていた。
(船ってのは、ある意味、合理的な乗り物だったのかもな……)
兎も角なんとか荷物を受け取りチェックアウトを済ませ、イギリスは到着ロビーではたと立ち止まった。とは言ってもついに倒れそうになったわけではない。
「おーい、坊ちゃーん、アーサー、そこのむっつりイギリス人ー!!!」
フランス訛りの、あまりにもわざとらしい英語だった。つまりこいつは自分から無視して欲しいと言っているようなもので、ならばその罠にそのままかかるのも癪だったから、逡巡はしたものの結局歩み寄ることになった。これ以上注目を集めたくもなかったから、すぐにも掴みかかろうとした手はなんとか下ろして、
「なんでてめえがここにいるんだよ」
「そりゃ勿論、お前を迎えに。……どこかの合衆国様に言い付かりましてね」
睨みつけるイギリスにフランスは一瞬怯んだものの、離れる気はさらさらなかったらしい。
「で、どういう心境の変化だよ、ん?」
のみならず歩きはじめてからも何故か距離を縮めようとしてくるので、早くもイギリスはついてきたことを後悔する羽目になった。
「んなこと聞いて楽しいか」
「楽しい」
きっぱり、と言い切られる。
「だから教えてよおにーさんに。秘密にしとくから、さあ!」
「てめえに何か言うくらいなら穴掘って中に向かって叫ぶから安心しろ」
「お兄さん無機物以下?!」
「そういう問題なのかよ」
「そういう問題でしょ。話したら楽になる程度の問題」
「………………」
「で、坊ちゃんはどう見ても考えすぎ。アメリカのことばっかり考えるのが気持ちいいのは分かるけどさあ、傍から見たら、あんまり楽しいもんじゃあないぜ?それこそ、当のアメリカだって……お、あれがおにーさんの車。ちょーっと美しくないけど、まあ、レンタルじゃこんなもんか。っと、荷物後ろに入れとけよーイギリス。イギリス?」
その後のことは、あまり覚えていない。
といってもその場で気を失ったわけではなく、唯一の目撃者だったはずのフランスにもイギリスがいつ倒れたのかは分からなかったようだ。車に乗り込んでから運転する間も話したりはしていて、その間の返答も気だるそうにではあったがこなしていたらしいし、いつものことでもあったから、特に気にはしなかったらしい。イギリスに意識がないことが判明したのは、パーティ会場であり宿泊先にも指定されて貸切になっていたホテルに着いてからで、そのときは仕事場にいたアメリカがすぐに呼び出されたらしい。
全てあとからアメリカに聞かされた話だった。
*
クーラーのかすかな唸りで目を覚ました。
作品名:my common holiday 作家名:しもてぃ