カテリーナ
6.
既に日は落ちていて、あたりは真っ暗だった。
私とナターリヤ・アルロフスカヤはあれから一緒に勉強をしたり、下校するくらいの仲になっていた。腹立たしいことに彼女はとてもモテたので、しばしば付き合っているのかと聞かれることがあった。
そういうときはにこりと笑って「ご想像におまかせします」と答える。
余計な誤解を生むかもしれないが、私にはむしろそちらのほうが好都合だった。
噂くらいたってくれないとこちらの身が持たない。
彼女の鈍感ぶりは天下をとれるほどだった。
否、鈍感などではないのだ。
彼女の頭の中には、兄のことしかなかった。
兄以外の誰かを好きになる、誰かに好かれる、という思考回路がどこにも存在しない。
彼女は何度も何度も私のことを友達と言った。
他人よりはいいかもしれないが、そこまでポジティブには考えられなかった。
彼女への想いは日に日に増していく。
言う勇気はなかった。
いつか、と言ったってそれがいつなのかわかりはしないけれど、いつか必ず、言うつもりだ。
しかし、彼女の兄に勝てる気もしなかった。
彼女の兄への愛は、とてつもなく大きくて、とてつもなく重かった。
けれど彼女の愛はなぜか義務的だった。
「兄を愛さなければならない」と、自らを戒めているようだった。
義務的な愛は、本当の愛ではない。
彼女がなぜそこまで兄に固執するのかはわからなかった。
きっと何か理由があるのだろう。
それがわかるまでは、このまま友達でいるのもいいかもしれない。
そんなことを考えていた。
「暗いから、お家まで送りますよ。」
「・・・うん。」
学校をでて、私たちは歩き出す。
澄んだ空気が鼻をツンと冷たくした。
吐く息は白い。雪は降っていなかった。
歩くたびに積もった雪がざりざり鳴る。
寒さで、降った雪が凍っているのだ。
時々吹く風は、袖口から入ってきて身体を冷やした。
彼女は寒いのか、手をはあと吐息で暖めている。
「どうぞ。」
コートのポケットに入っていた手袋を差し出した。
彼女はそれを見て、少し躊躇ってから受け取る。
手にはめた手袋は彼女の手には大きいようだった。
「お前は、ちょっと私に甘すぎるんじゃないか?」
「そうですか?」
彼女は手袋をゆらゆらさせながら私に言う。
そんなつもりはなかったのだが、知らないうちに彼女に甘くなってしまうのかもしれない。
貴女のことが好きだから、という言葉を呑みこんだ。
「私はお前からもらってばっかりだ。・・・返せないのは、嫌だ。」
彼女の言葉を聞いても、私にはどうすることもできない。
だって私がしたくてしていることなのだから。
「こうして隣で歩いているだけで、私には十分すぎるほどなんですが。」
彼女はむうと頬を膨らませた。
恩を売っているわけではないのだから気にしなくてもいいのに。
まあ、こんなところも彼女のいいところだ。
彼女はよし、とつぶやいた。
「本田、今日はバイトないんだよな。」
「ええ、そうですけど。」
「夕飯、食べていけ。作ってやるから。」
いきいきとした表情で彼女はこちらを向いた。
きっと何も考えずに言っているのだろう。
私は口元に手を置く。
彼女は料理上手だった。
姉さんには及ばないけど、と言いながら毎日弁当も作ってきていた。
元々兄姉と暮らしていた時もよく作っていたらしいが、一人暮らしを始めてから更に料理の腕は上達したと聞いた。
彼女の手料理が食べたくないわけではない。
むしろ食べたい。ものすごく。
けれど、彼女は一人暮らしだし、それはたぶんとても危険だ。
私は少し迷ってから口を開いた。
「ナターリヤさん。・・・あの・・・。」
「よし、それがいい!」
彼女は私の言葉を聞かずにずんずん歩いて行った。
断るタイミングを失ってしまった私ははあ、と大きな溜息をついて、頭を抱えた。
まったく異性として見られていないのは、嬉しいことなのか虚しいことなのか。
大きく吐いた息は白く消えていった。