whimsical love
無様に泣き続ける俺に、再び黙り込んでいたシズちゃんがもう一度右手を伸ばしてきた。思わず身が竦む。
―――どうしよう、別れるって言われたら。
逆ギレまでしておいて、何を今更怯えているんだろう。俺は自分がほとほと情けなくなった。
それでも、決定的な言葉を言われるのが、怖かった。
そして―――
「ばぁか」というシズちゃんの声を聞いたと思った次の瞬間、左頬に激痛が走った。
「い………いひゃいいひゃいいひゃい!!!」
思いっきり頬をつねり上げられ、次いで勢いよくシズちゃんの指が離される。
思わず、椅子から転げ落ちそうになった。めちゃくちゃ痛い。………あれ、普通に、痛い。
「お前ってやっぱ、マゾなわけ?」
「……はぁ?」
未だに混乱は続いていたけれど、何よりも普段通りに話しかけられたことに頭の一部で言いようのない安堵感を覚えてしまう。
いや、でも、そんな身も蓋もない言い方をされると……
俺は明らかにさっきとは違った種類の涙を拭って、ようやくまともにシズちゃんの顔を見る。
シズちゃんは、頬杖を突いて、にやにや笑っていた。
「何で泣いてんのか知らねぇけど……俺はただ、お前も可愛げのあることできんだなぁって思ってただけなんだけど? 必死になって嫉妬なんかしてさ」
……………………。
…………………へ?
なに、それ?
「だって、シズちゃん、さっき俺のこと引っ叩いたじゃん」
頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする俺に、シズちゃんはまだ若干にやついたままで答えた。
「違ぇよ。臨也のくせに可愛い真似するから、ちょっと触ってみたくなっただけだって。……お前、拗ねだしてからずっと顔真っ赤なんだよ」
思わず両手を両頬に当ててしまった。
触りたかったって……まさかあのぺちっ、ていうのは、本当にそれだけだったの? 適当にあしらわれたわけでも、面倒がられたのでもなくて?
「………嘘」
シズちゃんのくせに、何それ。
どこぞのカップルがコツンッて頭を小突くような、人差し指でおデコをぐいってやるような、ああいう感覚でやったわけ? 何だよそれ、いっつも暴力と暴言ばっかりのくせに。
大体、あれは怒っても許される場面なのに。シズちゃんのデレのスイッチが分かんないって。
……あ、じゃあ、黙り込んでた時も実は面白がってたとか? 確かに直接顔は見なかったけど。
―――ていうかそもそも、俺に嫉妬されて、シズちゃん嬉しかったの?
「……だって、シズちゃんに嫌われたと思ったから」
「……何でそういう話になったんだよ」
シズちゃんは今度こそ呆れたような表情になった。
―――まさか、俺とシズちゃんの間に、そんな甘い馴れ合いが成立するなんて。
想像できなかったし、考え付きもしなかった。
今まで散々俺に暴力を振るうために使われてきたシズちゃんの右手が、俺を抱きしめるときと同じような感情を宿して、俺に触れてくるなんて。
「で、何だっけ、俺に全力で殴れって? お前、自殺願望とかあったのか?」
「……ううん、別に」
―――この恋人関係において不慣れで未熟だったのは、どうやら俺の方らしい。悔しいことに。
いつも通りのシズちゃんの声を聞いていると、一人で勝手に暴走し、あまつさえ号泣してしまったことに対して、今度は急激に恥ずかしさが沸き上がってきた。……あ、今ちょっと、死にたいかも。
「あーでもさぁ、最近のお前、男とか女とか何かちょっと気にしすぎだろ」
「……だって。それに抱く側か抱かれる側かだったら、シズちゃんが抱く側でしょ?」
「いや、そういう話ならそりゃまぁ、そう願いたいけど。……でも別に、手前に彼女になって欲しいとか思ってるじゃわけじゃないし。つぅかそれは何か、気持ち悪い」
「……はい」
本気で気持ち悪そうな顔するなよ、とちょっと思う。思い切って女装とかしなくて良かった、ともちょっと思った。
「―――大体、手前の方こそ俺に信用は無いのかよ」
「え?」
「女だろうが男だろうが、手前以上に執着できる奴なんてそうそう居るかって言ってんだよ。まぁ良くも悪くも、な」
どくん、と自分の心臓が大きく脈打つのを感じた。
「あー、もう。しょうがねぇなぁ。やっぱ自分で食おうかと思ってたんだけど……」
シズちゃんは忌々しげにそう呟いて、バーテン服のポケットから何かを取り出した。
俺の目の前に差し出された、10センチ平方ほどの、その小さな平たい箱は、多分。
「やる。有り難く食え」
その箱の中身は、多分、チョコレートだ。4つ入りの、この時期によく見かけるやつ。
「―――何で、」
その小さな箱を呆然と見つめる。目の前の状況が、うまく整理できなかった。
だって、バレンタインは女性が男性に想いを伝える一大イベントでしょ。
だって、シズちゃんは『男』の方なのに。
バレンタインデーは俺が渡して、風向きが良ければシズちゃんがホワイトデーに返してくれて、っていう流れだと疑わなかったのに。いや、確かに最近は逆チョコとかもあるけど、それを言うとそもそも俺も男なんだけど。
でも何か、そういうのはどうでもよくて。
―――やられた、と思った。
「……本当、シズちゃんって嫌いなんだよね」
箱からシズちゃんの顔に視線を移した。シズちゃんは思いっきり不機嫌そうな表情をしてたけど、俺には分かる。シズちゃんは照れているのだ。
「本当に―――シズちゃんは、俺の思い通りになんてなってくれないんだから」
そう言って椅子からガバッと立ち上がると、俺は急いでテーブルを回り込んでシズちゃんの膝の上に陣取った。
それからバーテン服の細い体に両腕を回して、抱きついた。さすがのシズちゃんでも窒息して死ぬんじゃないかってぐらい、全力で抱きしめた。
「シズちゃん、何か俺、シズちゃんのことすごく好きみたい」
「……コロコロ意見が変わる奴だな」
俺も好きだ、とか、愛してる臨也、とか甘い言葉を返してはくれなかったけれど、シズちゃんは両腕で優しく抱きしめ返してくれた。
作品名:whimsical love 作家名:あずき