月蝕ノ怪異
其れと、正臣の言葉を比べると、やはり臨也は普通ではないな、と帝人は思う。普通、誰だって、「美しさとは何か」と聞かれたら、正臣のような反応をするだろう。帝人自身も、そうだった。
また、其れを聞いたからといって役に立つ訳ではないし、聞いても仕方のないこと自体に興味を持つのも、やはり普通ではない気がした。
けれど、帝人が臨也のことを「普通ではない」と思うのは、其の思考力についてだ。
滅茶苦茶なことを云っているようで、的を射ている彼の言葉の羅列には、何時も帝人は驚かされている。今回のことも、何十年も年上の人が云うなら其処まで胸に残ったりはしなかったかも知れない。臨也だからこそ、帝人は興味を持った。何故、自分と恐らく五、六歳しか変わらない若さで、物事の本質を的確に思考し表現することが出来るのだろうか。帝人は其れが不思議で堪らない。
――帝人っ。
不意に名を呼ばれ、帝人は、はっと我に返る。眼の前には、少し機嫌の悪そうな正臣。
「……意識飛んでた?」
そう云えば、正臣は座った眼で黙って頷いた。其れを見届け、帝人は、ごめんごめん、と謝ると、またやってしまった、と胸の裡で呟き苦笑いを浮かべる。
帝人は何か考え事をすると、誰といても考え込んでしまって、自分の世界にとっぷり浸かり込んでしまうことがしばしばあった。其の度に、「自己完結しないっ」と正臣に怒られるのだが、今日も怒られてしまった。
正臣が、ふぅと溜息を吐いてから、コーラをぐびりぐびりと好い音を立てて飲む。正臣のグラスの中身がメロンソーダからコーラに変わっているのを見て、如何やら本当に自分は正臣を放ってしまっていたようだと実感すると、帝人は余計に申し訳なくなった。
そんな帝人を余所に、正臣はグラスの中身を飲み干すと徐に口を開く。
「ところで、何で急にあんな事聞くんだ?」
正臣は、頬杖をついてストローを唇で弄び始める。そんな正臣に、「行儀が悪いよ」などと注意しつつ、帝人は素直に「こないだ臨也さんに聞かれたんだ」と答えてしまった。
……しまったっ。そう思ったが、遅かった。ぱたりと音がして、正臣の口からストローが落ちる。
「……帝人、お前、あの人と会ってんの?」
そう口走る正臣の顔は真っ青だった。
「なぁ、何かあったのか? 何にもされてねぇよな?」
「そんな、正臣が心配するようなことは何にもないよ、ちょっと話しただけ」
「あの人には関わるなって云ったよな?」
「……うん、そうだね」
「いいか、帝人。あの人には、……あいつには、絶対関わるなよ」
――折原臨也に関わるな。そう云う正臣の眼は真剣だった。普段のおちゃらけた様子は微塵もなく、何処か思い詰めたようだった。其の気迫に圧倒される形で、帝人は黙って首を縦に振るしか出来ない。元々ダラーズのこともあるから云えるわけもないのだが、其れを抜きにしても「毎晩のように臨也とチャットで話をしている」などとは絶対に云っては不可ないことに思えた。
「怒られちゃいましたよ、正臣に」
そう云うと、帝人は手渡された缶コーヒーのプルトップを引っ張る。かぱりと音がして、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
定期考査が終わった其の日の夜、帝人はまた臨也と会っていた。東口正面へと続く、都道435号音羽池袋線沿いの歩道、其の植え込みの柵に並んで腰かけながら、臨也は可笑しそうに笑う。
「あー、駄目駄目。俺は彼に嫌われちゃってるからねぇ」
何時もの頭の先から爪先までほぼ黒で統一された服装。やはり顔や首筋、シャツの襟ぐりから見える鎖骨の辺りがぼんやりと白く浮かんで見えた。
東口五差路を越した先、人々が集まるメインの通りから離れた其処は、そんなに人通りは多くない。街灯が一定距離毎に立っていて、首都高へ向かう形で背中の後ろを車が走って行く。
其の薄暗い中、此れからのダラーズのこと、今池袋で起きていることなどを話す臨也の姿が、其の恰好の所為か闇に溶けているようで、いまいち現実味が無い印象を、帝人は受ける。ただ、車のヘッドライトに照らされる時に、くっきりと臨也の姿が浮かび上がるので、其の度に、「あぁ、此の人はちゃんと自分の隣にいるのだな」と、帝人は其処に臨也がいることを確認できた。
「ところで、帝人君。君また怒られちゃうんじゃない? 俺と会ってると」
一頻り話をした後、臨也が帝人の顔を覗き込むようにして口を利く。
「別にチャットのプライベートで話たっていいわけだ、いちいち会わなくてもね」
「あぁ、すみません。臨也さん、忙しいですよね」
「別に俺のことはいいんだよ、気にしないで。俺は君に興味があるから、好きで来てるんだ。ただ君の"親友の"正臣君が心配するかなと思ってね、いいならいいんだけど」
そう云ってふわりと笑う臨也に、帝人も笑みを返す。
「文字だけじゃ、うまく伝わらないこともありますし、たまに斯うやって実際に会ってもらえると、僕は助かります。僕も、臨也さんに興味がありますし……」
帝人がそう云うと、突然隣で臨也が嗤いだした。
一頻り笑ったと、臨也は云う。
「君は本当に面白い子だ。君は聞いてるだろ? 俺がどんな仕事してるかって。前にも云ったよね、興味本位でこっち側に来るなら止めた方がいいって。俺だって決して安全じゃないよ? 俺以上にヤバいやつはいっぱいいるけど。なのに自分から危険に首突っ込んで来るなんて、やっぱり君面白いよ」
一気に言葉を吐き出すと、臨也は立ちあがり、腰を折るようにして座った儘の帝人を覗き込んだ。
「今のは忠告だ。危険だと分かってても、其れでもやりたいこと、知りたいことがあるなら、いつでも歓迎するよ」
そう云う臨也にじっと眼を見つめられ、帝人は背筋を何かが走ったような感覚を覚える。全てを見透かすような傲慢さを湛え、其れでいて、全てを愛おしむような赤銅色の瞳。不思議と其の瞳から目が離せなかった。
帝人が何も云えずに黙っていると、不意に臨也がちらりと横をみた。其れから「……やべっ」というと、帝人の手を取って立ち上がらせる。其の時遠くから、臨也の名を紡ぐ重低音が聞こえてきた。
「面倒臭いのが来たから俺もう行くよ、またね、帝人君」
そう云うと、臨也は小走りに駅へ向かい始める。其の後ろ姿に、帝人はお礼と然様ならの挨拶を叫ぶ。すると、臨也はピタッと立ち止まり振りかえると、「そうそう! 明日の夜、皆既月食なんだってさ。興味あれば見るといいー」と叫んだ。其れから、じゃぁね、と云うとまた駆けだした。帝人が其れに「はぁーい」と返事をした時、真横をものすごい勢いで静雄が通り過ぎていった。
「何故にいきなり皆既月食の話?」とか「静雄さん、相変わらずすごい……」とか色々思うことはあったが、其れは言葉にせず、ただ、慌ただしいなぁ……、と一人苦笑いを浮かべた。
翌日、学校が休みであるのをいいことに帝人は昼近くまで布団の中で過ごした。昨日の内に買っておいたあんパンを、牛乳と一緒に食べながら、ネットで天気を調べる。
「おー、書いてある、書いてある」
帝人が嬉しそうな声を上げたように、検索した気象情報のページには、今晩の皆既月食の話が載っていた。
『本日は昼夜ともに快晴。全国的に皆既月食が観察できそうです』