恋文
二人はアイスを完食すると、そのまま少し早い昼食に突入した。臨也は口を開けるのも億劫なのか、卵サンドを細かくちぎって口に運んでいる。食欲も無いようだったが、新羅が説得すると渋々手をつけた。ついでに、口を開けた紙パック入りのコーンスープを差し出す。臨也が視線で抗議するのを黙殺して、新羅は惣菜パンにかぶりついた。
「俺、新羅が怒ってるとこ初めて見た」
臨也がコーンスープに口を付けながら言う。
「そうだろうとも。僕も初めて見たよ」
新羅は口の中のものを飲み込んでから言った。
極めてマイペースな新羅は、滅多に感情が振れない。先程怒鳴ったのも、正確には意識してそうしたのであって、静雄のようにキレたわけではない。しかし、新羅の記憶にある限り、そうして怒って見せたことさえほとんど無かった。そのことに思い至って、新羅は静かに嘆息した。
臨也は思いのほかコーンスープが気に入ったようで、すっかり膝に抱え込んでいる。その手がいつもより赤いので、新羅は本日三回目の罵詈雑言を胸の中に留めた。
「そういえばこれ、返すね」
ポケットに入れたきりだった財布と鍵を渡すと、臨也は財布だけを床に置いた。しばらく鍵を見つめた後、再び新羅に差し出す。意味が分からずに首を傾げると、痺れを切らした臨也が口を開いた。
「あげる。余ってるし」
思わず狼狽した新羅の膝の上に、臨也は鍵を落とした。その鍵は、先ほど新羅も使用した、間違いなく本物の折原家の鍵だ。臨也がそんなものを他人に渡すとは思えない。
「……男の家の合鍵とか、限りなくしょっぱいんだけど」
「だって明日も来るでしょ?」
新羅が鍵を返そうとすると、臨也は突っぱねた。玄関まで下りるのも億劫ということだろうか。臨也の言っていることは滅茶苦茶だが、あまり喋らせる気にもならず、新羅は追求を諦めた。仕方なくポケットにしまう。
「これもあげようか?」
臨也が財布も指し示したので、それは丁寧に断った。正確には、臨也が再び膝に落とそうとした財布を、立ち上がって避けた。
臨也が薬を飲んだのを見届けて、新羅はようやく部屋を辞すことにした。菓子の入った袋とドクターバッグを纏めて片手に提げる。
「じゃ、帰るからね」
既にベッドに潜り込んでいた臨也は、布団の端から手だけ出して応えた。その様子に苦笑して、新羅は部屋の扉を閉めた。薄暗い廊下は少し蒸し暑い。新羅は外に出て、さっそく貰った鍵で玄関を施錠した。鍵をポケットに戻す。臨也の様子を思い返しながら、新羅は独り言を呟いた。
「普通の親、ね。僕には分からないことだな」