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体はシチューで出来ている

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「やぁ、いらっしゃい」
 リオウがノックをし掛けたところで、先取るように扉が開く。やわらかな空気を纏って出迎えたのは、マクドール邸の主ティエルだ。
「す、すごいです坊ちゃんさん! どうして判ったんですか!?」
 リオウは手を上げたままの姿勢でキラキラと目を輝かせた。ナナミもリオウの背中で興奮気味に、やはり同じく目を輝かせている。
「リオウの気配はとても眩いもの。遠くからでもよく判るよ」
 すごいすごい、と興奮冷めやらぬ様子の二人を宥めて室内へと促す。そうしたところで慌しい足音が響き、愛らしいエプロン姿の従者が姿を見せた。
「坊ちゃん、グレミオが参りますと── まあまあ! リオウくんにナナミさん、それにフッチくんも! いらっしゃい、お久しぶりですね」
 頬に大きく刻まれた十字傷の厳しさも霞む陽だまりのような暖かい笑顔に、くすぐったい気持ちが湧き上がる。リオウはほんの少し頬を染めて、ほわりと笑んだ。
「こんにちは、グレミオさん。今日も坊ちゃんさん、お迎えに来ちゃいました」
「ええ、グレミオはもちろん判っておりますよ。さぁさ、立ち話も何です。美味しいシチューが出来ているんですよ。ご馳走させてくださいね」
「グレミオさんのシチュー!」
「グレミオさんのシチュー!!」
 満面を輝かせて、リオウとナナミはグレミオの腕に絡んで駆けてゆく。
 普段はティエルとグレミオのたった二人の静かなマクドール邸は、リオウの訪れのたびに賑やかに眩い光に満たされる。ティエルは目を細めて彼らの軌跡を辿った。心地良い、けれど相反する属性に粟立つ感情を持て余しながら。知らず右手に添える指に力がこもる。
 そっと、隣に気配が立った。
「フッチ、」
「ティエルさん、ルックは城に居ます──呼びましょうか」
 瞬きを一つ、二つ。そうしてティエルはゆうるりと首を振った。
「いいや、だいじょうぶ。僕が超えなければいけないことだから」
 きゅうと右手を握り締める。包帯に隠されたそこには昏い気配が淀んでいる。強い光が傍にあることでより濃くなるそれを抑えるように、けれど愛おしげに──もう一度そっと撫ぜた。

「ご馳走さまでした!」
 行儀良く手を合わせて、リオウはほうと息を吐いた。次から次に調子に乗っておかわりしすぎたかもしれない。まるく膨らんだ腹を恨めしげに見やる。
「リオウ食べすぎだもん」
「そう言うナナミだって、」
 姉弟は互いの腹を睨み合ったあと、噴き出すように笑った。そうしてふと、視線を感じて顔を上げる。向かいに座るティエルが、静かにリオウを見つめていた。何となく居た堪れず、頬を染めてリオウは視線を彷徨わせた。チラと上目遣いに見やると、やはりティエルは凪いだ眸でリオウを見つめている。
「あの、坊ちゃんさん、そんなに見られるとその、恥ずかしいです……」
「……そんなに、見ていたかな」
 変わらぬ表情のまま、ことりと首を傾げる。後ろで食器を片していたグレミオが、エプロンで手を拭きながら応えるように笑った。
「坊ちゃんはリオウくんの食べっぷりが嬉しかったんですよ。ご自分のお好きなものを、リオウくんたちと分かち合えることが嬉しかったんです」
 ねえ? と笑みを向けるグレミオに、ティエルはこくりと頷く。
「……僕の体は、グレミオのシチューで出来ているから」
「つまりこれを食べ続ければ、僕も坊ちゃんさんに!?」
 音を立て椅子を倒す勢いで叫ぶリオウに、ティエルは至極真面目に頷いた。
「……きっとナナミでも見分けがつかない」
「すごいです! どうしようナナミ!!」
「どうしようリオウ! お姉ちゃん失格になっちゃう!!」
 二人手を合わせて盛り上がる。そんな姉弟を柔らかく目を細めて見つめるティエルは、変わらぬ表情の下けれど微笑んでいるように見えた。
「……どうしよう、ここにはツッコミ要員が足りない……」
 フッチだけはそう、隅で小さくなっていたけれど。

「僕、本当は少し嫉妬してたんです。グレミオさんのシチューに」
 食後の和やかな雰囲気の中、口元を薄く苦めてぽつりとリオウが呟いた。テーブルの上絡めた指を幾度も組み替えながら、そうしてきゅうと握り締める。その両手に額付いて、漏れた言葉に恥じ入るように顔を伏せ沈黙した。
「まあまあ、リオウくんのお口に合いませんでしたか?」
 リオウの常にない様子に落ち着きなくうろたえるグレミオに、ティエルの腕が制するように挙げられる。
「いいえ──いいえ。そうじゃなくって……」
 グレミオの言葉を強く否定して、リオウは俯いた表情の下くちびるを噛み締めた。震える指を包むようにそっと触れた姉の手に、ゆるゆると顔を上げる。視線が絡む。力強い眼差しに勇気付けられるように、正面をしっかりと見据えた。
「だって坊ちゃんさん、帰っちゃうんです。『グレミオのシチューが待っているから』って」
 一つ息を飲み込んで、指を組み替える。
「坊ちゃんさんの帰る家がここだってことも、坊ちゃんさんが安らげる場所がここだってことも、判ってます。僕はただほんの少しの間手を貸してもらえているだけで、ただそれだけだってことも」
 また一つ息を飲み込んで、きゅうと指を握り締めた。
「グレミオさんのシチューはこんなにあったかくて美味しいのに、どうして素直に好きなだけで、いられないんだろう」
 ごめんなさい、と消え入る声で呟いて、伝った雫を誤魔化すように俯いた。

「僕は、」
 少しの沈黙のあと、ティエルの声が静かに響いた。
「僕はグレミオが好きだ。グレミオのシチューが好きだ。そうしてリオウのことも、好ましく思っている。──だから──僕の好きな人が、僕の好きな場所で僕の好きなものと共に僕の好きな笑顔を見せてくれることが、嬉しくて」
 ゆうるりと絡んだ眸は、ほんの少しだけ揺らいで見えた。
「それはとても得難いもので──尊いもので」
 ティエルの脳裏に今は遠いけれどすぐ傍に在る友の笑顔が浮かぶ。右手の甲にそっと触れ、想う。永い永い時を独り生きながら、昏い闇をその身に宿しなお眩い光のようだった彼を。そうして目の前の光を、リオウを。
「君が僕に懐いてくれているのに、甘えていた」
 深い琥珀色の眸が湖面のように揺らぐのを、リオウは綺麗だと、思った。
「僕の方こそ──すまなかった」
 そうしてティエルは深く頭垂れた。普段は色鮮やかなバンダナに隠されている濡羽色の髪が、さらりと揺れる。それを茫と視界に入れていたリオウは、気付いたように慌てて立ち上がった。
「ぼ、坊ちゃんさん、そんな! 僕そんなつもりじゃ、」
「それに」
 頭垂れたまま、ティエルは続ける。
「君が、迎えに来てくれるから」
「え?」
「君が僕を迎えに来てくれるから、いけない」
 初めて訊くティエルの拗ねた声音に、リオウは目を瞬いた。
「迎えるのが楽しくて──つい帰ってしまうじゃないか」
「えぇぇ?」
 思わず噴き出す。慌てて口を塞いだ。そんな二人の様子に釣られたように、グレミオも噴き出すように笑った。
作品名:体はシチューで出来ている 作家名:lynx