喪明曲
03ゆるしてしまったそのときに
早朝、大量の荷物が届いていた。
中身は最新型の武器やら刀やらで気が付いたら隊士で取り合いが始まっていた。
そんな輪から少し離れたところで、俺は煙草を吸っている。
段ボール箱の差出人の名前が何だか無性に懐かしかった。
長いことあの面を拝んでいないことに、漸く気付いたが別に驚くことでもない。
伊東が入隊してから一年ほどが過ぎた。
一年といえども365日。それだけの日付があったはずだった。
しかし伊東とまともに顔を合わせたのはほんの数回にしか満たない。
俺はほとんどの時間を屯所で過ごすが、外回りが多いあの男はそうでない。
奴に与えられた部屋はその勤めを果たすことはほとんどなく、人の息遣いがないまま。
いつだかその前を通りかかったとき、たまたま襖が開いていたことがあった。
小奇麗に整頓されたその部屋はまるであの男そのもののようで。
気に食わないその光景に封をするように、襖を力いっぱい閉めたことを覚えている。
だがそれ以来あの部屋を覗いたこともない。
伊東の噂を小耳に挟むことはあっても本人を目にするのは稀だった。
たまに会ったとしても、あっちは淡々と仕事の話をするだけだ。
しかしその会話があまりにも無表情だったせいか、いらぬ噂が飛び交っていた。
副長と参謀が地位争いをしていると。
はっきりいって仲が良いなんて冗談でも言えない間柄だ。
そんな噂が泳いでも仕方がないとは思う。だが厄介なのはただの噂ではないということだ。
伊東は恐らく、本気で俺の首を狙っている。
そして奴の秘めたる野望は俺の首程度では満足しないだろう。
あの男の目には冷たい炎が揺れている。何もかも凍らせようとしている、迷惑な火だ。
赤い炎と違って轟々と煌めくものではないから逆に鬱陶しい。
冷たい炎はその存在をちらりと見せるだけで、明確に仕掛けてこない。
そんな燻っている状態が一年続いた。そろそろ時期が来てもおかしくはないだろう。
不仲の噂がひそひそと交わされる。二人揃えばその声はもっと大きくなる。
そんな面倒な中、あの男は一度戻ってくるそうだ。
何のために、なんて今更頭を捻って考える必要もない。
あの冷たい炎を大きく燃やす日が来たのだろう。
俺は誰も見ていないのをいいことに、段ボールに煙草の火を押し付けた。
じゅう、と焦げる匂いがして薄黒い煙が一筋昇る。
段ボールについた焦げ跡を見ると、やけに胸がすっとした。
そんな自分があまりにも下らなくて、小せぇ奴、と思いながら笑う。
ふとその笑いがあの男に似ていた気がして、また胸に嫌な煙が充満した。
気に食わない、気に食わない。最新の武器や刀も、本人より先についた荷物も。
あの何も映さない拒絶した目が、一番気に食わない。
拒絶の先に何があるか。認めようとしない、受け入れようとしない。
だったら消してしまえと思うのではないだろうか。
あの男にはそういう危険思考が備わっていると、俺は直感で思った。
冷たい炎に触れてしまえば恐らく、灰すら残らずに消えるだろう。
だけど俺はまだその火に触れていないのに、焼け焦げたような匂いを感じていた。
最初は煙草の吸いすぎで煙の臭いが鼻に残ったのだと思っていた。
だがどうにも違う。もっと違う匂いだということにふと気付く。
気付いたけれど、それ以上の詮索をしないようにしていた。
妙な感覚だったからだ。知ってしまうにはまだ早いと、警鐘が鳴った気がした。
焦げた匂いは、決まって伊東のことを考えるときにふわりと香る。
本人から感じる匂いではない。それでもあの男を象徴する香りだった。
俺はその匂いを嗅ぐたびに煙草に火をつけて、それをかき消そうとした。
ふぅと口から煙を吐けば、あの匂いはすっかり隠れてしまう。
それで良しとして、忘れたふりを続けて、ただ煙草の本数が悪戯に増える。
煙草が増えた分、何かを忘却している気がしたが、しまいにはそう思ったことすら忘れた。
この感情の存在を許してしまったその時に、何かが壊れてしまうのではと思って。
それだけは嫌だと、ただ目を逸らし続けてしまった。
未だに刀の取り合いをしている隊士たちを見るのも飽きて、俺はふと空を見上げた。
まるで太陽など忘れてしまったかのように灰色の空は、絶望の色に似ている。
どんよりと重たい空を軽やかに飛んでいく鳥を見送った。
暗い朝空の下、何かが目覚める気配を感じた。
20080502