喪明曲
04さあ、一体何をしたかった
最近、夜明け前によく目が覚める。
薄暗いその時間帯はとても静かで誰もが寝静まっている。
その世界でただ一人目覚めてしまって、どうすればいいのかと途方に暮れた。
人々が幸せそうに眠る中、ただ一人覚醒した自分はまるで朝の支配者のようで。
だが人が眠っている間に世界を支配しようとも、結局は独りよがりだ。
それでは意味がない。理解されなければ意味がないのだ。
目の開いている人間に自分の存在を見せ付けなければならない。
東の空が柔く明るみだす。
だが太陽の姿は厚い雲に覆われてしまっていて、その存在を拝むことはなかった。
僕の世界を被せている雲も、いつか晴れるのだろうか。
灰色の雲が晴れるとき、眩しく輝く太陽はこの空に広がっているのだろうか。
わからない、わからないけれど、もうやるしかなかった。後戻りなど許されない。
否、後戻りする必要などないと確信している。
今日は久しぶりに真選組の屯所に顔を出す日だった。荷物だけは先に送ってある。
しかし、まさかその中の刀が隊士たちで取り合いになるとは思わなかった。
一足先に屯所に戻っていた篠原君にそんな話を聞き、僕は苦笑いを浮かべた。
そんなもので子どもたちが玩具を取り合うように争奪戦になるとは。
局長が自ら割り振りを決めると思っていた僕としては、かなり驚いた。
その局長さえも刀の取り合いに参加していたというのだから、ため息も出てくる。
意外だったのは、あの沖田君まで参戦していたことだろうか。
だが、その輪の中に「彼」は居なかったと聞き、僕は先ほどとは違った笑みを零す。
荷物を入れていた段ボール箱の一つに、小さな焦げ跡があったことを目ざとくも見つけた。
それに触れてももう熱くもなんともなかったが、指先は僅かな熱を持った。
冷えたこの心を焦がすのは恐らくこの熱しかないのだと、他人事のように思う。
甘い言い回しにも関わらず、優しい甘さなど微塵もないのがやけに可笑しかった。
ここの連中は何かにつけて酒を飲みたがるから厄介だ。
酒は嫌いではない。だが大勢で大騒ぎするのは好きではない。
うまい酒ほど一人で静かに飲みたいものだ。
今夜もそんなことを考えながら、安い酒を煽っていた。
安い酒ほど量ばかり進むものだから、変に酔い過ぎた気がした。
酒がまわると饒舌になるのもわかっては居たが今さら直せる気もしない。
はらはらと色々零したことに、一部の隊士が声を顰めて何か言っているようだった。
そんな事もどうでもいいと簡単に思えるほど、酔ってしまっていた。
決行の日が近いせいもあるのかもしれないが。
だがその前に、確かめておきたいことが一つだけ残っていた。
そっと席を立つ。騒がしい部屋の中で僕の行動は目立つものではない。
襖に手をかけて部屋を出る前、肩越しに振り返ってみた。
それはちょっとした賭けに近かった。期待半分、確信半分といったところだったろうか。
大勢いる隊士の中でただ一人だけ、彼を探す。
すぐに見つけたあの黒い眼は、出て行こうとする僕を射殺さんばかりで睨んでいた。
嗚呼、やはりか。
薄く笑みを浮かべてから、襖を閉じる。外の風は酒に火照った体に丁度良い。
騒がしい部屋の中で、彼の気配が静かに動くのを感じた。
その気配を背中に感じながら、僕は冷たい廊下を歩き始める。
自分と密かに賭けていた。振り返ったあの瞬間、彼が僕に気付くかどうか。
ひそりと気配を消して息を潜めても、彼は僕を見ているかどうか。
自分との賭けに勝敗があるのかはわからないが、僕は勝ったと思った。
ふつふつと湧いてくる感情に、自分は間違っていなかったと確信する。
まだ酒に酔っている体がふわふわしている。それがたまらなく心地よかった。
やはりあの男は、唯一の理解者だ。
その理解者をこれから消そうというのだから、自分は狂っているのかもしれない。
だけどこの時にはもう道はこれしかなくて。これしか見えていなくて。
何がしたかったのかと聞かれれば、それこそ饒舌に語っていたのだろうけれど。
本心からそう思っているのかと問われていれば、言葉が詰まったかもしれない。
薄暗い朝靄の街で一人目覚めてしまって。
僕は覚束ない足取りのまま、何処に向かおうとしていたのだろうか。
20080502