Lesson
#4
未だ困惑しながらも何とかこれまでの事情を説明すると、朝比奈は考え込むように腕を組んだ。
「……確かに、俺達は昼休みに七不思議の特集をやることに決めたし、それをお前に任せようと考えていた。でもな、その場に日野がいる筈もないし、企画の詳細だってまだおぼろげにしか決まっていなかったんだ。まして誰に話を聞くかなんて……」
半ば独り言のように話しながら、朝比奈は眉間の皴を深くした。
「──そうか。そういうことか……誘われていたんだ、俺達は。そうでもなきゃ俺達が、七不思議だなんて……あの事件に関わりそうな事を特集するわけがない」
「え?」
わけのわからない独白に坂上が思わず問い返すと、朝比奈は今まで坂上の存在を忘れていたようにハッとして顔を上げた。
「坂上、集会は中止だ。特集もしない」
「そんな……」
「お前にはまた別の記事を任せるよ。それからな、悪いことは言わないから、もうこういう風にあいつと会うのはやめろ」
「……でも」
「日野は、もう死んでるんだ。さっきのことは……まだ信じられないけど、見てしまったからな。だが幽霊と居残りなんて、気味が悪いだろ」
朝比奈の言葉に、坂上は黙り込んだ。反論したかったが、どう伝えればいいのか。
「でも、日野先輩は、何か怨みがあって出てきたわけじゃないと思います」
「……何であいつがお前の前に現れるのかはわからないし、確かに今まではなんともなかったみたいだけどな、坂上……あいつは、普通じゃない死に方をしてるんだぞ」
「え?」
朝比奈は浅く溜息をつくと、声をひそめて告げた。
「あんまり気持ちのいい話じゃないが、聞きたいか?」
「……はい」
坂上は少し躊躇ってから、それでも日野のことが知りたくてこっくりと頷いた。
朝比奈はもう一度溜息をついて語り始める。
「……あの日、俺と日野を含めた何人かの新聞部員は、取り壊される旧校舎の面影を記事に残すという名目で学園側の許可を取り付け、旧校舎に入ったんだ」
「日野先輩ひとりで無断で入ったわけじゃなかったんですか……」
「ああ、日野の名前はなかったが、新聞にはそう書かれてたよな。……俺達も、日野のご両親も、事情を知る奴は学園側に口止めされてな。責任逃れの隠匿ってやつだ。まさか自分がマスコミを避ける側になるとはね……」
旧校舎が危険である事を知りながら許可を出したことが知れたら、確かに学園にとっては大ダメージだろう。だが、それを回避するために真実を犠牲にするなんて、坂上には考えられないことだった。
「俺達に非が無いわけじゃない。それについて退学処分をちらつかせられたら……誰だって我が身が可愛いだろ。告発なんか出来なかった」
ざんげするように両手を組んで俯き、朝比奈は微かにかすれた声で話を続けた。
「俺達は学園側に申し出た時間じゃなく、夕方から取材を始めた。本当の目的は、旧校舎の幽霊の噂の真相を確かめることだったからな。聞いたことあるか、あの噂」
「詳しくは……」
「そうか。じゃあ手短に説明しよう。昔、あの旧校舎がまだ使われていた頃、殺人事件があったんだ。六人が殺されて、一人は行方不明。犯人は結局捕まらなかった。その時殺された奴らが、この世に対する未練や怨みで悪霊になって、誰かれ構わず自分と同じ目に遭わせようと、よなよな現れる……そういう噂だ」
「こ、怖い、ですね……」
背筋に悪寒が走るのを感じて、坂上は肩をすくめた。
「そうだな。よくある作り話ならよかったんだが──あの時期は旧校舎で人魂を見たとか、足を何かに掴まれたとか、そういう証言が絶えなかったもんだから、誰かが悪戯してるんじゃないかって、俺達で調べることにしたわけだ」
心霊写真が撮れたらそれはそれで儲け物だと考える部員もいたが、朝比奈や日野は幽霊が本当に出るなどとは考えていなかったらしい。
「仮に幽霊なんてものが存在したとしてもだ。死んだ奴なんかより、生きている奴の方が絶対的に強い筈だろ?本当に怖いのは、人間だよ。噂の元になった事件だって、人間の仕業に違いないんだから」
朝比奈の口調に、段々と熱がこもってゆく。それはまるで、自分自身に言い聞かせているようだった。
「…… 旧校舎に入って、しばらく経った時だ。俺達はまず一階を隈なく調べていたんだが、日野が『上の階から声がする』と言い出した。だが、耳を澄ましても人の声どころか物音ひとつ聞こえなかった。気のせいじゃないかと言ったら、日野は『いや、確かに聞こえた』とムキになってな。しまいには、ひとりで確かめに行ってしまった。どうせ俺達も後で上に行くわけだから、その時は誰も後を追い掛けたり呼び止めたりはしなかった。……今思えば、俺もついていってやるべきだったよ」
朝比奈は一旦言葉を切り、辛そうに顔を歪める。この人は本当にその事を悔いているのだと坂上は思った。
「それからしばらくして、日野の悲鳴が聞こえたんだ。俺達は顔を見合わせて、全員で様子を見に行った。日野の声は、三階の女子トイレから断続的に聞こえていた。急いで駆け付けた俺達は、そこで異様な光景を見たんだ。奥から二番目の個室に引きずり込まれながら、血を流してもがき苦しんでいる日野をな」
「!!」
朝比奈は机に肘をつき額に手を当てると、きつく瞼を閉じた。
「日野は……見えない何かに、少しずつ食われていった。最初は右腕だ。次に両脚、耳、左肩……最後に喉が引き裂かれた。成す術もなかったよ。俺達は怖くなってその場を逃げだし……とにかく教師に事態を知らせた。その後の事は、さっき話した通りだ」
坂上は言葉を失った。あまりの事実に思考が凍りつく。
からかわれているわけではないことは、朝比奈の目を見れば瞭然だった。
「……嫌な話をして悪かったな。そういうわけだから、日野の幽霊にはもう関わるなよ。ろくなことにならないからな」
朝比奈は肩の力を抜いて立ち上がると、坂上に帰宅を促した。何も言えないまま立ち上がった坂上の目に、おしるこドリンクと例の企画メモが映る。
「あの、部長、これ飲みませんか?」
自分の分を鞄に入れながらもうひとつをすすめると、朝比奈は一瞬顔を顰め、苦笑した。
「……遠慮するよ。それは、日野がお前とふたりで飲むために用意したものだろ。俺がもらったりしたら、祟られそうだ」
「……日野先輩は、そんなことしませんよ」
「坂上……お前、まさか集会に出るつもりじゃないだろうな」
「……」
朝比奈の問いに、坂上は曖昧に微笑むだけだった。