吸血鬼の涙(上)
隼人は綱吉のその言葉に目を見開いた後、嬉しさで目頭が熱くなるのを感じた。会話から憶測するに、恐らく、綱吉は父親にメイドが彼のベッドに寝ている理由も告げられたようだ。その上で間に合ってるというのは男の自分で満足している、と言う事だ。綱吉が男の隼人の方が面倒がない、と考えての事かもしれないがそれでもメイドより自分を選んでくれた事実が嬉しい。しかも綱吉に料理を認めてもらった。これからは自分だけが彼の世話を許される。
メイドの行為に少なからず感じていた不安も、綺麗に吹き飛んだ。
そしてその次の日から。
館は綱吉と隼人二人だけの場所になった。
「!うわ、やべ」
綱吉との昔の記憶を思い返していたら、お湯を沸かしていたのをすっかり失念していて。鍋いっぱいに入れてあったはずの湯は、ほぼなくなりかけていた。それでもぎりぎり鍋を焦がすまでは行かなかった事にホッとする。焦げた鍋を見られては、料理の失敗がばれてしまう。綱吉は怒ったりはしないだろうが、隼人は綱吉に自分に失敗を見られるのが嫌なのだ。
自分にとって甘く幸せな記憶を反芻していた心を叱咤して。
隼人は今度こそ、綱吉のために美味しい夕飯を作ろうと、その作業に没頭していった。
夕飯の準備を大体終えた所で、電話が鳴る。
この電話の番号を知っているのは綱吉と隼人の二人だけで。
だから電話の相手は分かりきっていた。
「10代目、どうされました?」
時間帯からして綱吉は下校中だろう。綱吉は携帯を持っているからそれで掛けているのだろうが、もうすぐ家に帰り着くと思われる時刻に連絡が入った事など今までになかった。
『あのさ、今日の夕飯ってもう一人分位増やせるかな?友達、家に連れてく事になっちゃって。明日祝日だし、もしかしたら泊まってくかも知れないから、部屋の用意も』
「あ、はい、分かりました。夕飯の方も大丈夫です。いつも余分に作って冷凍してある分があるんで。部屋は客間に布団準備しときますね」
『うん、ごめんね。いつも有難う』
「いえ」
『じゃ、もうすぐ帰り着くから』
「はい、お気をつけて」
綱吉が電話を切ったのを確認して、隼人も受話器を置く。
泊まらせるって事は、女じゃねえな。
連れて来るのは京子かも、と思っていたが、男所帯のこの館に泊まらせるという事は多分男友達なのだろう。
それに隼人は少し安心した。
「ただいま」
「おじゃましまーっす!」
隼人が客間に布団を敷き終えた所で、綱吉と友人の声が玄関に響き帰宅を伝える。
「おかえりなさいませ」
主を迎える為に、玄関のドアを開け頭を下げた隼人。その姿を見て、綱吉が連れてきた背の高い、短めの黒髪を持つ少年が驚いた様に固まった。
「?どうしたの山本」
「えっ、いやすごい珍しい髪の色だなって思って」
「ああ、獄寺君は日本人じゃないからね。瞳も綺麗な翠なんだよ。獄寺君、顔上げて」
綱吉に促され、隼人は下げていた頭を上げる。
山本、と綱吉に呼ばれた彼は、隼人を暫く見つめた後、何故か顔を赤くして俯いてしまった。その態度に少し疑問を覚えた隼人だが、元から綱吉以外の人物に対する興味は希薄だ。
「お腹すいちゃった。ご飯できてる?」
「はい、すぐにご用意します」
綱吉にそう言われ、キッチンへと急ぐ。その時には既に、隼人の頭の中には、山本の態度への疑問など消えていた。
「でさ、そんときあいつがさあ」
「へえ、そんな事あったんだ」
山本が加わった食卓は、いつのより数倍賑やかだった。隼人は学校には行っていないので綱吉と共有できる話題は少ない。だが山本は綱吉のクラスメイトで、しかも綱吉がこの家に連れて来る位
だから、かなり仲も良いのだろう。今日の綱吉は普段より数段機嫌が良く、かつ饒舌だった。二人は楽しそうに会話をしながら、隼人の作った料理を平らげて行く。食欲旺盛な山本に釣られてか、
綱吉も普段より良く食べ、良く笑った。
主のそんな姿を見るのは嬉しい。だがその主の機嫌が良い原因に、自分がなれない事が少しだけ、ほんの少しだけ。辛かった。
「隼人」
「じゅうだいめ……?」
夕飯の片付けを終え朝食の下拵えをした後、自室に戻ると。
そこには山本と客まで話していた筈の綱吉が居た。彼の持つ普段は琥珀の瞳は、オレンジ色へと変化している。それは彼の吸血鬼としての本能が表に出て来かけている証。吸血行為を普段禁忌と
して扱い、その衝動を性行為に置き換えているとはいえ、必要最低限の血は取らなければ、生命の危機に陥る。だから綱吉はたまに、僅かだが隼人の血を飲んで生命維持を行っていた。
「隼人、少し血頂戴。その後君も」
彼は隼人の体と血を求める時だけ、名前で呼んで来る。
「あの、血は構いませんが、その」
客間には山本がいる。いつ彼が綱吉を探してこの部屋に辿り着くか分からない。自分と綱吉の行為が友人にばれるのは主にとってマイナスになれどプラスになる理由など思い付かない。
「山本はもう寝たよ。山本さ、君に一目惚れしたみたい」
「え!?」
「隼人が片付けでオレ達から離れただろ。その直後からさ、隼人の事ばっかり聞いて来るんだ」
でも、君はオレのものだから山本にはあげない。
抱き込まれながら主に独占欲丸出しの言葉を囁かれ、隼人の胸は高鳴る。
綱吉には好きな人が居る。だからこの独占欲は恋愛感情ゆえの嫉妬などではなく。お気に入りのおもちゃに対するものと似た感情なのだろう。
それでも、隼人は嬉しかった。彼の口から自分の所有物だと言って貰えた事が。
「オレは山本に見られても構わないよ。隼人は?」
「貴方がそうおっしゃるなら、オレが抵抗する理由などないです」
隼人の言葉を受け、綱吉が笑う。これから行われる行為を感じさせない、無邪気な小さい子供のような笑みだった。
……当たり前か、10代目にとっては血を吸う事もセックスをする事も、生きる為に必要な事、なんだから。
綱吉に気付かれない様に顔を伏せて自嘲気味に笑った後。
隼人は自ら綱吉の唇に、自分の唇を重ねた。暫く舌を絡めあった後、綱吉の唇が隼人の首筋を伝い、鎖骨の下辺りに歯を立てる。
ぴり、とした痛みと共に、血が流れ出すのを感じ、それを舐め取る綱吉の舌の感触に耐える様に、隼人は瞳を閉じた。
翌朝、隼人が綱吉のベッドの上で目を覚ますと主の姿は隣に見当たらなかった。
「っ!」
使用人である隼人が主人である綱吉より遅く起きて良いはずが無い。慌てて起き上がろうとするが。
「くっ」
腰に激痛が走り、再びベッドに沈んでしまう。その痛みの原因に隼人は顔を赤くする。昨夜いつもより激しく綱吉に求められ、いつもは付けてくれない痕も付けられた。腰の痛みは何度も求められた証拠で。隼人にとっては幸せな痛み。
何とか起き上がり、部屋に備え付けられた姿見の前に立つ。寝間着の前開けた状態から見える隼人の白い肌にはいくつもの赤い花。
「10代目……」
その中のひとつ、鎖骨の辺りに付けられたそれに、指を這わせる。大事な人に記されたその痕。触れた場所から愛しいという気持ちが溢れ出て来る。暫く夢見心地で赤いそれを辿っていたが…… 。