吸血鬼の涙(上)
そのトラウマを作るきっかけとなった出来事から、救ってくれたのが綱吉、なのだ。綱吉本人は記憶に残っていないだろうが、その出来事が隼人の忠誠のきっかけ。そしてその時綱吉が言ってくれた言葉は、隼人の宝物。
「君はオレの――になって。ずっと傍に居ればいい」
山本はその後ちょくちょく館に遊びに来るようになったが、綱吉と宿題をしたりゲームをしているだけで特に隼人に対して何か言って来たり行動を起こす事は無
かった。
……あの日、までは。
「え、京子ちゃん!?」
いつものように山本が遊びに来て、綱吉と隼人が迎えに出るとそこには山本だけでなく。
綱吉の想い人である少女が立っていた。
「いきなりごめんね。すぐそこのお店で山本君と会って。ツナ君の家行くから一緒行かないかって誘われて……やっぱり迷惑だったかな?」
「ううん!」
京子と会話する綱吉の声は弾んでいる。
隼人は足早にその場を去り、2階へ上がり自室へと向かおうとしたが。
「何でお前までついて来るんだよ」
当たり前の様に着いてきた山本を睨み付ける。彼は綱吉と遊びに来たのでは無かったのか。
「いや~あれはやっぱ邪魔しちゃ無粋だろ?」
爽やかな笑顔に苛立ちが込み上げた。
……お前が仕組んだ癖に。
山本が京子を誘わなければ、あんな場面目の当たりにせず済んだのに。
「それにオレ今日は獄寺に用あったのな。獄寺頭良いんだろ?宿題教えて欲しくて。これ野球部の遠征中に出された課題だから他の奴は終わっちまってるし。ツナが獄寺の説明分かりやすいって言ってたし」
何でオレが、と言い掛けた言葉をぐっと飲み込む。
山本は綱吉の友人なのだ。それを邪険にして綱吉に嫌われたくはない。
「だからそこはそうじゃねぇって。この公式を使って」
「え~と、こうか?」
自室に綱吉以外を入れる気にはなれなくて普段使っていない空き部屋へと二人で入る。
山本に宿題を教えるのは骨が折れた。何せ何処が分からないのかと聞いた所全部と答える始末。
それでもどうにかもう少しで全部終わるという所で。
「!?」
隼人は山本に背後から抱き締められた。
「何、す「この前は言い損ねたけど、オレさ」
お前の事、好きなんだ。
山本の告白。更にその手が、以前綱吉のキスマークがあった辺りを撫で回す。
だが隼人に彼の言葉は明確には伝わって居なかった。
男に抱き締められる感触。
それは隼人に過去を思い出させる。
忘れ去りたい過去を。
気持ち悪い……。10代目。いや、だめだ今は。
綱吉の名前を叫びたい衝動に駆られるが、彼は今想い人の少女と共に過ごしている。それを邪魔する事など出来ない。
だが込み上げる嫌悪感と恐怖はどうしようもなく。
「え、獄寺?どうしたんだ?」
腕の中の隼人の顔色は蒼白でしかも体は震えていて、しかし原因が分からない山本は焦る。
そこに。
「山本、こんなとこに居たんだ。…獄寺君っ」
「ツナ、オレ別に何も」
物凄い勢いで隼人を奪い返した綱吉に、山本が困惑した声を掛ける。
「分かってる、山本は悪くない。…獄寺君も。山本、申し訳ないんだけど京子ちゃん送って山本も今日は帰ってくれるかな」
「え、ツナ?」
「今の獄寺君から離れたくないんだ。獄寺君、大丈夫だから」
……10代目。
優しく背中を撫でられ安心すると同時に。
京子と一緒の時間を邪魔してしまい申し訳ないという気持ちもある。
しかし今だけでも彼女より自分を選んでくれたという事実は。
隼人の心を確かに暖かくしたのだった。
「え、でもツナが笹川送ってった方が良いんじゃね?獄寺もさっきより顔色落ち着いて来たみたいだし、オレが見てっから」
「山本じゃ駄目なんだ。今の獄寺君にはオレがついてないと。だから京子ちゃんの事お願い」
山本にそう言い置き、綱吉は未だ僅かに震え続ける隼人を抱え上げ自室へと向かった。
「10代目、申し訳ありません……」
綱吉の部屋のベッドへと寝かされた隼人は、主へと何度も謝罪の言葉を述べる。
それに内心苦笑しながら、未だ顔色の戻っていない隼人の頬を優しく撫で。
「それはもう良いから。それより少し眠りなよ。オレがずっと傍に居るし。眠ってる間に、怖い事は全部忘れてるから」
白い額にキスを贈る。
隼人はそれに促される様に瞳を閉じ、直ぐに穏やかな寝息を立て始めた。
「君は本当にオレだけに従順だね、あの日からずっと」
綱吉が隼人にしたキスには闇の力を込めてある。彼が穏やかに眠れるように、と。
今まで隼人が今日の様な状況に陥る事は、数える程だが有った。その度に綱吉は大丈夫と言い聞かせ、自分の傍で眠らせた。
彼をもっと自分に依存させる為に。
「君がオレを特別だって思ってくれてるように、オレにとっても君は特別だよ。ただ、それを君に伝えるのはもう少し待って。オレは後少しだけ普通の人間の男の子として。友達と笑いあえる普通の学生として。過ごしていたいんだ」
隼人が自分と京子の関係を誤解している事には気付いていたけれど。綱吉はそれを敢えて訂正しなかった。彼女は自分にとって特別な存在である事に変わりはないが、伴侶として京子を選ぶ気はない。
彼女には家族が居る。温かい幸せな家庭。それを自分の為に捨てさせる等出来る筈も無い。
「それに隼人」
オレ、君とあの時にした約束忘れてないよ。
……オレが君とそうなる様に仕組んだんだから。
ほんとの事を知ったら君はどう思うのかな。
……少しだけ怖い。
「隼人」
綱吉の呼び掛けに目を覚ます事は無かったものの。
隼人は柔らかく微笑んだように見えた。
「昨日あの後獄寺大丈夫だったか?」
「うん、多分もう大丈夫。今朝は顔色も良かったし」
翌朝、学校に着いた綱吉の元に山本が駆け寄って来る。
「そっか、なら良かった。なぁツナ、ちょっと話あるんだけど」
「ん?」
「教室じゅ話しずれえから、昼休みにでも」
「うん」
昼休み、綱吉と山本は二人で屋上で昼食を取る。滅多に誰も来ないから、話は弁当を食べながらという事だろう。
大体何を言われるかは想像がついている。
「ツナ君、昨日はいきなりお邪魔しちゃってごめんね」
山本が自分の席に戻った後、今度は京子が綱吉の元にやって来た。
「ううん、こっちこそちゃんと相手出来なくてごめん!」
「仕方ないよ、それより同居人さん大丈夫だった?」
「うん、もういつも通り」
「そっか、良かった。あ、あのねこれお兄ちゃんから貰ったんだけどツナ君良かったら一緒に行かない?」
彼女の手には映画のチケット。
「え、良いの?」
「うん」
丁度見たかった映画だった綱吉はふたつ返事で彼女の誘いを受けた。
「オレ購買行ってくっからツナ先に屋上上がっといてくれ」
「ん、分かった」
綱吉は弁当の包みを持って、屋上へと向かう。弁当は勿論隼人が作ってくれた物だ。
昨夜、倒れたばかりなのだから明日は無理しなくて良いと告げたのだが、隼人は朝いつも通りに起床していて。朝食も弁当も既に用意されていた。
フェンスに寄り掛かり、山本が来るのを待つ。