吸血鬼の涙(下)
「……母は、その方法例え知らされてても、受け入れなかったと思います」
「え」
「口へのキスはもっとも愛している人に一番簡単に愛を伝える方法だって、夢見がちに話すような人でしたから……それにオレ、10代目が汚いなんて思えません」
「…どうして?」
「本当に汚い人なら、オレが男に襲われた時、何もされる前に助けるなんてしないと思うんです。襲われて全部終わった後ぼろぼろになったオレを助けた方が、そんな時に優しくされた方が、きっとその人に心を許す。でも貴方はそれをしなかった。オレを助けてくれた貴方の瞳には確かにあの男への怒りがあって。そんな貴方を汚いなんて、思えません……母は、10代目に生気を分けて貰う事を由としなかっただろうし、だからオレはその事で貴方を恨んだりもしません。それにオレ今」
凄く、嬉しいんです。貴方にこんなに強く求められてたって事が……。
ずっと偶然拾われて、貴方の情けで傍に置いてもらっているって思ってた。
でも、ほんとはオレが貴方に求め続けられた存在だったなんて。
傍に居るだけで、生命維持のために必要とされているだけでも、幸せだと思っていた。今でもその時の想いに嘘はないけど。
こんな風に心が暖かくなる事は無かった。
そして唐突に頭にさっきの夢がよぎり、母が言いたかった言葉を理解した。
あれはきっと「隼人は大丈夫。私のようにはならない」と伝えたかったのだ。
「夢、みたいです」
うっとりと呟いた隼人を見て。綱吉は自分の心が、どこかずっと乾いていた心が満たされていくのを感じた。
「君にこの事を告げるのは、魔界に行く直前にしようって。それまで君に気持ちも伝えなかったのは、君が本当の事を知ってもし離れてしまったら。心を通わせた後に君が消えてしまったら、オレが耐えられそうに無かったから、なんだ。オレは、こんなに自分勝手でわがままでずるい存在だけど。それでも君は」
ずっとオレの傍に居てくれる?魔の世界は君にとって生きやすい場所ではないかもしれないけど、それでも、ついてきてくれる?
隼人にそれを断る理由など無い。隼人もそれをずっと望んでいたから。綱吉の傍に居られれば、どんな困難があっても構わない。
「はい、じゅうだいめ。オレはずっと貴方の傍に居たいです」
「……ありがとう、こんなオレを受け入れてくれて……」
綱吉がずっと欲していた、自分だけを見てくれて、自分の為だけに存在する命。今までは真実を知らせていなかったから、本当の意味で手に入れたとは言えなかった。でも今腕の中で微笑んでくれる存在は確かに自分の全てを受け入れてくれていて。
目頭が熱くなる感触を感じ、綱吉は。
生まれてから初めての涙を、一筋流した。
この人が泣いている所を初めて、見た気がする。ぼんやりとそんなことを考えながら、隼人は綱吉を見上げる。悲しい涙ではない、おそらく喜びの涙で。それを流させているのが自分だというのが、少し不思議で凄く嬉しかった。
綱吉の零したしずくが隼人の左手に当たり。
「?熱!」
雫が落ちた薬指が熱を持ち、不思議な模様を浮かび上がられた。炎をかたちどった、まるで指輪のようなそれ。熱さはすぐに収まり、浮き出たそれを隼人は呆然と見遣る。
そう言えば10代目に助けられた時。この指をなぞられた記憶が……。
お嫁さんになって傍に居ればいい、という言葉と共に。
「これは君がオレの伴侶である証、だよ。君がほんとの意味でオレを受け入れてくれた時に、表に出るようにって仕組んであった」
「じゃあ、あの言葉もじゅうだいめは覚えて?」
「当たり前だよ、忘れる訳無い。その為にオレは君を欲したんだから」
お互い胸に気持ちが溢れていて、それを言葉に出来なくて暫く無言でただ抱き合っていると。
控えめなノックの音が響いた。
「ツー君、京子ちゃんが見えてるわよ」
ドアの向こうから声を掛けてきたのは母で。更に京子が来ているという。
綱吉は少し悩んだ後、隼人にここに呼んでも良いかと尋ね。彼が頷いたのを確認してから母と恐らく傍に居るであろう京子に入ってもらうよう声を掛けた。
「!」
母は綱吉の顔を見て驚いて。京子はまず隼人に「私のせいでごめんなさい」と謝った後。「ツナ君泣けるようになったんだね」と柔らかい笑みを浮かべ。隼人はそんな二人の様子に首を傾げた。そんな彼に綱吉の母が話し掛ける。
「ツー君はね、昔からどんな怪我をしてもないた事が無かったの。それなのに……」
綱吉の目は赤く腫れて、微かに涙の後が残っている。だが表情は今までに無く優しく明るい。
「嬉し涙、だよ。獄寺君が、隼人がオレの事全部受け入れてくれたから」
「まあ初めての涙が、嬉し涙なんて素敵ね……獄寺君有難う。後貴方には私達からも謝らなきゃいけないことが有るの。ツー君が貴方にした事より私と私の夫がやった事のほうがずっと罪深い事かも知れない」
「母さん?」
母の話に、綱吉は訳が分からないといった表情を浮かべ。隼人も困惑顔だ。そんな二人に優しいけれどどこか翳りのある笑みを浮かべて。綱吉の母は話を続けた。
「ツー君が獄寺君と暮し始めて少し経った頃。どこから情報を得たのかは分からないけど、私達の所に獄寺君の父親だって人が尋ねて来たの」
「!」
「その人は獄寺君を引き取りたいって言って来たんだけど……私達は獄寺君に相談もせず、彼は貴方の所に行くことは望んでいないって伝えて追い返してしまった。……ツー君ね、獄寺君と暮らし始めてから前よりずっと感情を表に出すようになって。とても人間らしくなって。それが嬉しかった私達は獄寺君とツー君を離したくなかった。だから……」
ごめんなさい、と俯く綱吉の母に、隼人は首を横に振って。気にしないで下さい、と声を掛けた。
「オレに相談されてたとしても、貴方達と答えは同じです。母以外に愛する人が居るそいつの元で暮すなんてごめんです。それにオレは普通の人間としては生きられない……10代目に拾っていただいたからこそ、今まで生きて来れたんです」
きっぱりとした隼人の言葉に、綱吉の母はほっとしたように有難うと返した。
「そう言えば京子ちゃんはなぜあんな時間にあんな所に?」
操られていた山本は分かるが、京子は正気だったはずだ。普段の京子は夜更かしをして出歩くような人ではない。
「何だか今行かないとツナ君に二度と会えなくなる気がして、気がついたら外に出てたの。それがあんな事になって……ごめんなさい」
京子の勘は当たっている。綱吉は試験を無事終えた後は学校へはもう行かず、隼人に真実を話して、彼がそれを受け入れてくれたら。二人で期限まで両親の元で過ごすつもりだった。
「ううん、こっちこそ巻き込んでごめん。それと、来てくれて有難う」