家族ごっこ【下】
＃１２
その日の監視係である誠は、坂上に昼食を運び自分も食事を済ませると、庭に出てゴルフを始めた。家の中でじっとしているのは性に合わないが、かといって坂上から目を離しロードワークに出るわけにも行かなかったからだ。しばらくひとりで興じていたが、不意に手元が狂って高く打ち上げてしまった。ボールはあらぬ方向へ飛んで行き、やがて椿の茂みに落ちる。
「チッ！」
誠は舌打ちするとクラブを放って椿に駆け寄り、膝を折ってボールを探した。緑の隙間に見える白い球体に手を伸ばしかけた時、足下に影がさす。誠は反射的に振り返った。
「お前は……」
光を背に佇む人影は振りかぶったクラブを勢いよく振り下ろす。
「うっ！」
撲たれた額から血を流し、誠は地面に倒れた。
「う…ぅ」
軽い脳震盪を起こしつつ痛みに呻く誠を、第二撃が襲う。
「ぐぁっ！…ひっ！」
次々と降ってくる殴打を受けながら、うっすらと瞼を開けた。取り囲む影はひとりではない。ふたり…さんにん……数え切る前に、視界は紅に閉ざされた。
帰宅した望達は、誠の姿がないことに気付いてパニックに陥った。一瞬坂上が何かしたのかと考えたが、彼は監禁されたまま、誠の行方もいなくなったことすらも知らなかった。
空席が目立つ食卓での三人きりの晩餐は、寂しく味気ない。皿を下げた後も、誰一人部屋に戻らず席にとどまった。明美の指がカッターの刃を出しては引っ込める音だけが、時計の秒針のリズムを乱すように響いている。
「これが、家族……？」
テーブルをじっとみつめて呟いた玲子の言葉に応える者はいなかった。
電話での玲子の態度を不審に思った斉藤は、週末、荒井家の屋敷を直接訪ねることにした。以前坂上から聞いた住所を頼りにたどり着いた邸宅は、想像していた以上に大きく厳めしい門構えだったが、斉藤は少し気後れしたものの、坂上の安否を知るために思い切ってインターホンを鳴らした。
『どなた？』
応答したのは、先日電話に出たのとは別の女性の声だった。
「あ、こんにちは。坂上君の友人の斉藤といいます。突然訪ねて来てすみません。坂上が今旅行に行ってると聞いたので、連絡先をお聞きしたいんですが」
『御用件は何かしら。私から伝言しておくわ』
「あ、いえ、番号を教えてください。自分で直接掛けますから。本人に話したいので」
『ごめんなさい、番号は教えてあげられないのよ』
「……じゃあ、滞在先の住所を教えてください。手紙を書きますから」
『ポストに入れておきなさい。私から届けるわ』
これでは埒があかない。斉藤は閉口し、「それじゃあ、いいです」と言って切り上げた。
やはりこの家はおかしい。坂上は何か大変な目に遭っているのではないか。疑惑を深め、首を捻りながら視線を移すと、見知らぬ男と目があった。彼は眼鏡の下の理知的な瞳で、荒井家の門にしがみつく斉藤を訝しげに見ている。
「あ、どうも……」
隣家の人だろうか──斉藤は急に気恥ずかしくなって門から手を放し、彼の横を通り過ぎようとして、思い直した。
「すみません、お隣りの方ですか？俺、ここの嫁の坂上の友人で、斉藤っていいます」
「ああ、坂上の」
思い切って声をかけると、相手は意外にも気さくに笑いかけてくれた。
「俺はそこに住んでる日野だ。荒井家の人達とはまったく交流はないけど、坂上とは結構仲良くさせてもらってたんだ」
「あの、今その坂上がどうしてるか知りませんか？」
「ん？……さあ、そういえば俺も二週間ほど前に会ったきりだな」
「その時の様子はどうでした？何か変わったことは？」
わずかでも手掛かりが欲しい。問い詰める斉藤に日野も真面目な顔で思案した。
「あの時は……確かポヘのことを聞いて……」
何か言いかけて止め、ニッコリと微笑む。
「ここじゃなんだから、家でお茶でも飲みながら話そう」
「はい！お願いします」
この人なら有力な情報を教えてくれそうだ。斉藤は直感的にそう思い、己の勘を信じて日野に着いていくことにした。と、鳥の羽音がして、数羽のカラスが荒井家の庭に降り立っていく。聞いているとこちらの心がせきたてられるような、不気味な鳴き声をひっきりなしに響かせて。
「ビックリした……カラス、よく来るんすか、この辺」
「そうだな。まあゴミ収集所が近いってのもあるけど、荒井さんちには昔から。最近はますます数が増えてるみたいだが」
屋敷の上空に群れを成して飛び交う黒い影。斉藤はしばらくその様子を眺めていたが、嫌な寒気を背中に感じて、慌てて日野の後を追った。