家族ごっこ【下】
#13
冷蔵庫から取り出したおしるこドリンクを差し出しながら、日野は語った。
「本当に旅行に行くなら、坂上は俺や君に一言挨拶してから行くだろう。ましてあいつは今妊娠中だ。海外旅行なんて、身体に負担がかかりそうなことするだろうか」
「そうなんすよね。やっぱりあの家の人達はおかしい……」
受け取ったおしるこドリンクを飲むべきか飲まざるべきか迷いながら呟く斉藤に、日野は少し考えてからさらに意見を述べる。
「……俺はほとんど外出しないし、いつもこの窓から門前の景色を見ながら作業している。坂上が出掛けるなら俺の家の前を通る筈だが、ここ二週間その姿を見てないんだ」
「ってことは……」
「ああ。坂上はその間一歩も外に出ていない可能性が高い」
斉藤は顔を顰めた。
「それってつまり、坂上はあの家に閉じ込められているってことっすよね?」
「状況だけ見ればそうとも考えられるというだけだけどな。ただ、そうでないなら、彼らがわざわざ坂上は旅行に行ったなんて嘘をつく必要はないだろ」
「……確かめたい」
「うん?」
「坂上が本当に閉じ込められているかどうか確かめたい。もしそうなら助けてやらないと。なんであの人達がそんなことするのかはわからないけど、このままってのはよくないし」
「……そうだな」
日野は頷くと、椅子から立ち上がって荒井家側に面した窓を開けた。
「昼間は駄目だ。先日、留守係だった家長が失踪したことで、彼らは警戒している」
「家長って、…誠さんが?」
「君は知らないかもしれないが、随分前に次男も失踪したんだ」
「それって、自分からいなくなったわけじゃないってことっすよね」
「……とにかく、荒井家に侵入するなら、今夜だ。そこの塀なら何とかよじのぼれる。敷地内に入ってしまえば、中の様子は外からでもある程度うかがえるだろう」
斉藤は日野の提案に従い、暗くなるまで待ってから行動を開始した。透かしブロックを足場に塀を越え、木々に隠れるように屋敷に近づく。と、小さな窓からちらちらと点滅する明かりが見えた。柔らかいオレンジが、一定のリズムで明滅を繰り返す様に、斉藤はピンと来た。坂上だ。あの部屋に坂上がいるのだ。望みをかけてランプでSOS信号を送っている……!何とか助けられないかと思わず前進した斉藤の足が、枯れ枝を踏み付けてパキリと音をたてた。屋敷の屋根にとまっていたカラスが斉藤の気配に気付いて襲い掛かる。
「うわぁ!?」
腕を振り回して追い払おうとするが、カラスの騒がしい鳴き声を聞き付けた望が玄関から声を上げた。
「誰かいるのかい!?」
まずい!見つかったら大変だと視線をさまよわせた斉藤の目に、「こっちだ!」懐中電灯を掲げる日野の姿が見えた。
ふたりは、望が出てくる前に何とか逃げ出した。
翌日、斉藤は坂上を助けてもらおうと警察に向かった。
「友人が監禁されているんです。お願いします!」
「思い違いではないんですか?証拠が無いとこちらも動きようがありませんからね」
「証拠ならあります!坂上がランプでSOSを送っているのを、あの家の庭で、この目で見たんです!間違いありません!」
「庭?荒井さんの許可はちゃんと取ったんですか?」
「それは……」
受付の者はまともに取り合わず、逆に斉藤の不法侵入について追及しはじめた。それでも坂上を救いたい一心で訴え続けていると、背後からふたりの男が近づいて来た。
「キミ、荒井家と言ったね?その話、詳しく聞かせてもらいたいんだが」
それは、荒井昭二の失踪について調べていた、あの刑事達だった。
その夜、玲子は久し振りに上機嫌でホテルの個室のシャワーを浴びていた。気分転換に夜の街をブラブラしていたところ、若い男に声をかけられたのだ。なかなかタイプだったので、誘われるままカクテルバーで飲み、そのままホテルにやってきたのだった。
「ところでさ、あなた前に会ったことない?見覚えがある気がするんだけど…何処だったかなぁ?」
シャワーに打たれながら外の男に呼びかけるが、返事は無い。硝子越しにうごめく影を、玲子は楽しそうに眺めていたが、やがて眉を寄せた。影が、増えているのだ。
「ちょっと、誰かいるの……?」
今度の呼びかけにも応えはない。玲子は不安になってシャワーを止めると、ゆっくりバスルームの扉を開いた。
「あっ…アンタ達…!な、何するの!?やめっ……やあぁーッ!」
鋭い刃物が何度も襲い掛かり、無防備な肌を切り裂く。飛び散った血液が、排水口に流れ込んで赤い筋を描いた。
「とうとうふたりきりになったわね」
玲子が帰ってこなかった。しらみはじめた東の空を窓の向こうに見ながら、明美はぼんやりと呟いた。
「……ふたりじゃないさ。修一だっている…。だけど、僕ら全滅するのも時間の問題だな。こんなことなら、あの時君の誘いになんか乗るんじゃなかったよ」
望は鼻を鳴らして吐き捨てると、明美を睨んだ。
「なんだって、こんな面倒なこと考えたんだい?」
明美はカッターの刃を望の頬に押し付けて微笑む。
「家族が欲しかったのよ。決して裏切らない、絆の深い家族が……」