家族ごっこ【下】
#14
正午を過ぎてから、明美は坂上の昼食を用意して盆にのせ、階段をのぼった。ノックをして部屋に入り、思わず目を見開く。坂上が、いない。何処かに隠れているのかと中に足を踏み入れた刹那、背後から衝撃が襲って来た。
「あぅっ!」
ドアの影に隠れていた坂上に殴られたのだ。
攻撃をまともに食らった明美はベッドに倒れ込み、坂上はその隙に廊下に出た。階段を駆け降りて電話をしようとしたが、受話器からは何の音もしない。よく見ると回線が切れている。坂上は叩きつけるように受話器を置いて玄関に向かおうと振り向き、「ひっ!」心臓が縮みあがった。
「おや、ダメじゃないか修一。ちゃんと休んでなくちゃ……」
捕まえようと伸びてくる望の腕を必死で振り払い、坂上は庭に出る。すぐに追手がやってきた。がむしゃらに走って椿の傍にたどり着いたが、石に足をとられて躓く。
「いた…!?」
擦り向いた手を摩りながら起き上がった坂上は、土の中から覗く人間の手に気付いて悲鳴をあげた。そこへ望と明美がやってくる。
「捕まえた、修一。さあ、部屋に……!?」
「どうしたの、望?」
明美の問い掛けに答えず、望は腰を抜かしている坂上から手を放して土を掘り返した。
「……誠、さん……!」
出て来たのは誠の死体だった。
あれから、何回時計の長針が回っただろう。窓の外は既に暗かったが、ふたりは何も手につかないまま食卓についていた。とても食事をするような気分では無い。
「やっぱり殺されていた……次は僕たちか?」
友晴も、玲子も、きっと誠と同じような目に遭っているだろう。狙われているのは自分達だ。
「もう、潮時ね。楽しかったけれど、荒井家はもうおしまいだわ。望、一緒に逃げましょう。このまま此処にいても殺されるだけよ」
「君にしては随分弱気だな。殺されそうになったら、こっちが相手を殺せばいいのさ。…なんて、いつもは君のセリフでしょうが」
「……私の家族を壊した奴なんて、殺してやりたいわ。でも、きっと無理よ。逃げられないの」
明美は、何処か達観したような眼差しで遠くを見た。友晴も、誠も、玲子も、ひとりずつ個別に消されている。それは望にも、得体の知れない恐怖を感じさせた。
「逃げるって、修一はどうするんだい?」
「……あの子は、私達を裏切ったのよ。殺してあげたっていいくらいだわ」
「……少し、考えさせてくれないかい」
「望!?」
望は頭を振って立ち上がると、そのままダイニングから出ていった。
「……」
残された明美は、手の中のカッターを弄びながら唇を噛んだ。
「今更、何を考えるって言うの……?」
***
……雨が降っていた。途絶えることの無い音を聞きながら、足下に転がる五人の死体を見下ろす。
稲光が暗い室内を照らし、彼らの傍らに転がる人形を浮かび上がらせた。
***
息苦しさに目が覚めた。誰かが顔を覗きこんでいる。
「……明美?」
掠れた声で呼びかけると、明美は口角を持ち上げて喉を鳴らした。
「何を……何をしてるんだい?」
カッターの刃を閃かせ、明美は告げた。
「一緒に死ぬのよ」
「なっ……!」
望は慌てて跳び起きると、明美を突き飛ばして部屋を出た。明美の呻き声を背中に聞きながら、坂上を閉じ込めている部屋へ駆け込む。
「望さん…?」
突然入って来た望のただならぬ様子に、坂上はむしろ心配になって問い掛けた。望は息を整えながら後ろ手にドアを閉めると、坂上を抱き寄せた。
「修一……倉田恵美を殺したのは、僕だ」
「えっ!?」
「彼女には、弱みを握られていたからね。どうしても消さなきゃならなかった」
「そんな……っ」
身じろぐ坂上を逃がさぬように、望は腕に力を込める。
「それまでも、それからも、たくさんの人を殺した。綾小路を殺ったのも僕だよ。あいつは……荒井望になる以前の僕を知る唯一の知人だったからね……遅かれ早かれ、消す予定はあったのさ。もう少し生かしておくつもりだったけど、あいつ、君を欲しがるから……」
週に何度か坂上に逢わせて欲しいという綾小路の申し出を断ると、彼は望を脅してきた。
『忘れないでくれ。僕はお前を今すぐ警察に突き出したっていいんだ』
──生かしておけなかった。
「どうして…何てことを!」
どうにか望の拘束を解いて、坂上は責めるような瞳を望に向けた。
「……そんな顔しないでくれよ。確かに僕は人殺しさ。だが、人殺しだって人を好きになる。修一……僕は、君のことが」
縋るように紡いだ言葉を遮って、明美が部屋に押し入って来た。
「死ねっ望!裏切り者っ!」
カッターを構え襲い掛かる彼女の腕をどうにか封じ、望は坂上に向けて叫んだ。
「逃げるんだ修一!明美は僕を殺して君も道連れにするつもりだ!」
「そんなっ!でも……」
「早く行けっ!!」
「っ!」
坂上は走った。廊下を駆け抜け、転がるように玄関を出る。しかし運動不足からか足がもつれ、うまく歩けない。
「……あ」
ふらつきながら顔をあげると、望と明美が裏口から出てくるのが見えた。先程とは違い、ふたりの表情は落ち着いている。月明りに照らし出された顔は美しく穏やかだった。坂上は言葉をうしなってしばし彼らと視線を交わしていたが、やがて望がうっすらと微笑んで明美の腕に手を添えた。その手にはカッターが握られている。
「さようなら、修一……」
「短い間だったけれど、貴方と過ごせて楽しかったわ」
「望さん!明美さっ……」
カッターが望の喉を裂き、次いで明美の首からも鮮血が噴き出した。自らの命を浴びながら、ふたりは陶然と坂上を見つめ崩れていく。
「ど…して……っ!?」
「ここです、刑事さん!」
そこへ、遅すぎる助けが駆け付けた。