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みとなんこ@紺
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それは優しいだけのうた

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どこだろう、ここは。
暗くて、
冷たくて、
少しだけ、寒い。

どうしたんだろう、ボクは。

昇っているのか、墜ちているのか、それすらも判らない所でただ漂っている。
さほど遠くない所に光が見えた。
不自由な感覚ではそれが近い所のものか、遠い所の物かすら判らなかったが、ただ無意識に光に向かって手を伸ばし――――
途端、強い力で腕を引かれた。
まとわりつく、水を抜けるような感覚の後、一気に視界が開ける。
途端流れ込んでくる、膨大な量の言葉言葉言葉。

唐突にすべてを理解した。

同胞が集めた言葉から、歴史を知り、文化を知り、人を知る。
ここにいる、意味と、役目もすべて。生まれ出て、一瞬で悟る。



目を、開けた。



あの時、最初に焼き付いたのは。

「――――気分は?」

悪くないよ、と答えると、彼はふわりと笑ってくれた。
これは最初の記憶だ。
自分がこの果ての世界に生まれた時の。

…知っているような気がした。
ずっと以前から、彼が『こうなる』前に、自分が『こうなる』前に。何処かで出会った事があるような。
遠い何処かで、長い間2人で色んな事を語り合っていたような。
そんな錯覚を憶えそうな程に、ずっと近くに。










瞬き一つせずに、ただそれを見つめていた。


一人の女が傘も差さずに雨の通りを歩いている。
凛と先を見つめた強く目はひどく澄んで、興味半分で視線を向けた人々はそこに映されるのを拒んで慌てて視線を逸らす。
本屋の軒先で、そんな女が目の前を横切るのにも気付かずに、睨み付けるように空を見ている少年がいる。
行き来する人は皆雨に濡れ、雨を厭い足早に通り過ぎる。

遊戯は目を伏せた。
雨は自分を濡らす事がない。
冷たい、と言って子供がはしゃぐその感覚も伝えては来ない。
手を伸ばしても、水滴はその手をすり抜けるだけで、何も伝わる物はないのだ。

膝を抱えて俯く。
問われた言葉と、受け取った想いが昇華出来ずにぐるぐるとアタマを占領している。
彼は「キミもこっちに来たらいいのに」と言った。
それは、つまり。
彼は元々こちら側にいて、そして人の世界に行けた。話に聞く、この果ての世界から墜ちた者、と言う事だ。
元・天使。・・・だから、遊戯たちに気付いたのかもしれない。
だから、あんな事を言ったのかもしれない。



好きな人、逢いたい人、側にいたい人。

自分に向けてそれを問うた事など、一度もない。
ただ、心のほんの一欠片を受け取り、還していくだけで。人の想いを、言葉を集めて、証言し、守るだけの。
だから主観はいらない。
それが自分たちであるはずなのだから。

そう。
あの時、図書室の薄明かりの中で淡く微笑みながら、忘れてはいけない、と柔らかな警告を呟いた獏良の言葉が過ぎる。

「人には二つの歴史がある。僕らが紡ぐものと、自らが紡ぐもの、だ」

かの学者の語る想いは僕らの歴史に近いけれども、違う。あれは、彼の歴史。言葉に色があり、熱がある。
僕らは時折それに心が乱される事がある。
だけど、その強さは判るけれども、感覚のない僕らには本当に意味で触れることは出来ない。
紡ぎ出される言葉に熱はなく、見たその事実だけが語られる。
語る言葉、語る事象はそのまま人の歴史の中に積み重ねられ、彼らの“証言”と共に記録される。
そして人の歴史は重ねられていく。
幾重にも。
その時確かに存在したはずの感情と、そこに至るまでの過程はすべて置き去りに。

「――――歴史を捉えるには心は要らない。ただ結果があればいい」

だから、痛みを感じたらやっていけないから、きっと僕らは何にも傷まない、んだよ。感じない、んだ。
「僕らに僕ら自身の歴史を得る事は出来ない。…何もかも感じないこの果ての世界では」



なら、それが見守る者として正しいのなら、痛みを欲する今の自分は何であるのだろう。
けれどこれはいつからか、何処かでぼんやりと思い続けていたことでもあった。

どうしてボクらは時の、歴史の外側にいるんだろう。
ただ見守るだけの存在であるボクらには、どうして歴史は紡げないんだろう。
立ち止まってしまった人の背を押して、また歩き出せるように、と助けるボクら自身は、立ち止まっているのか、進んでいるのか。…それとも進んではいけないのか。

何故?

ボクらの誰もが見ようとしなかったことなのか。
人の悲しみを癒し、痛みを取り除くボクらの痛みは、一体誰が受け取ってくれるんだろう。

それとも痛みのないはずのこの果ての世界で、重くのし掛かってくるようなこの暗鬱な気持ちは、ボクのものじゃないんだろうか。
・・・ボクの痛みでは、ないんだろうか。


どうしよう。
今、一人でいるのがすごく嫌だ。
今ボクは誰に会いたい?誰に側にいて欲しい?


そんなの、答えは決まってる。


ああ、だけど呼んじゃいけない。
知られるのが怖い。…呼んじゃいけない、のに。


「――――相棒?」


どんな時でも必ず、
何処にいても、呼べば、いつでも彼は応えてくれるのが嬉しかったのに。

ゆるり、と顔を上げる。
うまく笑いかけられたか自信はなかった。

・・・今日こそ言えるだろうか。
ついぞ訪れた事のないこの変化の兆しを伝えたら、彼はどんな顔をするんだろう。
その胸をしめるその想いの名はまだ判らないけれど、きっとこのままではいられない。自分はもう、その名を欲してしまった。
探してはいけないものだと判っていたのに。