それは優しいだけのうた
「――――最近、急に“声”が聞こえにくくなったんだ」
雑踏の中に紛れても、どんなに耳を澄ましても、以前ほど受け取れなくなってきた。と。
いつもと同じ時計塔の上。
隣に座り込んだもう一人の遊戯は、何も言わずに聞いている。
「でも、聞こえなくなった辺りから、どんどん、」
判らなかったはずの、痛みが。
自分のものではなかったが故に、ぼんやりとしたモノでしかなかったはずの痛みが、意識にのし掛かるような重さを伝えてくる。
だけど、一端自分のものになってしまったそれは自分では癒す事も出来なくて。
そっと、もう一人の遊戯は手を伸ばして相棒に触れた。
指はこめかみをそっと辿って、包みこむように頬に触れる。
やはり何も感じない。
確かに、触れているはずなのに感覚はそこには何もないのだと告げてくるだけ。
抱え込んだそれが重さを増したように思った。
ゆっくりと目を閉じる。
「――――行きたいのか?」
彼の問いかけは静かだった。
「…判らない」
遊戯は顔を上げて真っ直ぐに半身を見つめると、力無くかぶりを振った。
「…この世界が嫌な訳じゃないし、やるべき事に飽いたわけでもないよ。でも・・・」
――――色の名前を知っているけれど、花がどんな色で咲くのかを知らず、
――――人の心に触れられるけれども、体温の温かさは判らない。
歴史の外側じゃなく、この手で触れて確かめてみたい、とはずっと思っていた。
「…ボクは、ボクの歴史も欲しいんだと思う」
自分自身の手で、足で前に進み、自分自身に刻む、歴史が。
きっとそれは狭くて、深いものだろう。
ボクらが今まで積み重ね、記憶し、守ってきた大きな歴史の流れからすれば、欠片にも、点にも満たない、ちっぽけなものでしかないかもしれないけれど。
それでいい。
それが、欲しい。
知りたい。
そして、触れたい。
ちょっと、思ったんだ。
もう一人の遊戯から目を逸らして、彼は小さく笑った。
「キミも、行かない?」
一緒に、向こうへ。
「・・・オレも?」
「…うん。もしも行けたら、って」
そうしたら。
城之内くんに会いに行って、「はじめまして」、とか「バイト頑張って」なんて言ってみたり。
御伽くんの作った、ゲームをやらせて貰ったり。
天気の良い日にはコンビニでおにぎりを買って、公園で食べたり、暑いとか、寒いとか色々言いながら。
「…でも、結局どうすればいいのかなんて、そんな方法判らないけど」
僅かに曇ったように見えたもう一人の遊戯の表情を見ていられなくなって、遊戯は殊更明るい調子で言った。
どれだけ望んでも、具体的な方策なんて知らないし、調べようもない。
声が聞こえにくくなったのは一時的なものかもしれない。
これからも、きっとずっと続くから。
彼と2人、他愛もない物に触れ、色んな言葉を聞き、流れを紡ぐ、同じ日々が。
――――だからこれは最後の「夢」、だ。
「あ、そうだ。最初にハンバーガー、食べに行こうよ」
城之内くん、何でもおいしそうに食べてたけど、まず食べるものはアレが良いや。
ねぇ?
そうして、振り返った先にいたはずの彼、は。
目を細めて、ひどくキレイに笑って。
消えた。
――――背筋が凍り付く。
声を出す事すら出来ず、一瞬すべての感覚を見失った。
「…あ…ッ」
パリン、と。
何処かで澄んだ音がした。
一瞬の浮遊感の直後、今まで感じた事のない衝撃と酩酊感に、遊戯の意識はそのまま闇に攫われた。
作品名:それは優しいだけのうた 作家名:みとなんこ@紺